Creator's Blog,record of the Designer's thinking

フィールドワークの映像、ドローイングとマーケティング手法を用いた小説、エッセイで、撮り、描き、書いてます。

PEN LIFE12. 祗園祭・宵々山の前日

2010年07月15日 | Kyoto city
 オリンパスペンを使っていると、邪魔だからレンズのフードは付けないでいる。だが、光を遮ると言うよりは雨を避けるためにやはり別売りのフードが必要になる。それもあえて別売りにするほどの必要がないぐらいに、至極普通の中国製品である。レンズに付けると比較的緩いので、この価格の高すぎるフードは、多分一度は気づかぬうちに外れて紛失するだろう。 
 ところで昨日から、京都市内の山や鉾のある町では、宵山そして屏風祭が始まった。大学の授業を終え、新幹線で飛んで帰り、シャワーを浴びてから、ペンを抱えて少し街を徘徊していた。
 沿道には露店がところ狭しと建ち並び、夜には大通りのホコテンもはじまり、例年通りの古都のお祭りの風景である。それにしても山鉾巡行の三日前なのに、結構人出があるではないか。もう歩行者の一方通行になっているところもある。
 以前だと、気軽に撮影しながら街の風情を味わうのに調度よい人出だったのだが、今年のように人の出足が早いのであれば、宵々山や宵山の夜は、歩けないほどの人出になることは必死だ。そうなると暢気に撮影などしているどころではない。従ってペン持参の徘徊は諦めて、浴衣を着て露店などを冷やかすかという普通のテンションになってくる。
 湿気と蒸し暑さが重なるので、浴衣姿のお姉さん達のうなじに、大粒の汗がひかる。 時折激しく雨が降り、空が稲光をしている。 例年通り宵山が、梅雨あけの知らせなのだろう。
 
京都市・東洞院通,2010年7月14日.
OLYMPUS PEN E-P2,M.ZUIKO DIGITAL 14-150mm/F4-5.6.
シャッター1/15,絞りf5.4,-1/3露出補正,
焦点距離80mm,ISO1600,iFINISH.
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PEN LIFE11. 梅雨の終わりだろうか!?

2010年07月14日 | Kyoto city
 昨日、仕事帰りに東洞院通りまできたら、山が組み立ててあり、提灯に灯りが入っているのが遠くに見えた。祗園祭の宵山が近いことを静かに知らせてくれる。
 そんなお祭り気分とは裏腹に、京都市内でも大雨に関する警戒警報が出るなど、梅雨時最後の集中豪雨の様相が濃厚であった。
 さてその梅雨が何時終わるかが、目下京都人の関心事である。 例年であれば山鉾巡行の時に梅雨はあけるのだが、 その時でもまだ梅雨が続いていると、山や鉾の飾り物は雨仕様となり、一段と見栄えが悪くなりながらの巡行になる。「今年はあかんなぁー」というわけだ。
 私も木曜日の夕方から、2台のオリンパスペンを抱えて宵々山や宵山を徘徊したいと考えている。通例宵山ぐらいに雷鳴を伴う雨が降り、梅雨が終わるのであるから、宵山は人出と熱気と湿気で、体はドロドロになるといって良いだろう。一寸浴衣を着てという気分にはなれない。
 宵山の夜半に北か南のいずれかの観音山の鉾のあたりから、あばれ観音のミニ鉾が街を徘徊するので、それ位迄は一寸付き合いたいとおもうが、さて今年は、私にそんな気力があるかどうかだ。
 さて、今日水曜日も授業があるので、大学に行かなければならない。はよ帰って遅がけに、提灯に灯りが灯った街の風景でも撮りたいと思う。まだ人出が多くならないうちに、多分雨の中を・・・。
 まさに祗園祭のハイライトは季節の節目に行われるのである。

京都市・平安神宮,2010年7月12日.
OLYMPUS PEN E-P2,M.ZUIKO DIGITAL 14-150mm/F4-5.6.
シャッター1/100,絞りf8,-1/3露出補正,焦点距離31mm,ISO200,iFINISH.
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PEN LIFE10. 巡り歩く行動様式

