JR線の新橋驛前で、昔ながらの靴磨きのお婆さんを見かける。
終戰後、私の祖母もやはり新橋驛前で、
同じ仕事をしてゐた時期があると聞いてゐる。
私が記憶してゐる祖母は、絶對的な自信をもって踊りを樂しむ“ご隠居”の姿しかなく、そこに至るまでの現役時代の話しは、本人からは聞いたことがない。
昭和二十年代は、戰火を生き延びた庶民が助かった命を明日へ繋ぐために一生懸命だった時代であり、祖母もその一人だった。
しかしそれは、祖母にとっては語りたくない、さういふ記憶の時代でもあったのかもしれない。
その人が語りたくない記憶(はなし)にこそ、その時代の真實は隠されてゐる。
もし私が革靴を履いてゐて、
氣持ちに余裕のある人生だったら、
「お願ひしていい?」
と、お婆さんに聲を掛けたもしれない。