作家の赤川次郎さんが「図書」にこんなことを書いておられた。
(略)橋下市長がアメリカ軍の司令官に、アメリカ兵の「風俗業の活用」を進言したことに唖然とした人が多かったのではないか。
日本に駐留するアメリカ兵は妻や恋人をアメリカに残しているわけで、その女性たちが夫や恋人にそんな行動を許すわけがないし、まして軍が奨励したりすれば司令官はアッという間にクビだろう。
橋下市長の想像力は、誠にいびつな形をしている。自分が戦争に行ったこともないのに、戦場の兵士の性欲処理が必要と言ってみたり、買春を禁止するのを「きれいごと」と批判したり…。
戦時中の慰安婦問題にしろ、現在のアメリカ軍の場合にしろ、橋下市長の話に共通しているのは、女性を男性のための「道具」としか考えていないこと。その想像力は、日に何十人もの兵士に犯される女性の悲惨には全く及ばないのだ。
石原元知事にしても、女性蔑視や同性愛者への差別発言などで、先進国なら何度も辞任させられているところだ。橋下市長の発言が「個人的な意見」で終ってしまうなら、もはや日本は先進国とは言えない。
忘れてならないのは、安部首相も基本的に橋下市長と同じ立場だということである。
慰安婦問題に「強制はなかった」と言い、かつての「侵略」すら否定しようとするのは、「九条」を葬り去ろうとすることにつながっている。
私は、橋下市長があそこまで非常識な発言を繰り返すのには、安部首相との打ち合わせの上、「憎まれ役」を引き受けることで、安部政権への批判をそらす目的があるのではないかとさえ勘ぐってしまう。
橋下市長個人への批判に終らせることは、安部政権の「衣の下のヨロイ」を見逃すことだ。たとえ口先でどう言おうと、橋下市長と安部首相は「同類」なのである。
東日本大震災の破壊された建物を残すか取り壊すか。―被災地での取り組みを紹介したNHK「クローズアップ現代」で、女川中学の生徒たちの姿に感動した。
広島の「原爆ドーム」も、保存へと立ち上がったのは中学生たちで、保存が決まるのに二十年かかったことも初めて知ったが、
「それなら私たちにもできる」
と、津波の爪痕を残すべく運動を始めた中学生たち。
その言葉、「千年後の人々のために」は、正に「遠く目指す星」である。
そして、「今は震災後ではありません。次の震災の前です」という言葉には胸を打たれた。
福島第一原発の処理すらめどの立たない中、「安全を確認して再稼働」と主張する安部政権や電力会社は、この中学生たちの言葉に恥じ入らないのだろうか。
大人たちは、この中学生たちの思いを裏切ってはいけない。(略)