喫茶 輪

コーヒーカップの耳

届きもの

2012-11-26 17:53:54 | 文学

今日は二つのうれしい届きものがあった。
一つは松岡さんから。
Img057
これ、手づくりなんです。
コピーしたのを糸で綴じてある。
貴重な一冊だ。
恥ずかしながら田内静三という詩人、わたし知りませんでした。
明治33年生まれ。昭和53年歿。
この詩集は昭和50年に発行された私家版ということだ。
洗練された作品が12篇。
読んでみると、半透明の心の容れものの襞をうちらがわから見ているような詩。読む者の心に密着するような詩。それでいて透明感もある。とわたしが解ったようなことを言っても作者にとっては見当違いなのかも知れない。
中に一篇、ちょっと気になるのが。
Img058
これのタイトルが。
「直指」とある。
内容から察すれば「直視」なのでは?と思う。
もしかしたら誤植?
けど「直指」という言葉もあるのだ。
http://www.rinnou.net/cont_04/zengo/060501.html
「じきし」と読む。
この意味、難しいが、「直視」に通ずるものがある。
禅語である。けど、添えられていた田内さんの年譜に禅に関するものはない。とは言っても、東北帝国大学卒で後文部省に勤務するなど教養人である。知っていて使われたのだろう。
この詩集、また改めて読み直さなければならない。その時、また印象は変わるかもしれない。そんな悩ましい詩集だ。

あと一点の届きものはまた改めて。

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ボケた。本気でボケてきた。

2012-11-26 11:42:59 | 喫茶・輪

今朝のことだ。
新聞を取り入れて来て、ホッチキスでとめる。
いつものことだ。
途中で、針が無くなった。
で、小物入れに入っているのを取りに。
ところがない。あれ?おかしい。ここに入れてるはず。
けどない、とあわてていた。
ところがだ。
わたしが小物入れの引き出しを開けて探していたのは、ホッチキスだったのだ。
針を取りに来て、ホッチキスを探していたのだ。そんなバカな!
これはちょっとしたボケではない。本格的なボケだ。
そんな話を店でしていたら、「あるある、わたしもよくある。探し物をしていて、何か分からなくなって、また元の所に戻って考えたり…」などと慰めて下さる人もある。
で、杉山先生の詩を思い出した。



ものをとりに部屋へ入って
何をとりにきたか忘れて
もどることがある
もどる途中でハタと
思い出すことがあるが
そのときはすばらしい

身体がさきにこの世へ出てきてしまったのである
その用事は何であったか
いつか思い当たるときのある人は
幸せである

思い出せぬまま
僕はすごすごあの世へもどる

いいですねえ。

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滉と勢関

2012-11-26 08:47:38 | 勢関

 
わたしがなぜ勢関を応援しているかということをもう一度ここに記しておこう。
実はこういうことである。

『滉よ』という詩集がある。
 わたしが孫の滉のことを書いた詩集だ。その3号は2006年に発行している。
 その中のこのページ。
Photo

 まだ三段目の勢翔太さんだ。
 
 
 
 
あれから6年余、やはり彼は出世してきた。
やはり滉は人に幸せを運ぶのだ。
そして、滉は今、小学一年生。

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勢翔太関

2012-11-26 08:36:05 | 勢関

昨日、大相撲九州場所が千秋楽でした。
Img056

わが勢関は幕内で初めて勝ち越してくれました。

Img056_2

9勝6敗のまずまずの好成績です。
今場所の取り口を見ていると確実に地力が着いてきてました。
次場所はさらに上位力士と対戦するでしょう。
で、相手をもっと研究しなくてなならないでしょうね。
実は彼、取り組み相手を当日の朝に確認するということです。意識して前日には見ないようにしているのです。ぐっすり寝て、朝起きてから知るということでしょう。が、今後はそれではちょっと…という気がします。やはり相手を知って、ビデオを見るなりして研究して臨むべきでしょう。それで負ければ、それは実力の問題。
ということで、来年はさらに上位を目指し早く三役に入ってほしいです。

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出石高校3年3組

2012-11-25 23:55:04 | 出石

23日だから一昨日だ。
わたしは宝塚へブルーグラスのコンサートに。
そしてカアチャンは出石高校の同窓会で豊岡へ。
で、その夜はわたし一人。
こんなことは一年に一度もない。
「淋しくない?」とか聞かれるけど、一泊だけだから大丈夫。

これが何日もになると、淋しいというよりも不便だ。
わたしはなにも出来ない。
いつもなら、寝る時は布団もきちんと敷いてある。
朝起きたら、その日着るものはみんな揃えて置いてある。
食べるものもみな用意してもらえる。
わたしは洗濯も出来ない。
自慢じゃないがわたしは家事は何もできないのだ。
でも最近は、何でも売っているし、一日や二日ならなんとか生きていける。
カアチャンは車で行っていた。
ので昨日、帰りには田舎からお野菜をいっぱいもらって帰って来た。
車にいっぱい、大根など。
まるで八百屋の仕入れのように。
今日はそれをいつもお土産を下さる人に配り歩くのに大忙しだった。
うちのカアチャンはエライぞ。


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すくなかぼちゃ?