2010年07月13日 | Kyoto city
 昨日は、夜半のワールドカップ決勝戦を見ていたので、朝から少し頭がもうろうとしていた。延長戦でスペイン勝利の頃にようやく起き出した。
 思えば初夏からは、F1グランプリ、ウィンブルドン、ツール・ド・フランス、それに今年はワールドカップが加わるという、世界の代表的な競技が集中し、それらの多くは夜中に放映されていたから、不規則な生活の日々を余儀なくされる。
 昨日は、朝方から激しく雨が降っていた。時折風も強く嵐のようだ。天気予報では、九州などで大雨らしい。最後の梅雨だろうか。
 眠い目をこすりながら朝飯を食べ終わる頃、激しい雨も小止みになってきた。そこで東山二条の大蓮寺まで足を伸ばした。門前に掲げられている「走り坊さん」の絵が可愛い。阿弥陀如来の使いとして、毎日洛中洛外を走って走って、走り抜いて生涯をささげた実在する健脚のお坊さんである。
 また大蓮寺は、六角堂に始まり清和院で終わる洛陽三十三番札所の一つである。寺の縁起では、広域で巡礼が困難な西国三十三番札所巡りに変わり、後白河天皇の時代に市内のお寺を巡礼するコースが設けられたと記されている。
 今でも、例えば手元の京都自転車マップによると、幕末史跡コース、観光スポットコース、近代建築コースといった具合に京都市内を走り回るコースが13設定されている。また催事で見れば8月地蔵盆の頃に京都市内に入り込む6街道の入り口にあるお地蔵さんを巡る「六地蔵めぐり」がある。さらに市内の観光バスも多彩な拠点をつなぐ多数のコースが設定されており、大いに市内を走り回っている。
 人間の動機は異なるものの、行動様式として見れば、複数の拠点を巡り歩く回遊型の様式は、昔も今も変わらないようだ。
 だから、クラシックなビジュアルイコンとも言うべき御朱印をもらいながら洛陽三十三所観音巡礼というのも一つの市内回遊の方法だと思う。巡り歩きながらその道すがらに様々な発見もあるだろうし、京都という街の空気を感じる事も出来るだろう。そして私は、案外これは、フォトジェニックな街の歩き方かも知れないと思っている。
 そんな時は、迷わずに御朱印帳とオリンパスペンを持って行こう。
 夕方から小振りな積乱雲と、オリンパスブルーと言いたくなるような(笑)、澄み切った青い空がのぞいていた。クリアな光が眩しかった。夏近しである。

京都市・大蓮寺
OLYMPUS PEN E-P2,M.ZUIKO DIGITAL 14-150mm/F4-5.6.
シャッター1/200,絞りf8,焦点距離45mm,ISO200,iFINISH.
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PEN LIFE9. 私の仕事スタイル

2010年07月12日 | Kyoto city
 一寸ペンのズームレンズを用いて手持ちで、花卉の接写の撮影を試みた。使用したズームレンズは、特に接写機能があるわけではないが、これぐらいまで近寄れる。概してペン等のマイクロフォーサーズという規格は、接写に強いようだ。あまりうるさいことを言わなければ、これでいいではないか、という気安さがペンにはある。
 撮影機材を持っていることを忘れさせる。鞄の中を探れば携帯電話や手帳などと同感覚で、ペンが入っていたという位の気安さである。しかも通例のコンパクトデジタルカメラよりは、はるかに撮影素子のサイズが大きいし、れっきとした一眼レフなのである。しかも機材の内部に通類あるはずのミラーがない、デジタル時代の構造なのである。
 というのものこれまでのデジタル一眼レフがビジネスユースの機種を頂点にして、大きく、重く、かさばるという三悪の産物なのである。それにあの重たい機材を抱えて大仰に撮影するというスタイルは、どう考えてもダサイとしかいいようがない。
 京都の催事に出かけると、某重量機材を振りかざし、腕章を巻き、プロですという顔をして撮影しているビジネスユーザーを見かけるのだが、たかだか36×24mmサイズの情報を得るのに、それはものすごく大げさな仕様であり、はたから見ていても時代遅れの撮影スタイルだ。なんか私達は写真しか撮れませんと自らの無能さを公言しているようで、はたからみていると恥ずかしい気分でもある。言い換えればそれは20世紀のフィルム時代の撮影スタイルそのものであり、そんな格好悪いスタイルを今に再来させても、私には時代錯誤の風景にしかみえない。
 やはり空気のようなデジタル・ペンに、iPad、iPhone位を小さなザックに入れて、フットワークよく動ける方が、デジタルの進化を享受した現代のスタイルであろし、それがこれからの普通の仕様になってゆくであろう。このように書くと背筋が寒くなる機材メーカーも出てくるだろうけど。
 私流に言えば、撮影したらイノダあたりの珈琲屋でお茶をしながら、iPadに撮影データをうつしかえたり、自家製のイエローブックに原稿の草稿を書き留めたり、ファーバーカステルでデザインを考えていることの方が、私の仕事スタイルに合致している。そんな私のクリエイションスタイルにするっと入り込んでくるところが、ペンライフなのである。
 さてこれからワールドカップの決勝戦でも見ながら、夜更かしをするか........。

