佐渡汽船ターミナルからほど近い場所に松の大木がある。村雨の松(むらさめのまつ)という。
両津の夷(エビス)地区と湊(ミナト)地区を繋ぐ橋は3つあるが、その中央の橋は両津橋という。地元では欄干橋(ランカンバシ)といっている。その夷側に村雨の松という松の大木がある。両隣に郵便局と海上保安庁の建物があるので目立たぬが、佐渡の玄関口を飾るにふさわしい大木(老木)である。以下は、松の前にある説明書きからである。
「村雨のマツ」はクロマツの大木で、幹周りは最大部分で6mあり、樹高は約19mにおよぶ。枝張りは東西約14mに広がっている。江戸時代、ここに御番所があったことから、「御番所の松」と呼ばれていたが、明治に佐渡を訪れた尾崎紅葉が、この松を見て「村雨の松」と命名した。
また、「松になりたや御番所の松に 枯れても落ちても離れやせぬ」と両津甚句にも唄われている。
佐渡観光の帰途、船の出航時間まで十分な時間があるようであったら、ぜひ欄干橋付近を散策してみて欲しい。紹介した村雨の松以外にも、北一輝の生家(といっても普通の家)、湊のウナギの寝床といわれる細長い民家の様式等々を見てまわることができる。
両津の夷(エビス)地区と湊(ミナト)地区を繋ぐ橋は3つあるが、その中央の橋は両津橋という。地元では欄干橋(ランカンバシ)といっている。その夷側に村雨の松という松の大木がある。両隣に郵便局と海上保安庁の建物があるので目立たぬが、佐渡の玄関口を飾るにふさわしい大木(老木)である。以下は、松の前にある説明書きからである。
「村雨のマツ」はクロマツの大木で、幹周りは最大部分で6mあり、樹高は約19mにおよぶ。枝張りは東西約14mに広がっている。江戸時代、ここに御番所があったことから、「御番所の松」と呼ばれていたが、明治に佐渡を訪れた尾崎紅葉が、この松を見て「村雨の松」と命名した。
また、「松になりたや御番所の松に 枯れても落ちても離れやせぬ」と両津甚句にも唄われている。
佐渡観光の帰途、船の出航時間まで十分な時間があるようであったら、ぜひ欄干橋付近を散策してみて欲しい。紹介した村雨の松以外にも、北一輝の生家(といっても普通の家)、湊のウナギの寝床といわれる細長い民家の様式等々を見てまわることができる。