2012-11-25 22:09:21 | 日記

すこし前にここに紹介したと思うのですが、「すくなかぼちゃ」のこと。
Cimg2402
実は、どうやら違っていたようです。
このカボチャが西宮に来たのは、家内の義姉さんの豊岡から。
そこから色んな所に貰われていったのですが、その過程で「すくなかぼちゃ」という名前になっていました。でも先日うちに見えたお義姉さんによれば「違うで。よう似とるけど、すくなかぼちゃじゃぁにゃぁで」と。しかし本当の名前はご存知ではなかった。ただ「すくなかぼちゃ」ではないと。
それで、そのいきさつを森文子さんのブログにコメントしたら彼女、調べて下さいました。
で、どうやら「南部一郎」という名のかぼちゃなのだと。
このブロを見ると ↓ そうですね。
http://blog-s-farm.hideyoshi-inc.com/article/48208133.html

ということで訂正します。あの面白い形をしたかぼちゃは「南部一郎」でした。

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ニカラグァ米 5

2012-11-25 16:34:01 | 懐かしい話

子ども時代の想い出の第5回目。

想い出はどうしても隣のお地蔵さんがらみになる。
古いものを触っていたらこんなのが出て来た。
Cimg2399 きれいな字が書いてありますねえ。どなたの字だろう。この近所で達筆といえば多分、瀬川典さんかな?もう亡くなられて久しい。
戦災に遭って焼失したお堂の再建のための記録である。
昭和25年というから62年前だ。
Cimg2400
世話人の名が並んでいる。懐かしい名前だ。もちろん全て亡くなっておられる。
今村武夫はわたしの父である。
しかし、字が間違っている。武男が正しい。ということでこの字は父の字でないことはたしか。
父もいい字を書いたが少々癖が強かった。この記録簿の中にも見える。

で、こうして集めた浄財が、計30151円也とある。
いくら物価の安い頃だとしてもこれで立派なお堂が建つわけがない。
取りあえずの仮普請である。屋根はトタン葺き。
当時の写真はないが、昭和62年、取り壊す直前のものがある。
Img053わたしが撮った写真だ。
取り壊すための足場が組まれている。右端に写っているご婦人は今は亡き田淵さん。
この人には多くの想い出が有る。またいつか書いておかなくてはならない。
どうですか、貧相なお堂でしょう。
ここで、どれほど遊んだか!雨ふりの時の子どもの恰好の遊び場でもあった。
ベッタン、ビー玉などして夢中で遊んだものだ。
ちょっと見えるかな?お堂の両脇に斜めに補強の柱があるのが。
これに関する記述が、この記録簿にある。
建ちあがったあとのことだ。
「ジェーン台風修理代」として270円。その材料木材費として980円。
ジェーン台風は死者不明者500名以上を出した台風。昭和25年9月3日に阪神間を襲った強力台風だった。
8月24日の地蔵盆に間に合わせて、せっかく建てたお堂が歪んでしまったのだった。
それで修理して、さらに補強したのが写真に見える斜めの柱だった。

この台風は子ども心に恐かった。私どもは学校に避難した。近所の子どもたちも一緒に同じ教室に。あたり一帯は高潮で浸水。瓦も吹き飛んで壊れて道に散乱していた。

あ、そうだ。寄付金だが、大体、一軒あたり100円ぐらいだが、下は20円からある。
そして最高額が「山一商会」櫻田喜一さんの3000円。酒の樽か箱を製作しておられたと思うのだが…。このお地蔵さんに縁が深かったのだろう。そして「日本盛」が2500円とお酒6本だ。
ずうーっと名前を見ていると、うちの父親の関連の人の名前が多い。昭和25年はまだ若いころだ。でも頑張ったのだ。
そうして建ったお堂だが、このお地蔵さん、仮住まいのまま昭和62年まで過ごされることになる。