京都市・府立植物園
OLYMPUS PEN E-P2,M.ZUIKO DIGITAL14-150mm/F4-5.6
シャッター1/200,絞りf5.6,焦点距離150mm,ISO640.
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PEN LIFE8. 役割の違うメイン機材

2010年07月11日 | Kyoto city

 金曜日の夜にメモしておいた日曜日の原稿を、書きかけのまま誤ってアップさせてしまった。写真も原画以上に露出不足気味なので差し替えることにした。差し替えて再登場である。
 金曜日にフジとペンを持ってほぼ一日、府立植物園と京都の街を徘徊していた。接写から街の撮影まで、お気楽に使っている割には、そこそこいい線ゆく画像もペンにはみられた。そんな一例を試みにアップさせてみた。
 ペンの撮影画像は、フジS5+カールツァイスの画像のようにシャープさに欠けるなど迫力はないが、ペン+ズームレンズという手持ちで撮影している割には善戦しているのだろう。
 花卉を撮影していると、蝶や蜻蛉などが突然現れる。そんなときはフットワークの軽いペンの方が素早く撮影でき、大変便利だということに気がついた。サブ機材というよりも、チャンスに強いというもう一つのメイン機材としてである。それにこのズームレンズは、背景のボケ方も比較的綺麗で、そこそこの写りを見せてくれるようだ。
 そんなわけでフジの傍らにペンが必需品となりそうである。それはサブではなく、役割の異なったもう一つのメイン機材として。そして時にはペンがあるから小さな旅に出たいと思わせてくれるのも、この機材が持つお洒落な空気なのだろう。

京都市・府立植物園
OLYMPUS PEN E-P2,M.ZUIKO DIGITAL14-150mm/F4-5.6
シャッター1/200,絞りf5.6,焦点距離150mm,ISO250.

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PEN LIFE7. 建築散歩

2010年07月10日 | Kyoto city
 「お暑うございます」、それが最近近所の挨拶言葉だ。名古屋が射すような痛い暑さならば、京都は盆地の底に暑さがジワッと溜まったようなネチネチとした暑さである。だから少し雨が降ると街も冷えて調度良いのだが。
 京都も夕方4時を過ぎると少し風が出てくるので、散歩に行くことが出来る。先日は、鴨川沿いを北上し、丸太町通の吉田鉄朗の旧中央電話局から御所を回って今出川通りに出て同志社大学、岩元禄のNTT西日本西陣別館辺りでターンし、南下して松室重光の京都府庁から、赤煉瓦のアグネス教会を眺め、柳馬場通のハリストス正教会、三条通の明治の巨匠達、辰野金吾や長野宇平治らに敬意を払いながら自転車で徘徊していた。その他にも武田吾一やウォーリスの建築もあり、要は近代建築建築家徘徊コースである。オリンパスペンを首からぶら下げて。
 内部が見られる建築も多いのだが、なにしろ夕方の散歩では京都府庁も公開は終わっている。丸太町通の旧中央電話局は、かつては小洒落たレストランだったが、立地が悪かったのだろうか、今ではフレスコというスーパーとスポーツクラブになっている。
 そんな徘徊をしながら撮影後の画像を頻繁に見て楽しんでいると、突然ペンのバッテリーが無くなったという表示が出てくる。バッテリー自体がパナソニックのGF1より小さい故か、今時のデジカメとしては消耗が早いようである。私の場合は、予備バッテリー持参が不可欠なのだろう。

京都市・先斗町
OLYMPUS PEN E-P2,  M.ZUIKO DIGITAL 14-150mm/F4-5.6
シャッター1/160,絞りf8.0,-1/3露出補正,ISO320,NFINISH.
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PEN LIFE6. 一寸近所の縁日へ

