迦陵頻伽──ことだまのこゑ

手猿樂師•嵐悳江が見た浮世を気ままに語る。

ニッポン徘徊―甲州道中2の2 内藤新宿→笹塚

2011-10-25 09:20:28 | 旧甲州道中
新宿四丁目交差点を鉤の手に右折し、JR線の線路を越えて新宿駅前を過ぎると西新宿一丁目交差点↑。 この交差点を右ナナメ前方へ入って約700㍍直進し、現在の西新宿信号、文化女子大学あたりで現道に繋がるのがかつて道筋ですが、度重なる再開発によって当時の道筋そのものは既に消滅。 みずほ銀行の脇、西新宿1-17より同1-21までの“国際通り”がそれに近い道に当たります。 西新宿三丁目より首都高速道路 . . . 本文を読む
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ニッポン徘徊―甲州道中2の1 内藤新宿

2011-10-25 09:18:11 | 旧甲州道中
四谷見附より国道20号線の現道を歩くこと約1㎞、かつては宿場の大木戸があった四谷四丁目交差点を過ぎて、甲州道中最初の宿場、内藤新宿に(上段写真)。 東京都庁の所在地、また歌舞伎町などの歓楽街も抱する東京副都心“新宿”のルーツは、現在の四谷四丁目交差点から新宿三丁目交差点“新宿追分”までの約1㎞に存在していた、この宿場町にあります。 ここは甲州道中の開通当初から、太宗寺(現・新宿二丁目)などの門 . . . 本文を読む
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ニッポン徘徊―甲州道中1の3 南回り(九段~市ヶ谷見附~四谷見附)

2011-10-24 12:05:41 | 旧甲州道中
甲州道中の日本橋~四谷見附間は、この南回りの他にも、日本橋を北方向に出発して日本橋川沿いに↑神田辺りをかすめて九段坂下の爼橋まで進み、橋を渡って当時はかなり急峻だったらしい九段坂を上り、 番町を抜けて現在はJRの市ヶ谷駅がある市ヶ谷見附を経て、 外濠に沿って四谷見附に至る、“北回り”コースもありましたが、南回りよりも距離が長いのと、沿道は大名屋敷ばかりのおカタイ雰囲気であることが敬遠さ . . . 本文を読む
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ニッポン徘徊―甲州道中1の2 江戸日本橋→内藤新宿

2011-10-24 12:03:12 | 旧甲州道中
左手に丸の内のビル群を眺めながら馬場先濠に沿って約800㍍南下↑、現在の日比谷交差点で右折すると今度は凱旋濠、桜田門を過ぎてからは桜田濠、左手は霞ヶ関の官庁街に永田町と、千代田のお城に沿って進み、 さらに右手に最高裁、お隣りは国立劇場と眺めて三宅坂を上り、東京FMが見えたところで右手を見ると、すぐ先には半蔵門。 ここで左折し、現在は“麹町大通り”となっている道を1㎞程行くと、JR線と東京メ . . . 本文を読む
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ニッポン徘徊―甲州道中1の1 江戸日本橋→内藤新宿

2011-10-24 12:01:41 | 旧甲州道中
甲州道中四十四次は日本橋を起点に、下諏訪宿で中山道と合流する、53里24町(約208㎞)の道中ですが、まずは甲府(甲府柳町宿)までを目指してみることにします。 日本橋より南へ200㍍だけ東海道と並行し、日本橋交差点で右へ折れて分岐すると、400㍍程直進して呉服橋交差点を越えたところで、今度は右折します。 このあたりは、江戸時代には北町奉行所があった場所で、甲州道中はその前を通っていました . . . 本文を読む
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ささやき。

2011-10-16 00:22:16 | 浮世見聞記
坂を上った先の風景に、私は戸惑った。 私は、未来に生きているのか? それとも、現在に? いづれにせよ、過去に生きていないことだけは、確かだ。 答えなど、ありはしない? “あるものか。 あれはね、 その時に、 自身で つくるものさ” アイツは私の耳もとにやって来て、そう囁く。 そして、 嘲笑ひながら、 何も見えない前へと、 走って行く。 私は微笑んで、 確かに . . . 本文を読む
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