「そうなんですか……」
僕はもとの宮司家のことを、いかにさりげなく訊き出すかを考えた。
ところが下鶴昌之は、妙なことを言い出した。
「近江さん、姫哭山のてっぺんまで、ハイキングしませんか」
「え?」
またあの、悪天候の山に……?
下鶴昌之は、僕のそんな心中を察したように山を見上て、
「ああ……。いまは、頂上の天気は落ち着いてますわ」
と、笑った。「あの山は、ほんまに頂上だけが、コロ . . . 本文を読む
僕は一度ホテルに戻ると、とりあえずスケッチブックはバッグに入れて、姫哭山へ向かった。
旧朝妻宿へは、あの山城跡を越えて行くのが、一番近い。
昨日に続いて二度目ということもあって、例の獣道も大して苦にならず、頂上に着いた。
“山の天気は変わりやすい”の言葉どおり、葛原市街の晴天に対して、山頂は灰色の重たい雲がかかっていた。
そして強めの冷たい風が吹いて、昨日スケッチした松の枝を揺らしていた。 . . . 本文を読む
衝撃的だった。
考えてみたら、僕は嵐昇菊がいつ、どこで亡くなったのか、金澤あかりから聞いていない。
女人禁制のしきたりを改めて起用された少女の、その父親が焼失した八幡宮から、遺体となって発見される―
なんと因縁深い事件だろう!
中学生というムズカシイ年頃の金澤あかりが、この事件でいかなるショックを受けたか―
その後東京へ転居したことが、まさにそのあたりの事情を物語っているようだ。
結局 . . . 本文を読む
翌朝、僕は熊橋老人からの外線電話で目を覚まされた。
松羽目の色付けもお願いしたい―と云うものだった。
僕は、たぶんそう来るだろう、と思っていた。
昨日の稽古を見た様子では、奉納歌舞伎の実際は溝渕静男が一手に握っていて、保存会長の熊橋老人は、何も口出しできない名誉職の立場にある感じだった。
それだけに僕を使って、横からチャチャを入れたいのではないか―
古くからの“確執”が絡んでいるとなれ . . . 本文を読む
“稽古見学”のあと、僕は下鶴昌之の運転する車で、葛原駅前のホテルまで送ってもらった。
熊橋老人には夕食も誘われたが、丁重に辞退したのだった。
実際はそれよりも、溝渕静男に、面倒くさそうなものを感じていたからだ。
あの男の雰囲気では、じつは松羽目も、自分で手掛けるつもりだっただろう……。
車は姫哭山の裾を迂回する国道を通って、葛原駅を目指す。
窓から見る姫哭山は、すでに夜闇に溶け込もうとし . . . 本文を読む
新年度が本格的にスタートしたと云ふ今日、新潟県村上市大須戸の八坂神社にて、大須戸能を観る。
JR羽越本線の村上駅から路線バスに揺られること約40分、まだ雪解けぬ大須戸集落の山裾に、そのお社は鎮座まします。
その右に並立する能舞台でまず演じられたのが、「小鍛冶」。
年季の入ったシテの装束、そして人間味ある舞いっぷりが、いかにも民俗芸能らしくて楽しい。
つづく狂言「附子」は、これぞ . . . 本文を読む
十六時を過ぎてから、僕は熊橋老人と下鶴昌之、そして稽古用の浴衣に着替えたその長男と、稽古場となっている集会所へ再び向かった。
僕は正直なところ、旅館で熊橋老人から聞かされた内輪話しに、少し気が滅入っていた。
人間同士が額を寄せる場では、性格の不一致は付き物だ。
そんな話しを部外者(よそもの)が聞いても、迷惑なだけだ。
僕が大和絵師となったのは、他人(ひと)の発する雑音に煩わされることなく、 . . . 本文を読む
そして脇に控えていた下鶴昌之に、
「下鶴さん、ええやろ?」
と、振り向いた。
下鶴昌之は一瞬、戸惑った表情(かお)をした。が、
「まあ、保存会長さんがおっしゃるなら……」
と、神妙に頷いた。
やはり、“部外者(よそもの)”に見せることは、抵抗があるらしい。
僕はとりあえず、遠慮を申し上げた。
しかし熊橋老人は、アルコールも手伝ってか、やけに高らかな笑い声を上げた。
「いやいや、 . . . 本文を読む
やがて戻ってきた熊橋老人は、僕が描き上げた下絵を見ると、
「ほう、東京のプロの方は、やはり違いますなぁ……」
云々、感極まったような声で、何度も礼を述べた。
「ところで近江さん、お食事はまだでしょう?」
そう訊かれて、僕は初めて、昼食時をとっくに過ぎていることに気が付いた。
僕は作品に集中すると、いつも寝食を忘れる。
僕は熊橋老人の言葉に甘えて、昼のご馳走にあずかることにした。
連れ . . . 本文を読む