今日、神戸文学館でお会いしたF永さんからS野さんがお亡くなりになったと聞いた。
ショックが大きすぎる。
素晴らしい人格者。それを全く表に出されない。
これほど無私の人をわたしはほかに知らない。
宮崎修二朗先生の秘書の役割をずっとされていた。
先生を心から尊敬し、尽くしておられた。
黒子に徹しておられた。
あんなことは誰もできない。
わたしのことも、ずっと支持してくださった。
いつもわたしをおだててくださった。
いつも陰から支えてくださった。
「輪」へも何度ご来店下さったかしれない。
数十回いや、もっと多く。
知識も豊富だったがおくびにも出されない。
書く力も持っておられたが、決してひけらかさない。
見事な人だった。
その人から今年頂いた年賀状を見て、
わたしは「ただならぬ」ものを感じた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/39/eb/b8ee442068e4eff8e9120293ac7e34ee_s.jpg)
字も衰えておられる。
一度電話しなければと思っていたところだった。
最後にお会いしたのは、昨年7月、宮崎翁のお墓参りの時。
仲間と一緒に芦屋の霊園にお参りし、そのあと、西宮でみんなで食事をしたのだった。
すでにあのころしんどかったのに違いない。
わたしを見守ってくださっていた人達が次々と旅立たれてしまう。
ああ、辛い。
ショックが大きすぎる。
素晴らしい人格者。それを全く表に出されない。
これほど無私の人をわたしはほかに知らない。
宮崎修二朗先生の秘書の役割をずっとされていた。
先生を心から尊敬し、尽くしておられた。
黒子に徹しておられた。
あんなことは誰もできない。
わたしのことも、ずっと支持してくださった。
いつもわたしをおだててくださった。
いつも陰から支えてくださった。
「輪」へも何度ご来店下さったかしれない。
数十回いや、もっと多く。
知識も豊富だったがおくびにも出されない。
書く力も持っておられたが、決してひけらかさない。
見事な人だった。
その人から今年頂いた年賀状を見て、
わたしは「ただならぬ」ものを感じた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/39/eb/b8ee442068e4eff8e9120293ac7e34ee_s.jpg)
字も衰えておられる。
一度電話しなければと思っていたところだった。
最後にお会いしたのは、昨年7月、宮崎翁のお墓参りの時。
仲間と一緒に芦屋の霊園にお参りし、そのあと、西宮でみんなで食事をしたのだった。
すでにあのころしんどかったのに違いない。
わたしを見守ってくださっていた人達が次々と旅立たれてしまう。
ああ、辛い。
母のことを言及してくださってありがとうございます。
遺品整理をしていましたら、今村さんの本、宮崎先生の本がたくさん出てきました。
宮崎翁のことをダチョウさん!と呼び、小さい頃に母とお家を訪ねたり、一緒に旅行に行ったこともありました。懐かしいです。
コメントありがとうございます。
お母さまのおうちに何度か電話をしたのですが、つながらなくて…。
メールアドレス、教えて頂けませんか?公開しませんので。
よろしくお願いいたします。