2010年07月09日 | Kyoto city
 昨日は、近所のお寺さんで月に一度の縁日があった。縁日という言葉は、仏さんと触れあうという意味がある。
 お寺さんの小さな境内では、京都市内のお店に仕入れを届ける近県の農家の人達が、新鮮野菜を持ってきたり、農家のおばさんの手作りの美味しいお寿司があったり、手作りのナチュラルフーズや様々なグッズがあったり、市内のパン屋さんがお店をだしたり、といった具合に、手作りで地元の商品が多い。ローカルでノンビリとできる気軽な縁日だ。
 だから早速小さなオリンパスペンを持って出かけた。この機材は、こんな時のためにあるといってよい。こうした日々の暮らしの場に気軽に持ち出せて周囲からあまり意識されない機材である。まさにペンライフである。そこにこの機材の魅力があろう。
 境内を徘徊していたら、手作りのお店でオリンパスペンのパンケーキレンズ用に調度よい小さな麻のポーチを見つけたので、ゲットした。
 さて縁日で買った鯛のお寿司を食べてから、昼寝をしたら、その後近所のマッサージに行くとするか。結構町内のオバハン達もマッサージを日課のようにしていて、この辺りは、みんな気楽に暮らしている。オリンパスペンは、そんな気楽な風景によく似合う。
 京都も次第に暑くなってきた。

京都市・因幡薬師
OLYMPUS PEN E-PL1,M.ZUIKO DIGITAL 9-18mm/F4-5.6
シャッター1/200,絞りf5.0,ISO200,NATURAL.
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PEN LIFE5. デジタルペン・システム

2010年07月08日 | Photographic Equipment
 ようやくオリンパスペンのEP2が届き、いわゆる2台体制のペンシステムが完成した。レンズシステムは広角と先日販売された標準ズームと、明るい単焦点レンズの3本である。これで35mm換算で18mm~300mm迄、大体の被写体をカバーできる小型軽量システムが、書類や自家製のスケッチブックやPCなどとともにリュックに押し込まれて、旅をするのであろう。
 レンズシステム
 M.ZUIKO DIGITAL9-18mm/f4-5.6
 M.ZUIKO DIGITAL14-150mm/f4-5.6
 M.ZUIKO DIGITAL17mm/f2.8
 私の場合、外付けの液晶ビューファインダーは必需品である。昨年パナソニックのGF1を使い出したのも、当時これがついている機種が、これ1機種しかなかったことが最大の理由である。後発のオリンパスの液晶ファインダーは画質も大きく向上したので、システム化しようという動機になった。
 デジタル機材のスペックの進化と共にシステム化をしていったので、キャノンシステム、フジ&ツァイスシステム、オリンパスシステムと、3種類のシステムになった。一眼レフは、システム化しないと効率的に動かせないからだ。実をいえば、フジのシステムで満足なのだが、それと近似の仕様で小型軽量というのは、捨てがたい魅力である。
 よく報道や雑誌などの仕事をするフォクグラファー達が、ニコンD3とかEOS1Dsといった大きな機材とレンズを振り回しているが、あれって20世紀的光景でダサイなぁと思う。あんなダサイ格好で撮影はしたくないと常々私は考えていた。だからマイクロフォーサーズというシステムは、結構市場から支持される粋なシステムはないだろうかと思われる。
 今は、オリンパスのシステムで撮影する時間もないが、さしあたり来週の祗園祭の宵山などで使ってみようと思う。

Canon EOS40D,EFSMacro60mm.
シャッター1/100,絞f2.8,60mm,ISO800.
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京都暮らし357. 美味しい骨盤

