ようこそ。地理の部屋と佐渡島へ。898
2007年(平成19年)7月16日
10時13分23秒
新潟県中越地方沖の日本海
マグニチュード6.8
Photo-01
Photo-02 避難所となった体育館へは右側へと進み、この校舎の裏へ回ります。
2004年の中越地震の記憶が覚めやらぬうちのことであった。この地震の際は職場の仲間とともに、避難所となった北鯖石小学校に支援に行かせてもらえたのである。今となっては懐かしい思い出のある風景だ。たまたま近くを通りかかった。今はどうかと立ち寄ってみた静かな休日の早朝。その平穏の幸せを感じつつ、あの時のことが脳裏に浮かんだ。
あの地震の後も、全国各地で同様の? いや、それ以上の支援が求められる各種の大災害があった。いも仕事の都合で動けぬ状況だった。心情的に肩を落とすことも....。とにもかくにもあの時出会うった人たちの暖かさはが記憶に残っている。北鯖石小学校再訪。ひと時をともにした支援者と被支援者のことをしばらく思い出した。
http://blog.goo.ne.jp/dachasnowman/e/135abb0bfbb60c16596b50c1b7be52a2
地理佐渡/7.16新潟県中越地震016 「柏崎港・7/19」 と「避難所での体験」
【中越沖地震・参考サイト】
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E6%BD%9F%E7%9C%8C%E4%B8%AD%E8%B6%8A%E6%B2%96%E5%9C%B0%E9%9C%87
中越沖地震/ウィキペディア
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E6%BD%9F%E7%9C%8C%E4%B8%AD%E8%B6%8A%E6%B2%96%E5%9C%B0%E9%9C%87%E3%81%AB%E5%AF%BE%E3%81%99%E3%82%8B%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E9%9B%BB%E5%8A%9B%E3%81%AE%E5%AF%BE%E5%BF%9C
新潟県中越沖地震に対する東京電力の対応/ウィキペディア
http://www.hrr.mlit.go.jp/bosai/noto-chuetsuoki_jishin/kirokushi_pdf/hp_103-110_chuetsuoki_1.pdf
[PDF]第1章 新潟県中越沖地震の概要
---------------------------------------
写真撮影:2019.09.21
---------------------------------------
2014年 地理の部屋と佐渡島 yokoso_898
---------------------------------------
http://blog.goo.ne.jp/dachasnowman/
---------------------------------------
怖い地震はあちこちで起きて居ます。
今月16日は震度5弱の地震で驚きました。
日帰り温泉施設で昼寝をしていたときのことです。
北鯖石小学校は何もなかったように静かですね。
こんな平和な姿がいつまでも続いて欲しいものです。
北信は、あぶないと言われていたのですが、中越に偏っておきましたね。
新潟地震は、4,50年前になりますが、北信から、信濃川沿いは、断層が多く、危ないところです。
青空の下にしっかりと立っている北鯖石小学校・・・
この場所が中越沖地震のときに避難所になった
のですか、今はそれも想い出となり、生徒たちが
静かに学ぶ学び舎にもどっているのですね。
ああ、この平和・平穏がずっと続きますように!
私は大学4年生のときに新潟市で新潟地震を経験
しましたが、、、あのときの恐怖はいまだに忘れられ
ません。ビルの倒壊、ビルの沈下、昭和橋が真ん中
で折れて、火事があり洪水があり、、、。自然災害
対策などは皆無の時代でした。昭和39年6月16日
のことでした、、、、。
昭和39年6月16日・13時1分41秒 地震の規模 M 7.5 新潟地震。
この時は私 郷里におり、ひどい揺れでパニックになりました。
新潟の駅前のビルが傾き、鉄道の線路が飴のようにグニャグニャになりました。
その時の怖さがトラウマになり、地震の度に大騒ぎします。
そんな心配は何にもする必要がない。ほとんど災害のない国なのですね。
そういうのって、ただそれだけでとても豊かな国力を感じるのです。
まあ、その変わり、中世以前から隣国との戦争に明け暮れた不安があるのでしょうけど、いまはもうEUで、そちらの不安はあまりない。災害のない国は豊かです。
>仕事の都合で動けぬ状況・・・
役に立てる健康であることが必要なことをつくづく思っているわたしです。
ことしはじめから腰痛でいまだ長く歩けないわですので足手まといにしかならないもどかしさと情けなさなのです。
週末になると土砂撤去に出かけている息子にわたしが頭の中で考えている以上の災害状況がいまだに続いていると教えられるのです。
新潟県の六万騎山から眺めた田園地帯・・・
一緒に行った友達が、あそこが一面被害を蒙ったと教えてくれました。
北鯖石小学校は、大勢の避難者を守ってくれたのですね。
悠長に構えていてはいけないと思いつつ…の日々です。
この時は「エー!また!」と思いました。
でも、大事にいたらずホッとしたことを覚えています。
福知山や綾部水害でした。これまたどうしようもないですね。広島の水害もお気の毒です。