喫茶 輪

コーヒーカップの耳

29年!

2017-02-09 14:53:36 | 将棋
「リビング」という広告誌を見ていたら、こんな欄が。

日本将棋連盟公認将棋指導者の梅本さんという人の教室の宣伝が載っている。
一時間半、6回の講座で9770円。

わたしが将棋の指導をするようになって何年になるのだろうと思い調べてみた。
記録に残っているのは。
 1988年(昭和63年)の「宮っ子」8月号だった。
29年前ですね。
その頃はまだ「将棋指導者」という制度は出来ていませんでした。
日本将棋連盟が普及のためにこの制度を作ったのはもっともっと後の1994年(平成6年)のことでした。
出来たのは知ってましたが、わたし改めてそれに応募しませんでした。
すでに何年も子どもの指導をしてきているのに、改めて連盟に上納金を納めて資格をもらおうとは思わなかったのです。
毎年会費も納めなければならないようでしたし、わたしの場合は純然たるボランティアでしたのでね。
もちろん今も、公民館で指導している「子ども将棋教室」は無料ですよ。
今となっては、こうして受講料を取って指導しておられる人の邪魔をしてるみたいですが、わたしの方がはるかに昔からやってきてますのでお許し頂きたいと思います。
さて、今夜もその「子ども将棋教室」が用海公民館でありますが、何人がやってくるでしょうか?
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タニヨシユキ君

2017-02-09 13:56:51 | 懐かしい話
昨日のこと。
月一度のかかりつけのクリニックでの受診。
待合所で本を読んでいたら
「タニ○○○○さん」と受付から声がした。
受付に足を運んだのは男性の老人。
その名前になんとなく覚えがあった。
清算をしてすぐに帰って行ったので、声をかける間もなかった。

もう60年近くもの昔、昭和34,5年である。
中学生の時の同級生に「タニヨシユキ」というのがいた。
勉強がよくできて、生徒会の副会長をしていたと記憶する。
仲が良かった。
彼の家ではいち早くテレビを購入していた。
大相撲が人気があって、よく見せてもらいに行った。
栃若時代である。
彼が家にいなくても、彼のお母さんが家に上らせてくれて見せて下さった。
だから、彼よりもお母さんと仲良かったような気がする。

そのお母さんとは何年か前にあることで二、三度書簡のやり取りをし、一度会いに行った。
昔のお礼に行ったのである。
頭のいい人だったので覚えておられた。
だけどもうそれからも何年にもなるので、今もお元気かどうか?

今日見かけたのは、あのヨシユキ君だったのだろうか?
ハッキリとは聞き取れなかったのだが、なんとなくヨシユキと聞こえた。
姿を見たのは後ろ斜めからだったので顔がわからない。
が、なんとなくナツメの実に似た頭の形は似ていた。
正面に回って「ヨシユキ君?」と訊くほどの確実性もなかったので、声はかけられなかった。
受付で聞いても患者の個人情報は教えてはもらえないだろう。

しかし帰宅してから、どうも気になる。
えいっ、本名で書こう。
谷善之君、今どうしてますか?
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『北越雪譜』

2017-02-09 07:39:43 | 本・雑誌
今朝の神戸新聞「正平調」欄に『北越雪譜』のことが出て来る。
《「大都会」と聞けば、かつてのテレビドラマを思い出す人もいるだろう。現代的な響きを感じさせるが、実は江戸時代の後期にはすでに使われていた。越後・魚沼、今の新潟の暮らしをつづる名著「北越雪譜」にこんなくだりがある。》と「大都会」という言葉の使用例を示す。
文は今の大都会東京の膨張ぶりの異常さを指摘しているもの。
その終りの方に、
《大都会と故郷とは「雲泥のちがひ」と雪譜は書いた。》とある。そして《こんな寂しい日本語はもう見たくない。》と。
あれ?雪譜という人が書いたと思うひとがあるかも知れない。
著者は鈴木牧之という人のはず。
昔、神戸の詩人安水稔和先生の教室で、この『北越雪譜』を教科書にして習ったことがある。
しかし、さすがというか、「正平調」を書いておられる人の博識ぶりには改めて驚きます。
どれほど広範に本を読んでおられるのだろう。
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