この帳簿の中に面白い物が挟まっていた。
Cimg2401「帝国在郷軍人會」
バックの絵が戦闘機、鉄兜、銃、戦艦、そして西宮市章。
昭和25年にまだこんな物が残ってたんですねえ。

つづく

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「わが心の自叙伝・鹿島和夫」7

2012-11-25 12:34:26 | 足立巻一先生

鹿島さんの自叙伝、7回目です。
Img052
今回は重要なことが書かれています。
灰谷健次郎さんとの出会い。
これが鹿島さんのその後の人生を決めます。
”私は灰谷さんの才能を尊敬し、親交は生涯続いた。“とある。
灰谷さんは、足立巻一先生を実の父のように慕う人でした。
足立先生が亡くなられた後の、足立先生を偲ぶ会に出席された灰谷さんの言葉が印象的だった。
「わたしは父親だと思っています。亡くなったとは信じておりません。今も、足立さんに何かを送る時には、宛名を奥様にではなく足立巻一先生宛にしてます。これからもずっとそうします。奥様ゴメンナサイ」
足立巻一先生と言われたか、足立さんと言われたかは忘れたが、そのような意味のことを言われたのを覚えている。
ということで、鹿島さんが生涯薫陶を受けた灰谷さんは足立先生に多大な薫陶を受けておられたというわけだ。
足立先生と灰谷さんの関係は、児童詩誌「きりん」による。
わたし、そのバックナンバーを6冊保有しているが、その内の一冊。
Img646昭和38年発行。
子どもの詩がたくさん載っているのだが、
ここにも足立先生の「牛乳家族」と灰谷さんの「詩のコクバン・マコチンチンものがたり」という文章が載っている。
何れも心温まる文章だ。

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ニカラグァ米 4

2012-11-24 12:48:49 | 懐かしい話

前の記事のころの話。
この写真。
Img711
小墓圓満地蔵尊の境内である。
お堂はない。礎石だけが残っている。
戦前は立派な瓦ぶきのお堂があった。が、戦災で焼失してしまった。
学校との境界の煉瓦塀も一部崩れている。
ここからわたしたち子どもは自由に出入りし、トンボやバッタを追いかけた。
学校はまだ復校しておらず、残っていた鉄筋校舎は臨時市民病院だった。

これは航空写真。
23
校庭に並んでいる車は多分進駐軍のもの?
周辺はまだ焼け野原である。
この校庭に父は畑を作っていた。
南東隅あたりである。今のプールの場所。
家の便所から肥料を運んでいたのを思い出す。
傍らには奉安殿がまだ建っていた。後に壊されてゆくのを見た。

つづく

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「ブルーグラス45」i n宝塚

2012-11-23 19:26:07 | ブルーグラス
宝塚西公民館へ「ブルーグラス45」のコンサートに行って来ました。
公民館といっても立派なホールで、ステージ、音響、照明も本格的でした。
定員は150人でしたが、両脇に急遽補助席も設けて超満員でした。
ゲストに諸口あきら、赤城一孝を迎えての充実したコンサート。
諸口さんは、さすがに少々老けておられましたが、渋い歌声は魅力的でした。
「45」のリードボーカル、ジョッシュ大塚さんの生の演奏を聴くのは何年ぶりでしょうか?多分35年ぶりぐらい。神戸の名物ライブハウス「ロストシティー」で聴いて以来。御歳は68歳。しかし元気いっぱいだ。懐かしい!
会場は録音撮影禁止でした。が…

Cimg2375
http://www.youtube.com/watch?v=WVm6Ig3B3FE&feature=plcp

いや楽しかった。アンコールもたっぷり、2時間半、ブルーグラスの世界に浸かってきました。

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森文子さん

2012-11-23 11:44:46 | アート・文化

もう2年以上になる。この人と繋がったのは。
森文子さんという。通称「ぶんぶんさん」
わたしが何かを検索していて、偶然この人のブログを覗いたのだった。
なにかフィーリングが合って、その後お付き合い願っている。
この人のブログを見ると、いつも心の琴線(お前の心に琴線などあるのか?の声あり)に触れる思いがする。
http://shingetsu-usagi.com/blog/
宮城県角田市にお住まいの、女道化師が彼女のお仕事。
昨年の、3・11のあと、しばらく消息がつかめず心配したが、無事だった。
その人に、この前の面白いカボチャを陣中見舞いとしてお送りした。すると、こんなものをお返しに送ってきて下さった。
Cimg2341
わたしの孫への絵本など。

