恵比寿の東京都写真美術館で開催中の、「侍と私 ポートレイトが語る初期写真」展を見ました。
写真が発明されて間もない19世紀に撮影された日本や西欧の数々のポートレイトのなかで、私がもっとも関心を持ったのはやはり、エピローグコーナーに展示されている幕末・明治の歌舞伎役者の写真。
なかでも圧巻だったのが、1895年(明治29年)に鹿島清兵衛が撮影した、九代目市川團十郎の「歌舞伎十八番の内 暫」“鎌倉権五郎景政”、元禄見得をしているあのお馴染みの写真です―浅草寺裏手の銅像のモデル―。
今回展示されたのは後年にプリントされたものだそうですが、それでもつい昨日撮影したかのような劣化のないクリアーな画質は、本で見るものからでは伝わらない、人物が今にも動き出しそうな躍動感と、揺るぎのない重厚感とがストレートに伝わり、モノクロ写真と云うと、どうしても被写体に現実味を感じなかったりするものですが、この作品だけは別、と云うか私がモノクロ写真に初めて現実味を感じ取った作品と言ってよいでしょう。
もう一枚は初めて目にする写真で、同じく「暫」の扮装をした九代目團十郎が、普通に腰掛けてこちらをまっすぐに向いた、上半身を狙ったと思われる膝から上を写した作品。
老境に入った成田屋らしく額のシワがはっきりと写っているところが興味深く、また化粧のパーツの一つ一つ、筋隈のボカシに至るまではっきりと写っているのは、先人の化粧の仕方を学ぶ上で格好の、そして貴重な資料と言えるでしょう。
写真が発明されて間もない19世紀に撮影された日本や西欧の数々のポートレイトのなかで、私がもっとも関心を持ったのはやはり、エピローグコーナーに展示されている幕末・明治の歌舞伎役者の写真。
なかでも圧巻だったのが、1895年(明治29年)に鹿島清兵衛が撮影した、九代目市川團十郎の「歌舞伎十八番の内 暫」“鎌倉権五郎景政”、元禄見得をしているあのお馴染みの写真です―浅草寺裏手の銅像のモデル―。
今回展示されたのは後年にプリントされたものだそうですが、それでもつい昨日撮影したかのような劣化のないクリアーな画質は、本で見るものからでは伝わらない、人物が今にも動き出しそうな躍動感と、揺るぎのない重厚感とがストレートに伝わり、モノクロ写真と云うと、どうしても被写体に現実味を感じなかったりするものですが、この作品だけは別、と云うか私がモノクロ写真に初めて現実味を感じ取った作品と言ってよいでしょう。
もう一枚は初めて目にする写真で、同じく「暫」の扮装をした九代目團十郎が、普通に腰掛けてこちらをまっすぐに向いた、上半身を狙ったと思われる膝から上を写した作品。
老境に入った成田屋らしく額のシワがはっきりと写っているところが興味深く、また化粧のパーツの一つ一つ、筋隈のボカシに至るまではっきりと写っているのは、先人の化粧の仕方を学ぶ上で格好の、そして貴重な資料と言えるでしょう。