喫茶 輪

コーヒーカップの耳

勢関、初めて白鵬に勝つ!

2016-07-18 18:40:21 | 勢関
勢関、初の金星。
まるで空気投げのように白鵬を念力で投げ飛ばしました。
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『半どん』№166

2016-07-18 15:42:12 | 本・雑誌
『半どん』№166が届きました。

「はんどん」と読みますが、前にこの字を見たsatoは「ぎゅうどん」と読みました。
うん、たしかにそう読める。

今号にも小文を書かせて頂いてます。
「ブックレビュー」に佐藤勝太さんの詩集『名残の夢』の書評を。
宮崎修二朗翁はハイレベルの随筆を書いておられます。
←二段階クリック
94歳、書斎から離れたところで、よくこれだけのものが書けるものです。
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手紙書き

2016-07-17 14:33:18 | 日記
毎日のように礼状などの手紙やハガキを書いている。
しかし、どうしても溜まってしまう。
今日は朝、早くから書き始めた。

やっと5通書いたところで休憩してテレビの将棋観戦。
今日は我が井上慶太九段が解説役。
そして慶太さんのお弟子さんの菅井七段が糸谷八段と対局。

見なくてはなりません。
残念ながら菅井君、負けてしまいました。
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浜脇幼稚園100周年

2016-07-16 09:15:21 | 懐かしい話
わたしが昭和25年に卒業した浜脇幼稚園が今年創立100周年なのだと。
来週土曜日(23日)に記念座談会が催される。
それに出席をとのお招きを頂いていたのだが、先約があって欠席させて頂くことに。
「宮水ジュニア・将棋教室」の第二回目が早くに決まっていたので。
わたしなりの思い出もあって残念だなと思っていたのだが、
それなら記念誌に原稿をとのご依頼を頂いた。
これはありがたい。
で、昨日、園長さんが依頼書を持って来て下さった。
この園長さんがまた縁のある人で、昔、わたしの長男が小学生の時の担任教諭。
しかも、その後、ずっと年賀状を交わさせて頂いたりしている。
手土産を持って来て下さった。
そのうちの一つがこれ。

花巻の宮沢賢治記念館へ行ってきたとのこと。
南部型染のかわいいコースターです。
ちょっとした心遣いがうれしいですね。
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東夕凪橋

2016-07-15 15:30:38 | まち歩き
用海町から染殿町に行く道に橋がある。
六湛寺川に架かる橋。

かなり老朽化してます。

欄干はひどいもの。






上の傘は台からずれて今にも落ちそう。

何年か前には、橋の基礎部分は補強工事が行われた。

しかし、上の欄干などは手つかずのまま。

この橋の名前、わたしこれまですぐ近くに住みながら、知りませんでした。
最近知って驚きました。
←クリック。
「東夕凪橋」というんですって。
美しい名前です。
恐らく江戸時代につけられた名前でしょう。
むか~しの地図を見ますと、この辺りに「飛脚道」というのが通っていますので、ここかも知れません。
西宮市さん、この橋、なんとかきれいにしてもらえませんか?
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『隣の隣は隣』

2016-07-15 14:22:11 | 本・雑誌
神戸の詩人、安水稔和氏よりお贈り頂いた。

『隣の隣は隣―神戸 わが街』です。
700ページ近くもある大冊。
とても一気には読めませんが、パラパラと拾ってみたところ、至って読みやすいです。
また、これまでに読ませて頂いたものも多く、わたしの心に添うようなものばかりです。
手の届くところに置いておいて、追々と読ませていただきます。
内容ですが、「あとがき」を紹介するのがいいでしょう。
←二段階クリック。


安水先生、ありがとうございます。
どうかお元気で、まだまだ書き続けて下さい。
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「岐路の一局」井上慶太九段

2016-07-15 08:21:48 | 将棋
今朝の神戸新聞。
←クリック。
「岐路の一局」の井上慶太九段の巻の最終回です。
もう20年にもなるのだ。
今、囲碁の井山七冠が話題になっているが、20年前に将棋で羽生善治九段が七冠を達成し、大きな話題になったのだった。
その羽生七冠に最初に勝ったのが我が井上九段だったというわけ。
記事はその時の棋譜を元に書かれている。
最後の慶太さんの言葉が面白い。
≪感想戦を終え、将棋会館を出る井上を芸能リポーターが呼びとめた。「勝った気分はどうですか」。感想を求められたが、無言で通り過ぎた。「今思ったら、いっぱいしゃべっといたらよかったなあ」。懐かしそうに笑う」≫
いかにも慶太さん。庶民派棋士の面目躍如である。
好きやなあ、慶太さん!
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鳴尾浜工業団地

