☆虹蛇と眠る女(2015年 オーストラリア、アイルランド 111分)
原題 Strangeland
監督 キム・ファラント
☆虹蛇は誰だ?
多くの場合、邦題はつまらないものになっててほんとにがっかりするんだけど、この作品はそうじゃない。
よくぞつけたっていうくらい、見事な邦題だとおもうんだよね、少なくとも僕は。
舞台はオーストラリアの砂漠にあるナガスリという小さな村だ。そこでバツイチのニコール・キッドマンが薬局を経営しているジョセフ・ファインズと新しい生活を始めているところから始まる。キッドマンはどうも夫婦仲がよくなくて、もうどうしようもないほど性衝動が高まってて、要するに性の飢餓にあるんだけど、そこへもって娘のマディソン・ブラウンが母親の淫乱な血だけを受け継いだような行動をとるものだから余計に狂おしくなってくる。そんな中、この娘が息子のニコラス・ハミルトンともども神隠しに遭うんだね。
で、ナレーションは、そのマディソンの「わたしを見つけて、わたしに触れて」てな感じで、まあこれが印象的なんだけど、これに加えてアボリジニの虹蛇の伝説が絡む。虹蛇ってのは精霊で、アボリジニにとってはいちばん大切なもので、かついちばん恐れるものでもある。かれらは歌うように「最初は白い者、次は黒い者。子供が消える、ここはそういう土地」といい、神隠しにあった子供に会うためには「虹の蛇が二人を飲み込んだ。歌えば帰ってくる」といってくる。謎の言葉だよね、まったく。
けど、観ている内に、白い者とはなにか、黒い者とはなにか、虹蛇とはなにか、歌うとはどういうことかって疑問が湧く。こういうおもわせぶりな映画の場合、これらの暗喩しているものがなんなのかは明確にはされないんだけど、キッドマンの周辺とその行動を観ていると、なんとなく察せられる。
で、薬剤師のジョセフ・ファインズ、すぐ隣に棲んでる警官のヒューゴ・ウィービングとかの行動を観ていると、これまたちょっとずつわかる。つまり、16歳になったばかりの義理の娘マディソンとファックしているんじゃないか、とか、アボリジニの恋人がいながらやっぱりマディソンとファックしている、とかっていうとんでもない相姦関係が浮かんでくる。これに加えて、野獣のような付近の高校生どももマディソンとファック用コンテナの中でいつもファックしてるとかって話になれば、もう、精液の匂いが充満してきそうなほど陰鬱な気分になってくる。
ところが、映像が美しいものだから、真夏の暑さもさほど感じられず、砂嵐が魔性を呼びこんだような幻想的な雰囲気まで漂ってくるため、そうした淫靡さがやけに芸術的な高みに変わっていく。いやもう虹蛇の見立てのような涸れた川や道路がくねくねと蛇行し、乾き切った砂漠では蛇の死骸に蠅がたかっている。そう、すでに虹蛇は死んでしまい、魔性に変化してしまってるんだよね。で、その魔性とはなにかってことになる。人に巣食って、その本性を引き摺り出していく存在なんだろうけど、これが実際の人間なのか、それともキッドマンたちの心に棲みついてしまった精霊なのか、それを判断するのは観る者なんだよね。
いやまあ、この女性監督、凄腕の感性だわ。