迦陵頻伽──ことだまのこゑ

手猿樂師•嵐悳江が見た浮世を気ままに語る。

我が背子が来ベき宵なりささがにの蜘蛛のふるまひかねてしるしも。

2018-03-15 23:40:55 | 浮世見聞記
渋谷区の表参道で、足許に蜘蛛がゐる事に気が付いた。

浮世は万物のものにて、ここに蜘蛛がゐても一向に構わないことだが、こんな都会のアスファルト上で見るとは、やはり意外な気がする。

これは、私への何かの“暗示”だらうか──?



古来、日本人は蜘蛛を「神の使ひ」と捉へられてきた。

また、地域によって違ひはあるやうだが、朝に見る蜘蛛は縁起が良く、夜に見るのは不吉の予兆、と考へられてきた。


見た目ですっかり損をしてゐる蜘蛛だが、人間に害を為す生き物に非ず。


もし部屋のなかで見つけても、決して潰すのではなく、放っておくか、イヤな場合はチリ紙に包んで外に出すのが良いとされる。


蜘蛛=敵役といふ印象は、謡曲「土蜘蛛」をはじめとする一連の「土蜘蛛退治もの」といった古劇による影響が、大きいのではないだらうか。

これは、国土統一を目論む古代朝廷に従わない先住民族に「土蜘蛛族」と呼ばれる人々がおり、その討伐がのちに化け物退治に擬(なぞら)へられたものと考へられてゐる。

後シテの“土蜘蛛の精”がさかんに投げかける千筋の糸は──歌舞伎役者などは呑気に“そうめん”と呼んでゐるが──、決して妖術ではなく、侵略者から自分の領土を守らうとする先住民族たちの、必死の抵抗を象徴するものとも考へられるわけだ。



表参道の界隈は路肩に納品業者のトラックがよく停まってゐるので、いま足許でじっとしてゐる蜘蛛は、もしかしたらその荷物にくっ付いて来たものかもしれない。

しかし、都会の真ん中で見たといふことに、私は偶然(たまたま)とは思へない“なにか”を感じて、

蜘蛛を踏まないやう、

そっと離れた。
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