dmenuニュースより
http://topics.smt.docomo.ne.jp/article/mainichi/nation/mainichi-20240808k0000m040280000c?fm=d
七十九年目となる長崎の平和祈念式典に、ウクライナと戰火を交へてゐる露國、露國を支援するベラルーシ、相變はらずなドンパチを仕掛けたイスラエルについては招待せず、それに絡んで英米も参列を拒否云々。
『鈴木市長は8日、報道陣の取材に「政治的な理由でイスラエルを招待しないのではない」と強調し、「あくまでも平穏で厳粛な雰囲気の下で式典を円滑に実施したいというのが理由だ。その真意が十分に伝わっていない」と語った。』──
“正義”の主張──ただし自分のなかだけの──にかこけつけて、ただ騒ぎたいだけのお祭り屋に迷惑させられたくない長崎市長の氣持ちは、私は大いに理解する。
ただ、世界各國の人々と共に等しく平和を祈念し、宣言するはずの場が、かうしたそれぞれのキナ臭い思惑に左右されてしまふところに、平和と云ふ理想の脆弱さが露呈してゐるやうで、殘念には思ふ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/70/b67d32925775460ce22a9eb8f2cd6556.jpg?1723164445)
(※原爆で破壊される以前の浦上天主堂)
むしろ、「こんなことがいつまでも續きませんやうに」と祈念する場として、私は今日を考へたい。