寺泊港出航後、約2時間でえっさ丸は赤泊港へ着く。下船して見える赤泊港の風景の中に、写真のようなモニュメントがある。もう少し落ち着きの欲しいものと思うが、佐渡奉行渡海の御座船をイメージしたものであるようだ。手前の灯籠が落ち着いた感じな分、ミスマッチしていると思うが..。
港には下記の様な説明書きの看板があった。朝8時頃出発で午後4時頃の到着というと、おおよそ8時間の船旅である。従って、えっさ丸の四倍の時間がかかっている。佐渡から見ると越後は遠い所だったに違いない。
【佐渡奉行渡海の御座船】
佐渡金山隆盛時の生得4年(1714)幕府の天領であった佐渡の奉行が二人制となり、渡海の出港地も出雲崎から寺泊に変わった。
以後幕末まで奉行が佐渡へ赴任する時は、寺泊から赤泊に渡るコースがとられた。
奉行の乗った船には四畳の仕切があり、葵の御紋がついた帆を張って、朝五ツ(午前8時)頃寺泊港を出港し、七ツ(午後4時)頃赤泊港へ着いた。
我先にと引船役をかって出迎える漁師衆や歓迎の村人らで港は賑わった。
その晩奉行は、赤泊に泊まり、翌朝相川へ向かったという。
文化がかおる1パーセントモデル事業
赤泊は好きなところだ。佐渡の中でも落ち着いた感じを抱かせる。こぢんまりとした田舎の港町といった感じだが、それがまた良い。
港には下記の様な説明書きの看板があった。朝8時頃出発で午後4時頃の到着というと、おおよそ8時間の船旅である。従って、えっさ丸の四倍の時間がかかっている。佐渡から見ると越後は遠い所だったに違いない。
【佐渡奉行渡海の御座船】
佐渡金山隆盛時の生得4年(1714)幕府の天領であった佐渡の奉行が二人制となり、渡海の出港地も出雲崎から寺泊に変わった。
以後幕末まで奉行が佐渡へ赴任する時は、寺泊から赤泊に渡るコースがとられた。
奉行の乗った船には四畳の仕切があり、葵の御紋がついた帆を張って、朝五ツ(午前8時)頃寺泊港を出港し、七ツ(午後4時)頃赤泊港へ着いた。
我先にと引船役をかって出迎える漁師衆や歓迎の村人らで港は賑わった。
その晩奉行は、赤泊に泊まり、翌朝相川へ向かったという。
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赤泊は好きなところだ。佐渡の中でも落ち着いた感じを抱かせる。こぢんまりとした田舎の港町といった感じだが、それがまた良い。
こちらは、やっと雪も融けきりそうなところです。春です。
佐渡では、まさにこれからが観光シーズン。良い年になりますことを祈っております。
佐渡市も新年度を迎えた..。とにかく走りながら軌道を探るしかないことでしょう。こちら長岡市も今日より新しい体勢となりました。