第 83回の 「通州事件」について、ねずさんが手を加えて再掲してくれています。まだまだ知らない人が多いので、一人でも知ってもら う人を増やすには、こうやって何度 もアップするのは大事ですね。 ブログの過去ログは多くなると、読もうと思いながらも時間が足らないなどでなかなか検 索してまで読まないような気がしま す。それだけに、再掲することは必要でしょう。
今回のは、第 62話の「盧溝橋事件の真実」から通州事件まで如何に中国が日本を戦争に引きずり込んだかの流れが良く分か ります。
ここまで、戦争を避ける努力をしている日本を無理やり戦争に引きずり込んでおいて、全く逆に日本が戦争を始めたと世 界に吹聴して回る中国に対して、日本の対応は余りにも手ぬるいですね。
世界に、このねずさんが書いてくれている真実を広めることが必要です。それでも、何の手を打とうともしない政・官・ 財の人達は余程弱みを握られているのでしょうか。
ねずさんの ひ とりごとより
廊 坊事件と広安門事件 7月27日
通 州事件 その1 7月28日
…略
7月11日の停戦から、25日の廊坊事件まで、まる2週間が空いていますが、これは支那共産党に、新たな作戦のため の準備期間が必要だったこと、コミンテルンと支那共産党とのやり取りが交されていたと見れば、実に辻褄があいます。
ともあれ、こうして廊坊事件、広安門事件が起こりました。
前にも述べたし、これからも何度でも述べますが、盧溝橋事件にせよ、廊坊事件にせよ、広安門事件にせよ、いわば騙し討ち で10倍する兵員で日本に対して戦闘をしかけてきた事件です。
これだけで、日本は支那と開戦するに足る十分な理由となる事件です。
実際、第一次世界対戦にしても、第二次世界大戦にしても、ほんのわずかな衝突が、世界を巻き来んだ大規模簿な戦争に 発展しています。
日本には、この時点で支那に対して大規模な軍事的攻撃を仕掛け、徹底して支那を撲滅するだけの十分過ぎるくらい十分な理 由となる事件だったのです。
ところがそこまでしても、日本は戦争を避けようとしました。
当時の日本陸軍の思惑も、仮想敵国は支那ではなく、むしろその背後にいるソ連でしたし、大東亜の平和と独立を回復するこ とこそが日本の理想とするところでもあったからです。
ですから日本は、支那と戦う気など毛頭ありません。
むしろ日本陸軍に限らず、日本人の誰もが願っていたのは、支那の大地に戦乱のない平和な社会の回復そのものでしかなかっ たのです。
だからこそ、日本は、明らかな開戦理由となる事件が起こっても、支那の兵士たちを蹴散らしただけで、それ以上の追撃戦、 掃討戦をしていません。
これでは、「日本と国民党軍の衝突」など、到底起こりません。
そこでダメ押しで起こされたのが、人類史上類例のない残虐事件である「通州事件」です。
これが起きたのが7月29日です。
廊坊も、広安門も、通州も、等しく北京とその近郊です。
そして通州事件が起こる前、通州城界隈に終結したのは、廊坊や広安門で蹴散らされた支那国民党の残兵たちと、支那共産党 の工作員たちでした。その数、約3000人です。
この日の午前2時、突如、支那人たちが北京郊外50キロの地点にある通州にいた日本人居留民385名を襲撃しまし た。
そして223名の日本人居留民が、きわめて残虐な方法で虐殺されました。
女性はほとんど強姦されて殺害されました。…以下略
それにしても、先人は悔しかったでしょうね。これだけのことをやられて、尚且つ耐えるのですから、今の日本人では到 底無理でしょう。と言うか、逆に、 臆病で日本を守る気概も無く敵に全てを渡して降伏するかもしれません。何千年もかかって作り上げた素晴らしい日本人も戦 後のGHQの仕掛けた教育とマスコ ミでここまで堕落することを考えると恐ろしいものがあります。
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