三寒四温なのか何なのか、寒い日があればやけに暖かい日があったりと、人間サマが氣候氣象に振り回されてゐる間にも、梅は確實に蕾を開き始め、今日には河津櫻も咲き始めてゐるのを、今年初めて目にする。春は確實に訪れるやうだが、おのれの身辺にはまだその兆しは見えないやうである。四季を通じて確實なのは、朝は床から出たくない、そんな惰情だけである。 . . . 本文を読む
dmenuニュースよりhttp://topics.smt.docomo.ne.jp/article/mainichi/nation/mainichi-20230213k0000m040065000c?fm=d今月5日の23:17、心不全のため藝州三次の病院で逝去、八十九歳云々。もちろん面識はありませんでしたが、五世河原崎国太郎の著書を通して、またなによりも師匠が主演した蜷川幸雄演出のギリシャ悲劇の . . . 本文を読む
dmenuニュースよりhttp://topics.smt.docomo.ne.jp/article/yomiuri/business/20230213-567-OYT1T50091?fm=d『「キリン ファイア 挽ひきたて微糖」(185グラム缶)は115円から1ᦂ . . . 本文を読む
ラジオ放送で、金春流の「西行櫻」を聴く。庵室に咲いた櫻を独り静かに愛でてゐたかった西行法師は、噂を聞きつけた京の男たちが押しかけて来たことで、「花見んと 群れつつ人の来るのみぞ あたら櫻の 咎にはありける」と、櫻に對する文句の一首を詠んだその晩、夢枕に櫻の精が老人の姿で現れ、「私のせいではない」と抗議し、やがて櫻の名所を謠ひ舞ふうちに夜が明けて、あとには櫻の散り花が残るばかりであった──櫻の能と云 . . . 本文を読む
dmenuニュースよりhttp://topics.smt.docomo.ne.jp/article/jiji/nation/jiji-230211X035?fm=d9日20:06、間質性肺炎のため神奈川縣内の病院にて逝去云々。七十七歳とはまだ若いな、と驚く。私が數十年前の學生時分、初めて歌舞伎座で芝居を觀た時に中村屋親子の「連獅子」で立三味線をつとめてゐたのが、故人となった杵屋勝国氏 . . . 本文を読む
昨日の極寒雪は何だったのだらうと疑はしくなるほど、朝から打って変はった暖かな晴天に恵まれた一日。浮世では祝日にあたってゐるため、かういふ日にわざわざ遠出するは愚なれば、二驛先の町までの外出に留め、有意義な買ひ物を樂しんだあとは散歩代はりの徒歩で帰路につく。線路沿ひの道を歩いてゐると、とっくに追ひ抜いて行ったはずの電車が、途中で停車してゐた。またもや誰かが緊急停止させたものと見える。首都圏の各鐵道は . . . 本文を読む
予報通りに、東京都心郊外は午前九時頃から小雪が舞ひ始め、やがてしっかりとした雪粒となって路面を薄白く覆ふ。正午あたりがその頂點にて、あとは次第にいつものつまらない雨粒となって薄化粧を溶かし始め、昼過ぎにはすっかりいつものつまらないアスファルト、まずは気象予報士が昨日からお祭り騒ぎしたほどの「警報級の大雪」とはならずに済んで安堵。さりながら、奥地では雪の重みで竹林が倒れて傍を通る鐵路を塞ぎ、復旧まで . . . 本文を読む
dmenuニュースよりhttp://topics.smt.docomo.ne.jp/article/mainichi/nation/mainichi-20230210k0000m040155000c?fm=d3月13日(月)からマスクの着用を「各々の判斷に任せる」に緩和、但し公共交通機関内など“三密”空間は、「着用が効果的な場面」云々。地元と近隣の、ヒトのゐない場面では私もいい加減マスクを外すやう . . . 本文を読む
日本橋高島屋四階の高島屋史料館にて、「百貨店展」を覗く。 かつてはその高級感溢れる洋風建築にいち早くエレベーターやエスカレーター、空調装置を導入するなど、都市の生活文化を象徴し牽引する存在だった百貨店も、今年一月三十一日の澁谷東急本店閉館などに見る如く、浮世の著しい価値觀の変化によりその役目も曲がり角に来てゐる。賣場全体の収益で運營するのが百貨店、賣り場を貸し出してそのテナント料──“ショバ代”を . . . 本文を読む
外出が面倒に感じられたので、散歩を兼ねた買ひ物以外は部屋で好きな事を“お勉強”して、一日を過ごす。世のためヒトのためなどではない、自分のためのお勉強。それだけが、目的。だから、役に立って樂しいのだ。他人(ひと)に見榮張るためならば、やめちまえ。 . . . 本文を読む
dmenuニュースよりhttp://topics.smt.docomo.ne.jp/article/oricon/entertainment/oricon-2266754?fm=d早くからカブキ好きを表明してゐるわりに本名での出演が續き、いつになったらちゃんとカブキ役者として舞臺を踏むのかと思ってゐたら、今年の五月に『“初代”尾上眞秀』でやうやく正式に初舞臺、ですか。音羽屋に傅はる何かの藝名を繼ぐ . . . 本文を読む
冬枯れの堤道でちょっと立ち止まってゐると、散歩中と思しき枯れた年齢のヒトも、何故か私の傍で一緒になって立ち止まった。ヒトはどうしてヒトに簡單につられるのだらう。詐欺に引っ掛かる根本が、すなはちこれなのではないか。善良と單純は紙一重である。あちこちで梅がだいぶ見頃になってゐるが、地元の梅林は毎年満開の時期が遅いので、いま出かけてもおそらくはほとんどが蕾のままだらう。しかし蕾が開く頃までには、春の計画 . . . 本文を読む
東京都千代田區一番町の JCII PHOTO SALON にて、桑原甲子雄、濱谷浩の両氏が1935年頃の東京を撮った冩真展「東京 1930年代」を觀る。昭和十年頃の東京には様々な商賣人が街頭に佇み、或ひは通り、その多様さが街の彩りであったことを知る。それは、誰もが同じ見本をそっくり真似したそっくりサンばかりが往来する、現代の街頭風景とは画像の白黒が時間を完全に仕切ってゐて、もはや決して帰らぬ景色で . . . 本文を読む
ラジオ放送で、觀世流九皐會の「小塩」を聴く。都に住む男が大原野小塩山の花見で知り合った風情ある老人、實は在原業平の靈で、正体を明かすと雅びな車に乗って再び現れ、満開の櫻のもと昔日の戀物語に浸って舞ふ──とりわけ二條の后高子への戀は生涯強烈な思ひ出であり、曲もそれを下敷きにして作られてゐるが、後半はむしろ春の古歌を連ねて櫻春に酔ふ昔男の風情に主眼がおかれてゐる。この曲は仕舞ではちょくちょく出るが、本 . . . 本文を読む
國立劇場傅統藝能情報館で、今日から後期分が始まった「上方浮世絵展」を觀る。(※展示物の撮影可)遺された幾枚もの役者繪より、嵐家の華やかなりし時代へ想ひを馳せてゐるうち、奥の視聴コーナーから歌舞伎公演の記録映像の音聲が聞こえてきた。それは二昔以上前、師匠が最後にこの劇場に出演した芝居の映像だった。私も同じ映像を所持してゐるが、師匠が亡くなったのち、まともに一度も見て觀てゐない……、と云 . . . 本文を読む