先人が取り組んだ満州の素晴らしさもネットでねずさん達に教えて貰いました。
その壮大な経営には驚くばかりです。先人のその計画の素晴らしさは残っている道路や鉄道・建物を見ただけでも分かります。
この部屋でも何度か取り上げました。建物などは今でも充分通用するのじゃないでしょうか。
そんな遺産の写真を集めた本が出たようです。
宮崎さんが書評で取り上げてくれています。台湾では有効に使われているようですが、Koreaは破壊したようです。やはりKoreaはバカですね。
Koreaと同じと思っていたChinaはちゃんと利用していたようです。その辺が中韓の違いでしょうか。
「宮崎正弘の国際情勢解題」より 令和五年(2023)1月16日(月曜日)弐 通巻第7593号
書評
ハルビンの中央街には百貨店も日本料亭も建ち並んでいた
瀋陽の駅舎は東京駅そのもののデザイン、安東神社は中華門に転用された
船尾修 写真集『満州国の近代建築遺産』(集広舎)
中国に進出した日本企業は過去に二万五千社、現在も残るのは13000社。駐在日本人はおよそ10万、投資総額はすでに10兆円を超えた。
いずれ『第二の満州』になる懼れが強い。
戦前、日本は満州国建設に天文学的な巨費を注ぎ込んだ。満鉄を北の果てまで敷き、駅舎を建て、駅前には豪華な大和ホテル。幹線道路を開き、そして各地に庁舎、住宅、工場、空港を建設した。
満蒙開拓団は百数十万人にのぼった。
農作物を植え、収穫し、出荷の段階になると馬賊が襲来した。牡丹江では日本酒が醸造できたほど水は綺麗だった。ハルビンには対ソ連諜報機関も置かれた。
ソ連との国境には軍事要塞を構築した。ハイラルなどの軍事基地は二度とまねのできないほどの頑丈にして強固な要塞である。評者(宮崎)も公開直後に見に行った。
北端の満州里、チチハルから、孫呉、黒河、ハルビン、東は牡丹江、鶴岡、そして入口は大連、丹東(安東)、瀋陽、栄口、鞍山、鉄嶺、撫順、コロ島などに近代的なビルを建てた。多くは大理石をつかっている。
この写真集は満洲国時代(1932─45)に日本が建設した新京(長春),大連,旅順,奉天(瀋陽),ハルビン、鞍山、鉄嶺、安東、ハイラルなどで日本人が設計や施工に関わった建築物のおよそ400カ所を撮影した貴重なアルバムである。
著者は言う。
「日本が満洲を統治していた時代に使用されていた建物が多数収録されています。これは戦前に日本人が満洲を統治していたひとつの証です。同時にロシア統治 時代のものも含まれています。そうした写真群を見ることによって、過去の日本と中国、ロシアとの間に横たわっている「物語」に想いを巡らせてほしいので す。そういう願いを込めてわたしはこの本をつくりました」。
評者も、ここに網羅された現場のほぼすべてを20回ほどにわけて取材し、およそ8000枚ほどをデジタルカメラにおさめた。その一部が拙著『日本人が知らない 本当の路地裏中国 ──乗って歩いた! 全33省旅遊記』(啓文社書房)である。
目的はいずれ満州史を書くためであった。だから各地で中国の本、写真集、資料も買い集めてきた。途中で中国語書籍を買うのを止めた。読んでいてデタラメな内容で、結局かれらの史観は「偽満州国」なのである。評者のささやかなプロジェクトは放棄せざるを得なかった。
日本が引き上げる際に残した建物は共産党委員会、地方政府ビル、裁判所、病院、大學などに転用され、中国共産党は、がっぽりと日本の財産を奪った。一円の金も支払わずに。
いま関東軍司令部は中国政府の官庁に転用され、鞍山神社跡は鳥居の残骸が残り、安東神社の荘厳な鳥居はデフォルメされて中華門に転用されている。
瀋陽の駅舎は東京駅そのもののデザインだった。十年ほど前に行くと新幹線駅となっていた。
鉄嶺では日本の建てた給水塔がまだ稼働していた(評者は同じものを阜新でもみた)。
センチメンタルジャーニーの追憶派はもはや少数、しかし歴史の証言記録となる写真集となった。
宮崎さんの出版も期待したいものです。それにしても、こうした事実を国民にも世界にも広めない日本政府や外務省は本当に情け無い。
やはり、日本の名誉を回復する矜持も度胸も無いのでしょう。そんなことより自分の利益が大事なのでしょう。
何で、こんな奴等が政治家や官僚になるのでしょうか。
やはり、文科省の廃止が必要!
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