それにしても、ここまで酷い政治家が集まった 党なん て、これまであったのでしょうか。それも、政権を取ったことまである野党がこの状態なのですから、日本の危機は生半可なものじゃ ないですね。
相変わらず、産経抄さんが痛烈に書いてくれています。
産経ニュースより 2016.5.7
【産 経抄】
これほどあからさまな詭弁(きべん)は、めったに耳にできないだろう。民進党の細野豪志元環境相は3日、米ワシントン でのシン ポジウムで、政権を目指す野党第一党として、夏の参院選に向けて共産党と協力する姿勢について強調した。「われわれは選挙協力と いう言葉も使っていません」。
▼聴衆はきつねにつままれたような気分ではなかったか。先月の衆院北海道5区補選では、民進党と共産党はまさに手を取 り合って 野党統一候補を支援した。細野氏自身も共産党幹部と一緒に街宣車に立った。共産党を「シロアリ」と酷評していた前原誠司元外相 は、握手も交わしていた。
▼これが選挙協力でないとしたら何なのか。選挙協力とさえ口にしなければ実態を隠せると考えているとすれば、ずいぶん と有権者 をなめた話である。シンポに参加した米識者の対日不信も招きかねない。
▼もっとも、こうした物言いは細野氏だけではなく、民進党では当たり前の用法であるようだ。「選挙協力するとは一言も 言ったこ とがない」「選挙協力ってのは、われわれは言ってない」。岡田克也代表自ら、こんなふうに繰り返している。
▼枝野幸男幹事長は、記者団が「野党共闘」に関し尋ねた際にも、過敏に反応して「私から野党共闘という言葉は使ってい ない」と くぎを刺した。それでいて、「一生懸命連携」(安住淳国対委員長)との言葉は問題ないらしいから訳が分からない。
▼「『暴力革命の方針』に変更はない」(政府答弁書)とされる共産党との距離感に苦慮しているのは分かるが、物事は隠 すより現 る。民進党の政策や主張は、「あらゆる社会の歴史は階級闘争の歴史」を書きだしとする『共産党宣言』に似てきたと言ったら、言葉 が過ぎようか。
この人達は、何がやりたくて政治家になったのでしょうか。単に、金儲けだけが目的だったのでしょうか。それとも、や はり、日 本崩壊が目標だったのでしょうか。あの言動を見ていると、そうとしか思えませんね。
やはり、あちらの方達なのでしょうか。それとも、自虐史観に犯されて、日本が本当に嫌いなのかも知れません。
冗談抜きで、政治家には資格として歴史試験で合格してもらいたいものです。日本を誇り愛せない人は選挙に出れない法 律でも作 るべきですね。それでも、全部は防げないのかも知れませんが、それも、教育の結果ですから、ここからの改正こそ急がれます。
ここでも、産経が警告してくれています。
産経ニュースより 2016.5.6
【国 会議員に読ませたい敗戦秘話】原爆投下や東京大空襲は人道上許されぬジェノサイドだった…WGIPの呪縛はいつまで 続くの か?
1944年7月のサイパン陥落により、日本本土の大部分が、「超空の要塞」といわれるB29爆撃機の攻撃圏に入った。日本軍の海空勢力の大半は失われて おり、これ以降は米軍による一方的な殺戮が繰り広げられることになる。
わけても45年3月10日未明の東京大空襲は、女性や子供を含む死者数推計10万人超、被災家屋26万戸超、罹災者 100万人 超の大惨事となった。後の広島、長崎への原爆投下と並ぶジェノサイド(大量殺戮)であり、人道上許されない戦争犯罪だといえる が、国会議員の認識は甘い。
民主党の細野豪志政調会長は2015年3月10日の記者会見で、東京大空襲について「国策の誤りを反映した結果だ」と 述べた上 で、ナチスのユダヤ人虐殺を引き合いにこう語った。
「ホロコーストを全体としてしっかりと総括しているのがドイツだ。わが国が先の戦争で自国民はもちろん、周辺諸国に対 して大変 な被害をもたらしたことについて真摯に反省することは重要だ。残念ながら今の安倍政権を見ているとそこに疑念を持つ。戦後70年 を迎えるにあたって心していかなければならない」
日本は侵略戦争を仕掛けたのだから米軍による無差別空襲を受けても仕方がないとでも言いたいのか。そもそも日本の戦争 とホロ コーストを同列に語ること自体が支離滅裂としか言いようがない。これが民主党政権で閣僚まで務めた国会議員の歴史観なのだ。
このような自虐的な歴史観、贖罪意識は戦後の連合国軍総司令部(GHQ)の占領統治下の日本人に植え付けられた。連合 国軍最高 司令官(SCAP)だったダグラス・マッカーサー米陸軍元帥は嘘と虚栄にまみれた統治者であり、天皇に代わる存在として日本を統 治しようとした。「民主化」の名の下で実施された占領政策も実態は日本を弱体化させるものが大半だったが、新聞・出版へ の検 閲と言論統制により美化された。
中でも効果を上げたのが、民間情報教育局(CIE)による「ウオー・ギルト・インフォメーション・プログラム (WGIP)」 だった。巧みな情報統制とプロパガンダにより、東京大空襲や原爆投下を行った米軍への怒りは日本軍や日本政府に向けられ、贖罪意 識は日本人の心の奥深くまで浸透していった。
1951年9月のサンフランシスコ講和条約調印により、翌52年4月に日本は再び独立を果たすが、WGIPの呪縛はな お続い た。そこにソ連・中国が対日工作を強化させ、社会主義への幻想を振りまいた。
終戦直前の45年8月9日、ソ連は日ソ中立条約を破って満州に侵攻し、樺太、千島列島などを次々に占領していった。満 州などに 入植していた百数十万人は塗炭の苦しみを味わうことになるのだが、悲劇はそれだけではなかった。満州などにいた日本人将兵約57 万人はシベリアで強制労働を強いられ、1割近くが極寒の地で命を落とした。
だが、ソ連の対日工作を受け、すっかり赤化してしまった日本の報道機関はその惨状を大きく伝えることはなく、むしろ日 本の戦争 犯罪追及に血眼になった。 WGIPによる自虐史観と社会主義への幻想を融合させた日本独自の奇妙な歴史観は、高学歴の人ほどその影響を強く受けた。国会議員や官僚も例に漏れない。
それにしても、政治家だけじゃないのが恐ろしいですね。やはり、根本から日本を再生するには、教育改革が一番急がれ るのは間 違い無さそうです。
尤も、これが、一番時間がかかるのでしょうね。戦後70年間の付けは余りにも大きいですね。それも、日本人がやって きたこと なのですから、自分で変えるしかない。
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