迦陵頻伽──ことだまのこゑ

手猿樂師•嵐悳江が見た浮世を気ままに語る。

ごゑんきゃうげん21

2017-04-08 07:44:03 | 戯作
「そうなんですか……」

僕はもとの宮司家のことを、いかにさりげなく訊き出すかを考えた。

ところが下鶴昌之は、妙なことを言い出した。

「近江さん、姫哭山のてっぺんまで、ハイキングしませんか」

「え?」

またあの、悪天候の山に……?

下鶴昌之は、僕のそんな心中を察したように山を見上て、

「ああ……。いまは、頂上の天気は落ち着いてますわ」

と、笑った。「あの山は、ほんまに頂上だけが、コロコロと天気が変わりよる」

「はあ……」

僕も山を見上げた。

たしかに、頂上にもいつの間にか、青空が広がっていた。

僕は下鶴氏と、再び姫哭山へ登った。

果たして頂上は、さきほどの荒天が信じられないほどの、爽やかな晴天だった。

「これは……」

僕がポカンとして空を見ると、下鶴昌之は笑って、

「この山の天気がコロコロ変わるのは、戦国時代に滅ぼされた葛原一族の、怨念のなせる業や、なんて古老たちは言うてましたがね……」

「なるほど」

いかにも、昔の人が言いそうなことだ。

僕は下鶴昌之と共に、強い日射しですっかり乾いた草の上へ、腰を下ろした。

「……で近江さん、あの八幡宮の宮司さんのことですがね、その八年前の火事いらい、すっかり気落ちしはりましてな。高齢で、しかも昔から病気勝ちやったさかい、それから一ヶ月も経たんうちに、亡くならはりました」

「跡継ぎは、いらっしゃらなかったのですか?」

「いちおう娘が一人、おったんですが……」

下鶴昌之は、なにやら意味ありげな笑みを、口許に浮かべた。

その娘こそが、金澤あかりの母親だ。

「その娘(こ)は、とても神職を継げるような、そんな性格やなかったんです……」

どんな性格だったのか、それは口許に浮かべた笑みが、暗に示していた。

僕はなんとなく察して、「ああ……」と小さく頷くに留めた。

「せやから将来的には、いま京都に住んではる遠縁の人が、掛け持ちで受け継ぐことに決まっていたようです。ただ……」

「ただ?」

「秋のお祭りで、朝妻歌舞伎を奉納する前に舞われる三番叟だけは、どうしても宮司さんは自分が生きている間に、溝渕さんから取り戻しておきたかったんですわ……」

図書館で調べたことが、頭にパッと思い出された。

が、下鶴昌之の前では「?」という顔をした。

下鶴昌之は、僕が図書館で調べたことと同じような説明してから、

「……昔、宮司が夏に肺炎で、入院したことがあるんです。そのために、秋祭りの三番叟を、子どもに教えられる人がおらんようになった。その時にしゃしゃり出……、はは、いや、ピンチヒッターを名乗り出たのが、溝淵さんやったんです」

前々任の師匠に嫌われて助手を“解任”されて以来、しばらく鳴りを潜めていた溝淵静男は、“返り咲き”のチャンスを虎視眈々と狙っていたわけだ。

「普通やったら、決してあり得へんし、許されんことです。が、ほんらい代行するべき娘は、とてもそんな器やない。結局、そのとき限りの“特例”として、任せざるを得なかった。……溝淵さんとしては、目論見通りいうところでしょう」

下鶴昌之の皮肉を含んだ口ぶりに、溝淵静男への本音が滲み出でいた。

「その後、宮司さんは幸い退院して、日常生活に支障のないまでには回復しはったんですが、三番叟を人に教えるといった、体に負担のかかるようなことは、出来んようになってしまった。結局、そのまま溝淵さんが、引き続き代行することになって、現在に至っておるのです」

ようするに、なし崩しにまんまとかっさらった―

下鶴昌之はそう言いたげにも見えた。


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