Creator's Blog,record of the Designer's thinking

フィールドワークの映像、ドローイングとマーケティング手法を用いた小説、エッセイで、撮り、描き、書いてます。

番外編336. 下北沢2.

2018年04月15日 | Tokyo city

 ギャルを撮るのではなくギャルの後ろをついて行けばなんかありそうだ、そんな予感がしていた。だからストーカーのようについていった。そうしたらすれ違う人間の本性をみているようで面白かった。ギャルの前から見た姿は、私も見ていないのでわからない。そんな風に人間の好奇心も混沌としていた。この雑然とした空間と人間の意識が錯綜するところ、それが繁華街か。

 そんな街が最近生きにくくなったとメディアは報じている。それはなぜか、おそらく要因の一つに整然とされすぎていることがあるのだろう。それは地元にとっては望ましいことだと思われてきた。しかし誰も放置自転車をかたづけろとはいっていないのではないか。繁華街は雑然としていてこそ人間の気持ちも解放されるという原則が、最近なくなりつつある。街は雑然としていてよいのだ。それとて長い時間の中で右往左往しながらそれぞれの定位置を決めてきた雑然さなのだから。

 それは成り行きで形成されたら、つくろうと思ってできるものではない。聖人君子みたいな小ぎれいな街では魅力がない。街、特に繁華なところではある種の猥雑さが必要だ。それがなくなると、生きにくくなるのだろう。

 

1997年下北沢、LEICAM4-P、ELMARIT28mm/F2.8、トライX

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番外編335. 下北沢

2018年04月14日 | Tokyo city

 下北沢の街は、頭をカットする行きつけの「宗兵衛」美容室があったのでしばしば訪れた。何しろ車が入れない狭隘な道が続く街だ。駅に隣接して、戦後からの市場がそのまま残っていた。

 昔大学時代の同級生で丹青社で博物館の仕事をしていた彼の下宿も下北沢にあった。隣家との間の数十センチにもみたない家の隙間からアプローチし陽のあたらない3畳程度の安下宿だった。その後再訪することもなく同級生は故郷の松本へ帰ってしまった。そんな下宿が結構あるのも下北沢である。

 なぜかこの狭隘な街の喫茶店とか飲み屋の片隅に陣取ると、何時間でもいたいと思うほど落ち着く。都心から絶縁されていること、普段着の人ばかり、本多劇場や古本屋やレコード屋をはじめ、ここだけの特異な店も多く、文化の香りがする街だ。だから当時はこんな混沌下北沢ではあった。

 今は、行きつけの宗兵衛さんも廃業し、駅近市場も見当たらず、小田急線が地下化されたので、街の様子は変わってきているだろう。

  その自転車置き場も今は駐車禁止にされ、なくなってしまった。自転車の間を縫いながら歩いていると下北沢にきた気分になり、私的には必要があって自転車を停めているのだから、特にどかさなくてもよかったのにと思っていた。

 さて京都の週末天気は雨模様。それも春の嵐の予報。ならば足慣らしに雨の清水寺に行こうと目論む。成就院でコロタイプの展示があるそうだ。

 

1997年、東京都世田谷区下北沢

LEICAM4-P、Hector135mm/F5.6、トライX

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番外編334.  レチナⅢCで・・・

2018年04月13日 | Tokyo city

 この頃、20世紀末東京の雑然とした都市の混沌を撮ることにした。混沌が、私が専門とするアカデミックな都市景観の考え方とは正反対だというところが面白い。調度そのとき横浜美術館が10回ぐらいのレクチャーでフォトグラファーの金村修さんを呼んだのだった。だからレクチャー用の写真を撮るつもりで街を歩いていた。それは次第に金村さんの目線になってしまうのだけど、電柱も放置された自転車も絵になる・・・。

 この画像は、いつか全紙にプリントしおきたいと思っていたが、月日がたって忘れてしまった。画像には、選挙のポスターだ、キャベツの箱やら傘だ自転車だ、奇抜な暖簾だ、洗濯物だ、床を掃除している叔母はんだ、路地だといった具合に、多数の要素が脈絡も無く配置されている。旧東海道品川宿へ行く途中にみかけた都市の風景だ。もうこの場所は思い出せない。

 ここではドイツ・コダックのプロダクト、レチナⅢCで・・・。たまたま画角が標準レンズで納まったので使ったのだが。この機材は中古アメリカ調達だから3万円程度だった。だがこれが空気まで撮すと思われるぐらい大変優れたシュナイダーのレンズ付き、恵まれないのは被写体か・・・つまり歩き方が足りないというわけだ。操作は面倒だけど、この機種のファンがいるわけだ。何でカラーフイルムのない時代にカラーが綺麗だったのだろう。