2016-07-14 16:38:44 | 日記
阪神大震災前後の三年間働いた工業団地の鳴尾浜へ行ってみた。
甲子園に行ったついでに。
団地内の様子はあまり変わっていなかったが、経営者はある程度変わっている。
その中で、ちょっと気になる工場を訪ねた。
清原鉄工所という町工場。
親父さんがわたしとほぼ同年代だったと思う。
カントリー音楽の好きな人だった。
大変気のいい親父さんだった。
うちの工場へ来て、「これ加工しといて」と言って図面を置いて行く。その時「急がへんで。いつでもええ」と言いながら、
しかし日を置かずにやってきて、「出来てるか?」と。
「出来てない」というとまた、
「いや、急がへん。いつでもええねん」と言って帰る。
そしてまた、すぐやって来て、「出来てるか?」と。
そんな人だった。
久しぶりに会いたくて行ってみたら、会社はあった。
しかしシャッターが下りている。
一瞬、もうやめているのかと思った。
もうかれこれ20年ぶりだ。
しかし、二階の事務所には電気が点いている。
シャッターの横のドアノブを回すと扉が開いた。
中で機械にとりついている人が二人ほど見えた。
懐かしい鉄の匂い。
「親父さんは?」と聞くと
「今、出て行ってます」と。
息子さんかな?わたしが勤めていた会社(今はもうない)の名前を言うと
「ああ」と言って覚えておられた。
「ちょっとこっちへ来たので、久しぶりに親父さんの顔を見たくて」と言って帰ってきた。
元気にされてるのが分かっただけでも良かった。
20年経っても鳴尾浜の様子はあまり変わっていなかった。
因みに、わたしが勤めていた工場は、その後違う業種の工場が稼働していて、忙しそうだった。

ここへ行ってみたくなったのは、今読んでいる本の影響で。
小関智弘さんの『おんなたちの町工場』という古い本。
今日読んでいたら、キャドの話が出てきた。
わたしが20年以上前に工場に働きに行ったのは経理職でだった。
しかし社長にキャドをやれと言われて、いやいやだったが始めた。
それがそのうち面白くなった。自分に合った仕事だった。
他のどの仕事よりも楽しくなった。というより、ほかの仕事はみなイヤだった。
キャドは時間を忘れてやっていた。
これについては思い出すことがいっぱいある。
そんなことを思い出して、行ってみたくなったのである。
また行ってみよう。
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「ドクターG」出演のドリアン助川さん

2016-07-14 14:00:19 | ドリアン助川さん
昨夜のNHK「ドクターG」にドリアン助川さんがご出演でした。

この番組いつも録画して見てます。
昨夜は、6歳の子の急性白血病がテーマでした。
かわいい女の子が好演していました。
難しい病気なので、ちょっと切ない気が。




「ドクターG」はいい番組ですが、これまで胸が熱くなるような感動を受けたということはありませんでした。
しかし昨夜は感動しました。
助様も、番組の最後のコメントで「わたしは今、胸が熱くなっております」と言われました。心からの言葉と共感しました。
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花森安治と杉山平一先生

2016-07-12 15:38:33 | 杉山平一先生
今日の神戸新聞夕刊。


NHK朝ドラ「とと姉ちゃん」に出てくる「暮らしの手帖」編集長が話題に。
花森安治さんである。
花森さんは、我が杉山平一先生と縁のある人。
杉山先生が「わたしの会った人」の中で書かれている。
←クリック。


活き活きとした文章です。
杉山先生は、花森の後を追って東大美学科へ進まれたのだ。
≪…花森は、それから私を銀座へ連れてゆき、たばこの煙のもうもうとしたハイカラな喫茶店で「文学部には十七の学科があるが、これはボール箱に十七の穴があるようなもので、入ってしまえば中は一緒や。ただ、出るときには、もとの穴から出んならん」と、明快に大学を説明してくれた。≫

