地理の部屋と佐渡島

2009年4月よりの佐渡単身赴任があけ、2014年4月より長岡へ。別れが絆をより深めた。今後ともよろしくお願いします。

三国川(さぐりがわ)ダム ⑥ ダム湖一周中の風景

2019年10月01日 05時08分54秒 | 新潟地理歴史
新潟地理歴史・写真撮影:2019.08.24  今回がシリーズの最終回である。昨日まで対岸を戻る感じで、その際の風景を一部紹介。そしてシメに旧六日町のマンホール蓋、帰路に撮影した旧大和町のものも紹介する。       Photo-01 五十沢第一発電所を下津川を挟んで見ています。右下はトイレです。       &nb . . . 本文を読む

三国川(さぐりがわ)ダム④ 中ノ岳登山口

2019年09月29日 05時43分58秒 | 新潟地理歴史
新潟地理歴史・写真撮影:2019.08.24    十字峡小屋にいる。道を挟んだ反対側に中ノ岳への登山口がある。地図からすると直登できるルートはここだけのようだ。いずれにせよ、十字峡からさかのぼれる沢沿いのその奥にある山々がなかなかよい。どれ一つ山頂に立ったことは無いが、あこがれはある。川を流れる水はいたって透明で三国川の源流に近いことを感じる。自然も豊か、そして渓流釣りファンにもた . . . 本文を読む

三国川(さぐりがわ)ダム③ 十字峡 分水嶺を意識してみると面白い

2019年09月28日 06時31分25秒 | 新潟地理歴史
新潟地理歴史・写真撮影:2019.08.24  十字峡。十文字の縦の線を三国川とすると、下流から見て左は黒又沢で、右が下津川だ。これらは中ノ岳から兎岳、丹後山、越後沢山、三つ石山などと続く越後から上越国境にいたる峰々を源流としている。実はこれらの峰々と水系を分かっているのは信濃川と阿賀野川と利根川という国内屈指の大河である。そこが面白い。ちなみに群馬側の境を越えると矢木沢ダムの奥利根湖に水が集ま . . . 本文を読む

三国川(さぐりがわ)ダム② ダム湖の名はしゃくなげ湖

2019年09月27日 05時02分27秒 | 新潟地理歴史
新潟地理歴史・写真撮影:2019.08.24    このダムは治水・利水目的のダム。下流域に広がる南魚沼の水道や水田地帯へ安定した水を供給。その一方で五十沢第二発電所では、最大出力9,100kwの発電をしている。南魚沼市は深い山々に囲まれると同時に、全国屈指の豪雪地。そもそも山間に降り積もる雪そのものが天然のダムで、安定した水量をより確保できる。ダムは人々の暮らしを守るのだ。このダム . . . 本文を読む

三国川(さぐりがわ)ダム① 南魚沼市の治水・利水ダム

2019年09月26日 05時08分04秒 | 新潟地理歴史
新潟地理歴史・写真撮影:2019.08.24     「みくにがわ」と呼びたくなるがさにあらず。  「さぐりがわ」と読む。ダム湖はしゃくなげ湖というが、周囲にシャクナゲが多いからと言う。六日町から三国川沿いの道を越後三山を目指すように進む。ちょうどその方向に主峰の中ノ岳があるが、あっという間に奥山に来た感じとなる。昨日までは訪問地の関係上、田子倉ダムと只見ダムを紹介して . . . 本文を読む

河井継之助の足跡をたどり⑦ 只見ダムと只見湖

2019年09月25日 05時08分54秒 | 新潟地理歴史
新潟地理歴史・写真撮影:2019.08.17    いよいよ、シリーズ最後となった。田子倉発電所は1961年、当時日本一の出力を誇る水力発電所として全台運転を始めた。その時の総出力は38万KWだった。その後2012年に完了する発電機の更新により、40万KWとなったが現在は一般水力として二番となっている。田子倉ダムは高さ145メートル、長さ462メートルのダムで、約5億立方メートルの水 . . . 本文を読む

河井継之助の足跡をたどり⑥ 叶津番所(旧長谷部家邸宅)

2019年09月24日 05時08分02秒 | 新潟地理歴史
新潟地理歴史・写真撮影:2019.08.17  叶津番所(旧長谷部家邸宅)は江戸時代後期に建てられた長谷部家の住宅である。入口で馬を飼う曲がり屋(または家)で、屋根裏では養蚕を行っていた。会津と越後を結ぶ八十里越の番所として会津藩の役人が滞在した武家造りの奥座敷がある。 引用:福島県只見町 只見ユネスコパーク 自然首都只見    曲がり屋とは平面がL字型の家屋を言う。南部曲り家が . . . 本文を読む