 そんなわけで、街歩きが始まったのだが、とても東京の全部の街を回ることはできなかった。しかし二十歳の写真学校に通う女子学生がオリンパスXA4を1台持ち東京のありとあらゆる所を撮りまくったなんていう話を聞くと、街歩きにはバイタリティーが必要だ。そんな撮影方法を私もやりたいと思うだけで月日が過ぎ、もう体力、いや根性がない。

 先日その既にくたびれていたレチナ3Cは売っちゃった。買い取り価格は5,556円。値段がついてホッとしている。

 今日は足指骨折で医者へ。3週間目にしてギブスがとれたけど、ギブス足になれたのか歩くのが怖いな。まあようやく風呂に足をつけられる・・・。ということは仮に、体の肋骨とかを骨折するとすくなくとも3週間以上は風呂には入れないんだと類推する。そりゃ夏の厚さはつらいだろうな。こちらは足指で軽くてよかったぜ。でも遠出は夜のお仕置き(夜になると、歩いただろ!、てんで痛みがグン来るわけ)があるからできまへんな。

 

1997年、東京都北品川

レチナ3C、トライX

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番外編333. ビゾフレックス

2018年04月12日 | Photographic Equipment

 こうした撮影システムの知識を詰め込むと、余録でシステムとしての中古機材は増殖する。その都度毎にニューヨークのブロックリンカメラやウッドゥンカメラにメールを送り、すくなくとも当時の日本の半額以下の価格で調達した。フィールド調査というよりは、こんなシステムで使ってみようという研究姿勢の方が旺盛だ。

 秀逸だったのは、ライカM4-Pにつけたビゾフレックスである。画像のビゾフレックスは最後のタイプだが、ビゾフレックスのなかにミラーがはいっており、横のミラーアップレバーでミラー跳ね上げると同時にシャッターを押すことができる。つまりレンジファインダーの機材が一眼レフに変身する。もちろんビゾフレックスのファィンダーでピントが合わせられるので、写る画像をそのままみていることになる。当然マクロ撮影もでき、大変優れたライツ製マクロレンズがあった。

 だから我が国のこれまでの一眼レフは、すべてこの戦前につくられたライツシステムを参照してつくられていることになる。一眼レフは決して日本のオリジナルではないのだ。こうした大変精度がよいドイツ製は、往事のドイツの技術力をみているようだった。

 ビゾフレックスには、戦前に開発されたヘクトール・レンズの先端部分が外せるので、2つのライツ製リングを調達してビゾフレックスに付けられる。その一つは三脚座のネジがしこまれている。このあたりの考え方に無駄がなく、実に合理的なドイツデザインだ。もちろんこのシステムは、今でも一眼レフ同様に使うことができる。

 だから現在のミラーレスというのが、ライツを超える新しい構造を持った我が国固有のプロダクトだろう(そういえばスマホカメラはミラーレスだな)。私がニコンのミラーレスと騒ぐのも、実はこうした理由からだが、なかなか発売されない。

 さて目下撮影機材の整理をしている。暖かくならないとやりたくない雑用だが、不用機材13点を買い取ってもらったので整理の見通しがついてきた。なにしろ最後は大型トランク4個にまとめるのが目標。どの機材をすて、どれを残すかの日々である。そんなことしないで全部中古カメラ屋へ、それが一番部屋が片づくけど、そこまで潔くない。

 さて京都も昨日は、曇天に雨模様で春の強い風が吹き、少し肌寒い。これが暖かくなる頃には、しっかり夏だろうな。ああっ、もう夏近し、来月はもう初夏。足指骨折はいまだ回復に至らない。

 

1996年筑波ハッカーアパートメント

撮影機材不明

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番外編332. プロの研究者のための撮影システム(フィルム編)

2018年04月11日 | Photographic Equipment

 フィルム全盛時代の頃、「日沖宗弘:プロ並みに撮る写真術2.-一人で仕事をする研究者・ライターのために、勁草書房、1993年」という本に相当に刺激されて中古機材のシステムにはまりこんだ。この本の著者が美術史の研究者であったこと、複数の中古機材で最新機材と同等かそれ以上の画質が得られる多様なフィールド調査用のシステムについて、研究者の立場から独創的な提案がなされていたことに私は関心をもった。