そして最後、
≪彼はよく、いまはホップステップのホップだといっていた。彼の死は大々的に報じられたが、彼はまだステップの段階にいた。もっと高く遠くジャンプする人だった。≫
いかにも杉山先生らしい文章です。

若き日の花森安治(左)と杉山先生(右)。『杉山平一全詩集』(編集工房ノア)よりお借りしました。
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立会人のおしゃべり

2016-07-11 17:24:08 | 日記
今日の神戸新聞夕刊の「イイミミ」欄。
←クリック
これはあきませんね。
わたし、長いこと立会人してますけど、この立会人は最悪です。
わたしたちも人間ですから、隣に座っている人があればしゃべります。
朝7時から夜8時まで、13時間の無言の行はできません。
だから選挙人が投票所内におられない時、世間話などします。
しかし、選挙人が入って来られたら、おしゃべりは止めます。
そら、数秒ぐらいは話が続くかも知れませんが、選挙人の邪魔になるようなことはありません。
ちゃんと投票の様子を見守っていますよ。
大した額ではありませんが一応報酬もいただいてますし。
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『花冷』(渡部兼直)

2016-07-11 14:59:42 | 
大分前に、鳥取の詩人、渡部兼直さんから『花冷』というオシャレで上品な造りの詩集をお贈り頂いていた。


エロチシズムの香りがほのかに漂っていて、いかにも兼直さんの詩集です。
エロといっても教養の裏付けがあってのもの。上品なのです。
練りに練られていて珠玉のような作品。

巻頭詩です。
←クリック。
ね、色っぽいでしょ?

次に巻末詩。
←クリック。
かなりなもんです。

この、最初と終わりの間にある詩がまた素晴らしい。
古近東西の書物を読み深い教養を積んだ上での作品です。

何度かお会いしたことのある兼直さんは、魅力的な詩人さんです。
もう長くお会いしていない。また会いたいなあ。
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投票済証

2016-07-11 08:13:49 | 
昨日は早朝から夜まで、投票所での立会人でした。
家にはsatoたちが来ていたらしいのですが、会えずでした。
投票所から帰宅してからのsatoとの電話で、satoは
「ジーチに会いたかったのに」と言った。
なんと可愛いやつ。
しかし、ジジがもてあそばれているのかもしれない。
そういえばsatoはもっと幼いころから「satoはジーチのもの」と言ったりして、ジジたらしだったのだ。
うん、これからもずっとたらされて行こう。

写真は「投票済証」です。
わたしの投票所で、これを持ち帰られたのはわずか数人でした。
いつもたくさん残っていて、印刷代がもったいないなあと思っています。
コメント (2)
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「宮水ジュニア・将棋教室」2016年7月9日

2016-07-09 17:24:29 | 将棋
今津公民館での「宮水ジュニア将棋教室」。
午前10時からなのですが、わたしは早く来ている子のために、9時半ごろには入って詰将棋の問題を出しておきます。

昨夜来の大雨が、朝もまだ残っていて、どうかな?と思いましたが、ほぼ全員の出席でした。
会場の後ろの方で、保護者さんも見学して下さってます。





つい熱が入って、喉が少し痛くなりました。
年ですね。
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「雄岳院」

2016-07-08 15:48:47 | 日記
用海町の信行寺さんを訪ねた。
『六甲』7月号に信行寺さんのことを書かせてもらったので、一冊呈上に。
「どうぞ、どうぞ」と言われて部屋へ上げて頂き、ちょっとおしゃべり。
前に、取材の時に聞いた話で気になっていたことをお訊ねした。
「うちの親父の院号を雄岳院とご存知でしたが、なぜ?」と。
すると、
「お米の配達に来られた時の世間話で、大峰山で修業していて雄岳院という院号を戴いたとおっしゃっていました」と。
うわ~っ!である。
親父が死んで、もう55年を過ぎる。
院号をもらったのはもっと前だから、60年ほど昔の話だろう。
信行寺さんはうちの旦那寺ではない。
なのに、世間話の中でのこんなことをよくもまあ覚えておられたものだ。
なんという記憶力!!
他にも、用海小学校にプールが出来た時(昭和36年)の話で、土中から人骨が大量に出てきた話など、興味深くお聞きした。いずれ又。
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