ラジオで再放送の、寳生流「天鼓」を聴く。
唐國にて、天から降ってきた妙音の鼓を愛玩する少年天鼓は、皇帝(ミカド)へ鼓を献上することを拒んで呂水に沈められて殺され、いらい宮中に置かれた件の鼓は音を鳴らさなくなったが、少年の老父が宮中に召し出されて鼓を打つと、親子の情が通ひ合って鼓は再び妙音を聞かせる――
曲の後半には感激した皇帝がお詫び方々音樂葬を催すと、少年の靈が現れて樂しげに鼓を打ち鳴らす。
實際の演能では、後シテの少年天鼓は「樂(がく)」と云ふ浮きやかな囃子に乗って舞ふ遊樂物だが、舞臺には登場しない皇帝の、意に従はなければ子どもさへ殺す苛烈さが常に下敷きとなってゐるところに、この曲の特徴がある。
前シテの老父が、宮中へ召し出されるのは自分も殺されるからではないかとの疑ひも、恐れと云ふより諦めを感じさせる。
そんな老父の、いかにも寳生流らしい重厚で説得力ある謠に耳を傾けながら、私は臣下の詞(コトバ)のみに現れるだけに、却って強い存在感を放つ皇帝の、慈悲なき姿形をあれこれと創ってみる。