 それはフォトグラファーや写真屋の視点とは全く異なり、中古の安価で優れた機材のシステムによるフィールドワーカーのための撮影ツールであることが特徴である。写真術1.2.3.と続編が刊行され、当時の中古カメラブームの先駆けとなった本である。

 この本による中古のシステム構成のポイントは、広角、標準、望遠の役割を果たす大変優れた中古レンズ、F2.0クラスの明るいレンズを加えること、システム全体が軽量であること、できるだけならば当時多用されていたズームレンズは使わない、などであった。

 その中から2例引用すると・・・

●ボディ:ミノルタCLE、

●レンズ:エルマリート28mmF2.8、エルマリート90mmF2.8

●サブ:コダック・レチナ3C、

 この本の著者にいわせれば、ライツ・エルマリート28mmの解像度が秀逸であり、これを使いたいためにこのシステムがあると書かれていた。レンジファィンダー機材ミノルタCLEはTTLオートストロボが使えるが、ファインダーの距離計に50mmのフレームがないので、50mmF2.0のフォクトレンダーのレンズがついたドイツ・コダックのレチナ3Cを加えた軽量なシステムだ。ちなみにレチナ3Cはレンズが奥に引っ込む蛇腹でボディが薄くなるので携帯するのには便利だった。

 アップさせた画像がこのシステムであり、90mmはライツL時代のモノで代用している。プロの研究者のための撮影システムだ。

 しばしばブログでも書いているが、研究のプロは撮影機材だけ持ってフィールドに行くわけではない。建築に限っても大きなメジャーや測量機材、なかには蛍光X線装置などの特殊な機材を持参する輩もいた。だから撮影機材が小さく軽いというのは必須だ。そして撮された画像は、論文の印刷原稿として適切なコントラストだった。だから随分多用したんだろう。

 特にミノルタCLEは、フィルム時代の機材の中で最も使いやすく、小さく、軽く、そしてライカのレンズが使える優れた機材であったが、当時一般にはほとんど売れなかったプロダクトと聞く。その後私のこの機材は電子部品が壊れ修理不可能とメーカーにいわれた。

 

もう一例挙げると

 ●ボディ:ローライコード3型、キャノンT70

●レンズ:キャノンFD20〜35mmF3.5L、キャノンFD135mmF2.8

●サブ:オリンパスXA4

 ズームレンズ嫌いの日沖さんがあえて選んだキャノンLレンズの初期型である広角ズームを加え、単焦点の望遠レンズに、標準レンズにローライコードという安価で解像度の優れた6×6の中型機材を加えている点がユニークだ。ズームレンズは、その後のフィールドワーク用EOSの16-35mmF2.8レンズとして継承されている。私も継承されたこのズームレンズを使用している。

 一般的に撮影のプロといえば真っ先にフォトグラファーがあがる、プロはそれだけではない。研究のプロ、技術開発のプロ、コンピュータのプロ、弾道波形のプロなど、或いは宇宙船に積み込まれて撮影されるなど世の中にはプロが多い。そして撮影機材は様々な分野のプロフェッショナル達に使用されてきたし、それは今も変わらない。当時のライツやニコンは、研究者用の視点を忘れずに付属品を多数発売してきた。

 先日押し入れのフィルム用機材を相当数売り払った。ハッセルブラッド用のプラナー、レチナ3C、ファインダーのブラックアウトしたLeitzM3に始まりコンパクトカメラの数々など13点あり、日沖さんの本に刺激されて集めたものあった。しかしフィルムの少なくなる時代には、使いたくても使えない。それでもsaleは、多少の売り上げになりSONYα6000用のマクロレンズが調達できた。

 隣で品の良い外国人カップルが大きなズームレンズ付きのニコンD800を売り払っていた。私の方をみて、Sale?、もちろんSaleさと、応えたら笑っていた。彼らの機材の方が私よりもはるかに高い金額で売れたけど、私の売却機材の多さとボロさに笑っていたのだろう。

 その先のカウンターでは、やはり外国人がニコンF3にニッコールレンズを買おうかなと交渉していた。その機材を構えたところが格好が良いではないか。これからはフイルムの時代だ!、えっえー・・・!??。

 

撮影1996年、筑波ハッカーアパートメント

撮影機材不明、コダカラー

 

 

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番外編331. サバーティカル・イヤー

2018年04月10日 | Photographic Equipment

 さて足指骨折で遠出ができないからZEISSの空気もストック画像がない。だから先日ネガからデジタルデュープした画像が大量にあるので、こちらをアップさせよう。まっ、20世紀の空気かな。