そして、これは来年のカレンダー。
http://www.egao-project.com/
Cimg2344 Cimg2338
これは被災地の復興を願って発行されているもの。
このカレンダーのこの部分、Cimg2340
この方言が面白いのだが、これのアドバイスをぶんぶんさんが携わっておられるのだと。
ブログでも東北なまりがバンバン出て来てわたしはいつも楽しませてもらっている。

さて、そのぶんぶんさん、こと森文子さん、この度「週刊朝日」に登場。
Cimg2355 この表紙の人ではありません。
こちらのページ。
Img050
マルチ人間のドリアン助川さんの連載記事「ドリアン助川が折りたたみ自転車で走った おくのほそ道 2012 「災後」の東北を訪ねて」の記事中に彼女が登場してます。
偶然知り合った彼女ですが、なんとも魅力的な人物です。
ありがとう、ぶんぶんさん。

あっ、お送り頂いたのは、地元の切手のシートなどほかにもありました。
人(清水さん)が畑で作ってわたしに頂いたカボチャをお送りしただけなのに、色々とお気づかい頂きましてありがとうございました。








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齋藤隆夫

2012-11-23 10:29:56 | 出石

今朝の新聞にもうひとつ興味深い記事が。
Img051
出石出身の政治家、齋藤隆夫の記事が。
あの軍国主義華やかなりしとき、国会で軍部を批判する演説をし、追放された政治家である。
その資料の展示が東京、憲政記念館で行われるのだと。
わたしはもう10年ほど前に、出石にある「齋藤隆夫記念館」に行ったことがある。
その時、そこでこの本を購入し読んで感銘を受けた。
Cimg2353『齋藤隆夫かく戦えり』(草柳大蔵・文藝春秋)
いまこそ、齋藤さんの精神を学ぶべきではないだろうか。
「日本は軍備を増強しなければいけない。徴兵制にして、核も持たなくてはならない」と発言して憚らない政治家が人気を博すようになってきている。恐ろしいことだ。

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「杉山平一さんの文学と人生」

2012-11-23 09:46:14 | インポート

今朝の神戸新聞。
Img048
杉山先生の作品による朗読劇が行われると。
12月9日。
宝塚西公民館!!!
今日、午後わたしが行くことになっている公民館だ。
今日は「ブルーブラス45」のコンサートがある。チケットは早々に売り切れたということだが、予約してある。
杉山先生は、大阪、神戸、芦屋、西宮にも縁の深い人だった。特に西宮は終焉の地である。にもかかわらず、宝塚にとられてしまった感がある。「宝塚ゆかりの詩人」とある。宝塚市長、中川智子さんがっすっかり杉山先生のファンになってしまわれたのだ。中川さんは文人でもあるようで。西宮ではムリですね。残念。

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新しい日本の歌 5

2012-11-22 10:25:36 | アート・文化

柴田実さんから送って頂きました。
Img046_2
これはパンフレットですが、チケットも同封されていました。
柴田さん、ありがとうございます。
29日は木曜日。木曜日の夜は将棋教室の指導に行く日ですが、第5週は休みですので今のところ空いてます。
プログラムを見て、あ、と小さく声が出ました。
柴田さん作詩、3曲のうち、2曲を歌われる歌手、薬谷佳苗さんはわたしの知人の娘さん。佳苗さんは、県立西宮高校音楽科出身。たしか第1期生だったと思う。実力派の歌手です。

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ニカラグァ米 3

2012-11-22 08:49:30 | 懐かしい話

前回に「東町配給所」の西隣にあった畑の見える写真を載せた。
Img710
トウモロコシ(サトウキビだったかも?)が見える。
ある日、この畑を鍬で耕していた父は焼き物を掘り当てる。
エビス像だった。そして、また日を経て今度は大黒像を。
一対が揃ったわけだ。
しかし、像には火傷の痕が。
そう、ここには戦前民家があり、戦災で焼け崩れたのだった。
配給所とこの畑を合わせた土地が、今のわたしの家と店だが、戦前は二軒の民家が建っていたのだと。うち一軒は、先の空気銃の田淵さん宅。田淵さんはなぜか戦後、この場所から北方へ4軒目に変わっておられた。
で、この一対の像だが、そのどちらかのお宅に祀られていたものだったはずである。
しかし不思議なのだ。家が焼け崩れてしまったのに、この2体の像は、火傷は負っておられるが、ほとんど無傷だった。
以後、父はこの像を神棚に祀って大切にしていた。
引き継いだわたしも、我が家の守護神として大切にお祀りしている。
Cimg6028
元々は彩色されてたのだろうが、戦火で素焼のようになっておられる。
左、大黒様、右、恵比寿様。

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