2010年07月07日 | Kyoto city
 前にもこのブログで書いた話だが、私は学生時代人体デッサン、とりわけクロッキーを随分と勉強していたので、今でも街を歩いている女性達の裸体と骨格が、コスチューム=衣装の上からでもわかる。特に最近のお姉ちゃん達は、ホットパンツに薄着という裸同然で街を歩くから、意識しなくても、それらがわかってしまう。
 もちろんその位のことがわかるほどにデッサン力がなければ、芸術系の学部には入れない。だから絵画や彫刻を専攻する人間達は大体裸の体型が見えている。私は女性しかデッサンしなかったので、男の体型はわからない。
 そんな若いときに培った眼力で、街ゆく女性達を意識的にみていると、あの頭蓋骨は格好いいとか、大臀筋の形状が可愛いではないかとか、そしてあの骨盤が美味しそうだなと思うときがある。
 骨盤というのは骨の形もユニークなのだが、上体と下肢をつなぎぐので様々な動きがあり、それに筋肉と脂肪が面白いように絡まっている複雑系だ。余談だが骨盤のネガティブな形態が衛生陶器だとおもうが。
 例えば素人がデッサンをすると骨盤を含む腰のまわりが全く描けない。それを理解するためには芸用解剖学の知識とデッサンやクロッキーによる訓練が必要であり、それができないと、座っている状態や歩いている状態が描けないということになる。
 でっそんな骨盤も動作と骨と筋肉と脂肪の絡まり具合によって様々な表情があり、前から見ても、後ろから見ても、結構アーティスティックなのである。この骨盤のあたりがきちんと描けるようになると、ようやく人体になるわけだ。
 だから街を歩いている股の切れ上がった女性を見ていると、これは骨盤がグッと横に広がりその上に細い上体がついているなんて美形だと思ったり、衣装で圧縮されたお尻をむくとこれ位の大臀筋のサイズになり、これは骨と筋肉や脂肪との付き方が面白いとか、といった具合に意識的に観察すれば、意外に面白い一時をすごせる。
 女性はインナーでボディを圧縮したりつりあげたりと苦労しているが、骨の形は変えられない。そんな美味しい骨盤探し、というのも退屈な街歩きの気晴らしにはなる。私流のヒューマンウォッチングであろう。

京都市・京都府立植物園,2010年6月13日撮影.
Fuji FinepixS5pro,Carl Zeiss Makro Planar f2/100mm,ZF.
シャッター:1/60,絞りf4.-1/3露出補正,ISO1600,カラーモードF2.
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京都暮らし356. 早起き、昼寝、夜更かし

2010年07月06日 | Kyoto city
 昨日の京都は、まだ最盛期の暑さではないが、外に出れば暑いことに変わりがなく、やはり夏の気候だ。こういうときは、エアコンが効いた家に籠もっている方が快適である。私は出張続きであったために、昨日は家でひたすら静養の休日であった。 
 京都の街を徘徊できるのは、この時期だと朝か夕方である。だから昨日は朝、松原通りのパン屋と寿司屋へ、朝飯と昼飯の買い出しに出かけたのが唯一の外出であった。
 実は京都の街は、朝からお店が開いているところが多く、早起きの街だ。郊外の農家からトラックでやってくる野菜売りは、7時には来ているので、近所の人も買い物をしている光景をよく眼にする。我が家の前の露地にも、犬の散歩にゆく人、露店に買い物に行く人、ゴミを出す人など、朝は近所の人と挨拶をする機会が多い。
 清少納言の枕草子の冒頭では「夏は夜・・・」つまり、夏は満月の夜や闇夜がよく、蛍が多く飛び、雨など降るのが面白いと書かれてあるが、それは都の夏の暑さがこたえたのだろう。そう考えると昔の都暮らしは、夜更かしだったのかと想像する。
 いずれにしろこの街の今の季節は、朝か夜が面白いということになる。そして昼間この街を徘徊するのは観光客位だ。
 最近朝早く眼が醒め、そして昼を食べると畳の上で昼寝をするのが、とても気持ちがよい習慣だと思っている。早起き、昼寝、夜更かし、というのは夏のキーワードなのだろう。

京都市・京都府立植物園,2010年6月19日撮影.
Fuji FinepixS5pro,Carl Zeiss Distagon f2.8/25mm,ZF.
シャッター:1/90,絞りf8.-1/3露出補正,ISO1600,カラーモードF2. 
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PEN LIFE4. 再び車窓の景

