静御前と言えば日本の男なら誰でも大好きなのじゃないでしょうか。ねずさんはその代表かもしれません。
今回も取り上げてくれています。義経と静御前は日本人にとっては理想のカップルとも言えそうです。
だからこそ、ジンギスカーン義経説もあるのでしょう。
そのモンゴルでは戦前はこの義経説が大歓迎されていたのだそうです。しかし、戦後それは無くなってしまったそうです。
それは、戦後の日本人の劣化が影響しているようです。何とも情けな。
これをねずさんが教えてくれています。戦後の日本人の劣化を見事に表しているようです。先人には余りにも申し訳ない。
ねず さん のひとりごとよ り 2023/11/08
何度でもやります!歴史を通じて愛され続けた静御前の物語
・・・略
ちなみに戦前戦中までは、この「チンギス・ハーン、日本人の源義経説」は、モンゴルの人たちにたいへん歓迎された説であったのだそうです。
ところが近年では、そのようなことを言うと、モンゴルの人たちは逆に怒り出すそうです。
なぜかというと、そこに文化の違いがあります。
遊牧民族であるモンゴル人たちは、とにもかくにも「強い」ことが男性のリーダーに求められます。
そして強ければ、何をやっても許される。そういう濃厚な文化を持っています。
来日にした朝青龍などが、横綱になりながら、ある意味傍若無人なのも、強い者は何をやっても許されるというモンゴル族の文化が根底にあるからです。(この あたりの説は宮脇淳子先生の『モンゴル力士はなぜ嫌われるのか──日本人のためのモンゴル学』に依拠しています。ちなみに宮脇先生は義経説には反対で す。)
要するに戦前の日本は、世界的に見ても「強い国」だったから、モンゴル族から尊敬されたし、自分たちが日本人、源義経の子孫であると言われると、ものすごく彼らは喜んだのです。
ところがモンゴル人たちからみたとき、戦後の日本は「腰抜けチキン」です。そんな腰抜けに、自分たちの祖先のチンギス・ハーンと血がつながっていたなどとは、口が裂けても言われたくない!
と、そういうことなのです。
我々日本人は、すこしは考えなければなりませんよね。
日本人はどう考えても恥ずかしい。こんなことでは先人に合わす顔がない。東南アジアでの評判もこれと同じなのでしょう。
これで民度か高いと自慢しているのも恥ずかしい。何時かその名誉が挽回出来る日が来て欲しいものです。
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