遣隋使と言えば日本人なら誰でも知っている重大歴史でしょう。そんな遣隋使でさえ本当のことを教えていないようです。
実際にその現場を見ている訳じゃないのでどこまで本当かは分かりませんがねずさんがそんな考察を書いてくれています。
何時ものように全文をリンク元で読んで下さい。
ねずさんの学ぼう日本より 2023/05/30
第一回遣隋使についての解釈の間違いを考える
・・・略
最後に一点、補足です。
遣隋使も遣唐使も、その往復の成功確率は25%。
つまり4分の3は海の藻屑となりました。
なので遣隋使、遣唐使の船は、毎回4隻の船で往来し、1隻だけがかろうじて帰還できるというものでした。
けれど、その航海のルートを見れば、それほど波の荒くない、沿岸ルートです。
本来なら、気楽な船旅であるはずの航路です。
加えて、成功確率が25%しかないのなら、朝鮮半島を陸路で北上すれば良いだけのことです。
それでも船を用いたのは、陸路はもっと危険であったからに他なりません。
そして本来安全なはずの航路が、きわめて危険な航路となったのは、半島の海賊による襲撃が深刻であったからです。
「そんなことはない。この時代、百済や高句麗といった、ちゃんとした国があったではないか」と思うのは、現代の国家と昔の国家を取り違えた議論です。
現代の国家は、領域国家といって、国境があり、その国境の内側の出来事にはその国が全責任を持つという形になっています。
けれど、ほんの何百年か前までの世界は、領域国家ではありません。
王がいて、その王の周辺だけが王の支配の行き届く範囲であって、すこし離れたら、そもそもどこの国の所属かさえもわからない。
そして盗賊たちが跋扈していた、というのが、実は世界の諸国の形です。
この形が、当時の半島の形であったのです。
歴史は、現代の価値観で見るものではないのです。
この中で、ヤマトに触れていますが、そのヤマトについてねずさんが詳しく語ってくれています。
それにしても、歴史は本当に面白そうですね。やはりねずさんのような面白い考察の歴史教育を受けたかったものです。
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