2010年07月05日 | field work
 私の経験では、鉄道というのは景色の良いところを通らない。それも当然の話であり、例えば上高地のような風光明媚な所にのこのこと鉄道が出てきたら、大いに幻滅するだろう。鉄道路線は、概ね昔から開けたところ、人家が多く物流ルートに沿って敷設されてきた。路線の大半は、人家や工場・倉庫などが多く、風景明美なところの方が少ない。
 そんななかで、名古屋や京都から信州の山などへ出かけるときに利用する中央西線の車窓の風景は、いつも大変面白いと思う。木曽川に沿って山間を縫うように土地の高いところを走る山岳路線であり、やたらとカーブが多いので振り子式車体で駆け抜けて行く。それはバイクに乗っているような感覚であり、内側にググッと車体を傾けて走り抜けて行く。
 天気がよければ、中津川あたりから遠く南アルプスの一部を眺められることもある。山麓に広がる民家や畑は、少し日本離れしているようにも思われる。次第に山が迫ってくると、狭隘な土地に立ち並ぶ木曽地方特有の民家群の街や集落が美しい。車窓の風景が面白い路線だと思われる。
 ワイドビュー信濃は、松本駅から篠ノ井線に入り終点長野駅を目指す。この行程の最後に、姥捨駅辺りから善光寺平と千曲川を眼下にみながら、山麓を巻くように下って行くハイライトシーンがある。ここは旧国鉄時代から日本三大車窓の一つにあげられ、このブログでも昨年の8月10日に紹介した。他には、えびの高原と霧島連山を望む肥薩線の人吉~吉松間、狩勝峠から十勝平野を望む根室本欄の落合~新得間(1966年に新線開通により消滅)である。
 長野行きの場合は進行右側に、この風景を楽しむことができる。ただし逆方向の名古屋行きの場合では、この地点に差し掛かると先頭車両の自由席あたりだと車掌が検札にくるので、全く嫌みというほかない。切符をテーブル上にだしておいて撮影に没頭し、知らん顔するほかないだろう。
 ところで水曜日から日曜日まで、1,800kmを移動した。調度ツール・ド・フランスの1/2の距離だ。疲れるわけだ。そんなときに軽くて持っていることを忘れさせてくれる、オリンパス・ペンライトは楽ちんな機材なのである。

岐阜県・中津川市
OLYMPUS PEN E-PL1,M.ZUIKO DIGITAL 17mm/F2.8
シャッター1/200,絞りf5.0,ISO200.
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PEN LIFE3. 映画の舞台の街

2010年07月04日 | field work
 連続出張の最後は、学会で長野県上田市へでかけた。パンケーキレンズを付けたオリンパスペン・ライトの撮り初めであろうか。朝早くホテルを抜け出して、人気のない街をペンライトを抱え徘徊していた。
 上田という街は、小津や黒澤映画に始まり、これまでに数多くの映画の舞台となってきたところである。その理由は、東京から近く本州では一番晴天日が多くロケが組みやすいこと、また街の中に大正昭和の風情が比較的よく残っているからと聞いたことがある。
 そんな予備知識を入れて街を見ていると、文化財にはならないような古い建物を見るたびに、ここはどんなストーリーの映画のセットに使えるだろうかと想像するのは結構面白い。
 上田というと戦国時代の真田一族の居城があったところであり、市内には家紋である六文銭を記した旗をよく見かける。観光の主眼も真田家ゆかりの土地を尋ねることにある。だが私はむしろ映画のロケハンのようにこの街を眺める方法もあると思う。そんな見方をすると少し不思議な街だと思ってくる。
 学生時代、上田からパスに乗り換えて菅平まで、しばしば研究調査で通ったことがある。菅平には大学の生物実験センターがあったから、ここに長逗留ををしていた。だからかもしれないが上田という街は、個人的に意味づけられた街かもしれない。
 空気のように軽いオリンパスペンライトで、この街の表層を少しなでてみた。水曜日からの連日移動で約1,800kmほど走り回っていたことになる。さすがに疲れたですね。

長野県上田市
OLYMPUS PEN E-PL1,M.ZUIKO DIGITAL 17mm/F2.8
シャッター1/160,絞りf4.0,ISO200.
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京都暮らし355. 足のマメをひきづりながら

2010年07月03日 | Kyoto city
 昨日は、授業があったので名古屋の往復であった。今日から学会で長野県に出張である。たっぷり湿度だけ残して日ましに真夏に近づいて行くような中を、 今週は、毎日出歩いている。
 さすがに今日の私は、アロハシャツと7分の短パンにスニーカーで授業に出かけた。実習だからこれでよいだろう。意外にこうした格好のほうが、仕事がしやすく快適でしのぎやすい。
 街を行くお姉ちゃん達は、ボディラインに自身があると肩をおもいっきりだしてホットパンツという軽装で歩く姿をみかける。確かにその格好の方が、しのぎやすいと私も実感している。そうでないお姉ちゃん達は、レギンスに重ね着ルックだ。それでは暑いだろうと、勘ぐるのは余計なお世話なのだろう。
 時代はエコモードだから、オフィスはあまり冷房が効かない。エコを経費節約の言い訳にしているのだろう。ならば、着るもので調節するほかなさそうである。
 両足の裏にどういうわけかマメができていた。毎日あるきずめだったのか、靴の中が蒸れて滑りが悪くなったのか、原因不明だが、痛いことは確かである。
 また今日も暑そうな長野県行きである。日曜日まで仕事である。あともう一息と自分を励ましながら、足のマメの傷みをひきづりながら、走り回っている。

京都市・京都府立植物園,2010年6月14日撮影.