河井継之助の足跡をたどり⑤ 医王寺 河井継之助の墓

2019年09月23日 05時00分37秒 | 新潟地理歴史
新潟地理歴史・写真撮影:2019.08.17    河井継之助記念館をあとにし、指示されるままに歩く。ただ知る人には知られる偉人であるが、そうで無ければ振り向く人もいまい。大きな観光資源とは言いがたい。付近は静かだし、派手さも無い。ごく普通の民家の前を歩き、只見川に注ぐ支流・塩沢川沿いの小道を歩く。目的の医王寺はすぐであった。     Photo-01河井継 . . . 本文を読む

河井継之助の足跡をたどり④ 蒲生岳・河井継之助記念館

2019年09月22日 05時08分53秒 | 新潟地理歴史
新潟地理歴史・写真撮影:2019.08.17      只見駅を出て河井継之助記念館を目指す。たどる道は国道252号線。途中只見四名山の一つ蒲生岳がある。故・田部井淳子さんが「会津のマッターホルン」と称したと只見町のトレッキングBOOKに書かれている。その通り特徴的な姿をしている。岩場などもあるせいか、山頂への往復は四時間ほどかかるという。  さて、今は登山目的できてい . . . 本文を読む

河井継之助の足跡をたどり② 田子倉ダム・田子倉湖

2019年09月20日 05時08分12秒 | 新潟地理歴史
新潟地理歴史・写真撮影:2019.08.17    包蔵水力と言う言葉がある。このてんで言うと全国屈指の二つの川が新潟市を河口にしている。田子倉ダムは阿賀野川水系、その最上流部の只見川に設置されている。  包蔵水力とは何かと言えば、その川の水量と落差を考えて、どの程度の水力発電の電源となり得るかを示すものだ。従って流域面積が大きいとか、流路延長が長いからとか言うだけで決まるものでは . . . 本文を読む

河井継之助の足跡をたどり① 福島県南会津郡只見町へ行こう

2019年09月19日 05時06分46秒 | 新潟地理歴史
新潟地理歴史・写真撮影:2019.08.17    長岡にいて、幕末維新期のヒーローとして長岡戦争を指導した河井継之助を知らぬではいられない。佐渡より長岡で暮らした期間が長くなると、故郷佐渡への愛着も大切にしたいが、一方で長岡にも肩入れをしてしまう。  長岡というと、「米百俵」の精神・小林虎三郎だとか、本当は日米開戦を避けたかった山本五十六。など話題性のある偉人もいるが、河井もよい . . . 本文を読む

看板撮影は良い資料→蓮華温泉

2019年08月30日 05時01分48秒 | 新潟地理歴史
新潟地理歴史・写真撮影:2019.08.03  行った先に現場のことなどを説明する看板をよく見る。大概撮影しておく。カメラの画素数が上がっているので、データを開くとその内容は十分読み取れる。その気になれば、OCRソフト(光学的文字認識)で画像データから手軽に文字データへの変換もできるからありがたい。山の風景を撮影してもなかなかどれがどの山かが分からないことがある。今回はまさにそれであつたが、今回 . . . 本文を読む

守門川上流部 吉ヶ平

2019年07月18日 05時04分04秒 | 新潟地理歴史
新潟地理歴史・写真撮影:2019.06.15    越後から会津へと向かう旧街道を往く。ここへは旧栃尾市の塩谷地区から峠を越え、刈谷田川水系から五十嵐川水系へと入ってきた。戦国時代から続く八十里越という峠道は、戊申の役の長岡戦争で敗走する河井継之助もたどった道である。うっそうとした森の中をたどる道であったであろう。吉ヶ平は今や廃村となった集落跡であるが、自然とふれあう三条市の施設があ . . . 本文を読む

馬高縄文館

2019年06月21日 05時05分55秒 | 新潟地理歴史
新潟地理歴史・写真撮影:2019.06.01    長岡市郊外に火炎土器で知られる馬高遺跡・三十稲場遺跡という縄文遺跡がある。その遺跡の脇にあるのが馬高縄文館である。5月に秋田の払田柵とそれに隣接する埋文センターに行ったのがきっかけで、時にはこうした遺跡や施設の取材をしておこうと考えた。長岡に来られたさいに、時間があると言う時にはお勧めできる。沢山の火炎土器を始め石器や土偶などを見ら . . . 本文を読む

奇祭 「栃尾・ほだれ祭り」 続編 2019.03.10

2019年03月18日 05時00分58秒 | 新潟地理歴史
新潟地理歴史・写真撮影:2019.03.10        昨日の続編である。この日訪ねたのは昼の12時過ぎであるが、ちょうど良かった。ご神体を社からだし、神輿台にほだれ様を乗せるという、ある意味前半の山場が来ようとしていた。神輿台を運び出す動画があるが、この撮影ののち担ぐ手伝いに廻ることになった。このあたりがこの祭りの楽しいところである。   . . . 本文を読む