 40代半ばに、このあたりで人生を切り替えようというので、それまでの西麻布でデザインの先端を走っていた都市開発プロデュースという仕事から足を洗い、筑波大学の研究室で博士論文の執筆にチャレンジし大学の先生を目指そうというライフプロジェクトに着手した。大いにスキルアップしようという2年間の研究ライフだった。この当時40代半ばで自分を振り返ってみるというのが流行っていたのかもしれない。結果的には2年間で博士論文を完成させ学位を取得し名古屋の大学へ赴任することができた。それまで人の倍以上働いてきた人間にとってはサバーティカル・イヤーだった。

 同様に筑波の研究室で私の後ろにデスクを構える博士論文を目指すU君がライカの撮影機材にはまったのだ。なにしろライツM3をアメリカから取り寄せたぐらいだから、私にもこれ買えとばかりに勧めてくれた。さらに私がいた研究室には撮影機材好きの先生もいて私とU君とで盛り上がり、回りからはあきれ果て軽蔑の視線を受けていたわけだ。

 それで画像は、日本の半分ぐらいの価格でアメリカから調達したライカM4-Pである。DHLで筑波のハッカーアパートメントに届いたときの画像だ。

 以来、これにトライXを詰め、世紀末の日本の街(大げさか・・・日本の街の一部というべきだ)を取り歩いていた。

 さて今週の京都市内は、桜が散って春が立ち上がるのかと思いきや、寒い日が続く。まだ冬のダウンジャケットが活躍する。今はインナーで寒暖を調節する傾向があるのだが、まだまだ春の格好には至らない。そんなことをしているとすぐに夏になる。さてどうしたもんか。

 

筑波ハッカーアパートメント

撮影機材不詳

 

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ZEISSの空気12. ハゲタカジャーナル

2018年04月09日 | Kyoto city

 「ハゲタカジャーナル」という面白い言葉をみつけた。毎日新聞4月3日朝刊1面、31面によれば、学術雑誌のなかには掲載料目的で、投稿された論文の査読を行わず掲載料を払うだけで論文が投稿できる掲載料目的の粗悪な電子ジャーナルによる学術雑誌のことを意味すると記事にはあった。サンプルに東大、京大の先生にアンケートを採ったら11%が、このハゲタカジャーナルに投稿していたことを新聞は報じていた。

 研究の世界では、通例学術団体があり論文を投稿できるシステムになっており、最近では電子投稿(インターネットによる投稿)を採用する学会が多くなってきた。電子投稿された論文は複数の専門家によって査読審査がなされ、その結果は投稿者に結果が報告される。その返事も掲載決定、修正条件付き掲載決定か再査読、掲載不可とあり、掲載決定ならば投稿者は掲載料を支払う必要があり、金額は学会によって異なるが日本建築学会だと1編の論文で2〜3万円ぐらいだったと記憶している。修正条件付き等は、査読者によって指摘事項がたっぷり記載されて論文が投稿者のもとに戻ってくるから、指摘事項全部を修正した上に修正箇所を明記して再投稿することになる。通例この修正条件付きというのが最も数が多い。このように論文の審査は一連のシステムとして機能しているわけだ。

 ハゲタカジャーナルは電子投稿すれば、そんな査読をしないで掲載料だけ頂き何でも電子ジャーナルに掲載するというわけだ。それは日本学術振興会に登録された学術団体ではなく、任意の団体なのだろう。言い換えれば学術団体の顔を装うまがいものである。投稿者は、掲載されたというので実績1増えたと勘違いしてしまう。もちろんそんなのが実績になるわけでもない。そうした投稿料は、時には文科省の科研費で投稿する場合もあるから、国が関心を持っている。いずれハゲタカジャーナルのブラックリストでも公開されるだろう。

 こうした背景の1つとして、学術団体を任意に設置できることがある。それは憲法で学問の自由が保障されているので当然のことなのだが、なかには雑誌を発行するだけの学術団体も存在するし、先端領域の先をゆくので関連する先生だけでつくられた学会もある。新領域研究の始まりとはそんなものなのだ。もちろん掲載料目的のビジネス業者が潜り込むこともある。今回のケースは、この最後のケースが該当するだろう。だから大変長い時間はかかるが任意の学会が多くの研究実績をあげ、査読システムをつくり、それが認められれば日本学術振興会にも認知される。