Fuji FinepixS5pro,Carl Zeiss Makro Planar f2/100mm,ZF.
シャッター:1/57,絞りf8.-1/3露出補正,ISO1600,カラーモードF2.
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PEN LIFE2. ズミクロンを付けてみた

2010年07月02日 | Photographic Equipment
 この二三日、30度を超える気温が続き、暑く湿っぽい。
 ザックにオリンパスペンライトが入っているが、なかなかこれを使う時間がない。いや、そうではなくて眼前に漂う日常の風景の断片を無意識のように撮影すればよいのだと思うが、そんなことは自分でも忘れている。
 ペンを使っていると。逆にパナソニックのGF1のコストパフォーマンスの良さに気がついたりして、人間の意識の複雑さには、我ながら笑える。
 カメラのバッテリーを充電しているときに、いつも行うのは、こんな遊びである。ペンライトに50年前のライツM3時代のレンズ、ズミクロン35mm・8エレメントを付けてみた。当初は、ペンにライツレンズですかと疑問視していたが、銀のレンズにクローム調のボディは、予想外によく似合うようだ。ボディ後ろの拡大表示ボタンを1クリックすれば、画像が拡大されてピントが合わせ安くなる点は、パナGF1の2ボタンクリックよりは使いやすいだろう。
 昔のライツレンズを付けて手ブレ補正ができるのだから、少し笑える。まだこの組み合わせで写していないのだから、どんな絵になるのかは不明だ。
 それにライカMレンズは、今見ると大変小さい。というか現代の交換レンズが、被写体を威圧するようにやたらと大きい。こんな組み合わせにすると、撮影機材のレンズは、この程度の大きさで十分ではないですか。
 こんな50年前の機材のささやかなストックが再度活用できるところが、マイクロフォーサーズというシステムの面白さだ。

Canon EOS40D,EFSMacro60mm.
シャッター1/13,絞f2.8,-2/3露出補正,焦点距離60mm,ISO125.
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京都暮らし354. 今年の夏の京都

2010年07月01日 | Kyoto city
 今週の水曜日は、名古屋へ一日フルに授業があり、夕方から所用で東京へ出かけて駒込泊まり、翌木曜日は、東久留米、下北沢、川崎と回り、さきほど京都に戻ってきた。
 ブログは、ワールドカップ日本戦の時の火曜日夜半に、水曜日の原稿をアップさせ、そして木曜日の原稿を今京都でアップさせるわけだ。東京で一泊していても、早書き、遅書きを繰り返すとブログの日付は毎日続くことになる。ブログの日付は続くが、この間に東京でいろんな雑用をかたづけている。別にブログデータファイルを持ち出して出先でブログ原稿を書けば良いのだが、そこまでする程のものでもないと認識している。
 そんな雑談を書いている内に、今日は7月1日である。京都では、今日から祗園祭が始まるのである。新幹線の京都駅を降りれば、祗園囃子が聞こえてくるだろう。祗園祭は一ヶ月続くのである。
 京都では、既に蒸し暑い夏日が続いている。そんな蒸し暑い日々は、例年より早いようである。春の頃、今年は冷夏だとだれかが予測したが、今はとてもそんな気配はない。やはり今年も蒸し暑い夏だろう。ただしチョッピリ気温が低いのかも知れない、そう思えば、今年は少しだけ、チョッピリすごしやすい夏日かも知れない。それは昔から続く京都のいつもの夏の風景だろうと期待している。
 昨今の猛暑の方が異常だと私は思っている。そう、今年の京都は、昔の普通の夏日の風景かと思うと、少し京都らしい夏なのかも知れない。
 さて、ペンライトPL1の使用感だがEP2が来てから一緒に書こうと思う。多分祗園祭で、これらを多用するのではと思われる。

京都市・京都府立植物園,2010年6月14日撮影.
Fuji FinepixS5pro,Carl Zeiss Makro Planar f2/100mm,ZF.
シャッター:1/180,絞りf8.ISO1600,カラーモードF2.
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