『ほどらいの恋』の中の「鬼が餅(あも)つく」ですが。
「おっこちゃん」という言葉が出て来る。そして、それに関連して次の一行。
《不意に上原は、記憶の底を揺すぶられた気がした。》
初めの方に出てきたのだが、これが物語の綾になり終盤にまで響いてくる。
わたしもこの「おっこちゃん」に記憶の奥の方を揺すぶられる、というほどではないが、触られる気がしたのだった。
幼稚園の時だから76年前。懐かしい話だ。
毎朝、近所のお姉ちゃんに手を引いてもらって浜脇幼稚園に通ったのだった。
そのお姉ちゃんは中学だったか高校だったか分からないが、同じ道で浜脇幼稚園より向こうにあったので、親が頼んでくれたようだった。
1キロメートルばかりあったので、幼稚園児一人で通うには遠すぎた。
そのお姉ちゃんのことをわたしは「おっこちゃん」と呼んでいたのだった。
名前は「ひろ子」さんだったのだが、なぜかそう呼んでいた。
そのおっこちゃんも今になって思えば家庭的に複雑なものがあったような気がしている。
この小説の主人公も複雑なのだ。
わたしの「おっこちゃん」は今どうしておられるだろうか。元気にしておられるだろうか?