 最近私が所属し、最後までペーパー投稿による査読をしていた日本デザイン学会もついに電子投稿になってしまった。ペーパーで送り返される赤ペンのチェック(時には誤字脱字の校正までしてくれた)や添付されたペーパーで送り返されてきた修正要求を読んでいると、行間に研究者の良心を感じさせてくれた。

 今私は、アカデミズムを卒業したのでもう別世界の話なのだが、やはり電子投稿の方が時間が早いし、ドクターコースの院生にとっては助かる。大体は論文の投稿と博士論文の執筆とは並行作業で進むので。その返事如何によって博士論文の提出時期が決まる場合が多い。

 そんな院生達が論文投稿している学会が粗悪学会だったら博士論文が提出できないケースも今後でてくる。だから手遅れになるという悲劇を生まないためにも、文科省はアメリカの研究者が粗悪と見なした学会名を、日本なりに検討した上で日本版粗悪学会のブラックリストを早急に公開すべきでしょう。

 

京都市長楽館

α6000,Carl Zeiss,Vario-Tessar E 4/16-70mmZA OSS

ISO5000,19mm,露出補正0,f/5.6,1/60

 

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ZEISSの空気11. cafeで考えていたこと

2018年04月08日 | Kyoto city

 NHKのWEBニュースが福島第一原発に関わる多角的な動向を継続して報道している。新聞では市民団体などが全ての原子炉の廃炉を主張している記事があった。

 そのなかで原発全てを廃炉にという市民団体のスローガンのように、私達が使う電気を約30%(原発の発電量相当)減らして廃炉を主張するならば合理的な意見として理解できるが・・・。具体的には夏冬のエアコンを使わないとか、夜は電気を使わないとかすればよいのだが、そこまでは主張していないしできない話なのだろう。今のままでも電気は足りるという彼らの主張では、この先火力発電をフル稼働させることになるが、それによって地球の温暖化を加速させることについての具体的説明をしていない。環境という立場から見れば、今のままで電気は足りるとする主張ができるのだろうか。

 他方で原発を再稼働させれば、電気は十分安く使えますという論理もあまり科学的ではない。廃炉技術が確立されていないなかでの原発再稼働が実にやっかいな存在であることに気づきつつの科学技術の応用なのだから。

 このように社会的にみれば、原発再稼働と原発廃炉と二つの極が対立する二極対立構造になっている。つまり再稼働:廃炉という二極対立構造では解けない方程式が私達の目の前にあることは確かだろう。二極対立構造が説明力を欠き破綻しているのかもしれない。

 よくよく考えると、二極対立構造も一つの構造を右から見たのか、左側から見たのかの違いだったりするのではなかろうかとする仮説も成り立つ。こうした社会的な構造については、本来社会学などが明らかにする事柄なのだが研究中なのだろうか?。

 さしあたり個人でできることは、エネルギー効率の悪いソーラーパネルを屋根に設置するほかないのだろう。それとて50kwで契約している住宅用で約3.6kw程度の発電量だから、30%使用量を減らすことはできない。

 話は、原発に限らず、現代の私達の生活世界で二極対立構造が行き詰まっている傾向がみてとれる。

 20世紀ならば、左翼と右翼、保守系と野党系といった具合に二極対立していて、力ずくでどちらか一方を選択すればことたりたとするのが政治なのだが、今はそうした二極対立の構造では解けない所に私達がいるようだ。さてどうするかは、まさに新しい構造の提案しかない。それが定量的なことであれば工学の分野が扱うことだが、定性的なことは社会学や法学などの文化系が扱うはずだ。

 私達の世界には、数字で捉えられる定量的事柄と、数字では捉えられない定性的事柄の2つがあるが、といってそうした2つのとらえ方を、そのまま社会構造として二極化するというのとは話が違うのである。これらを混同してはいけない。

 そんなことを街中のcafeでお茶を飲みながら考えていた。

 

京都市

α6000,Carl Zeiss,Vario-Tessar E 4/16-70mmZA OSS

ISO100,50mm,露出補正0,f/4,1/320

 

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ZEISSの空気10. ローカリズム

2018年04月07日 | Kyoto city

 映画「天然コケッコ」(2007年公開)や矢口史靖監督「WOOD JOB〜神去なあなあ日常」(2014年公開)、古くは、根岸吉太郎監督「遠雷」1981年など、田舎をロケ地とした映画が散見する。

 何故田舎が執拗に取り上げられるのかというのも、本当は、このように暮らしたかった、あるいはこのように成長したかった、とする都会人達の田舎暮らしへの憧憬があるからだろう。

 そんな田舎も現在では、都会人達が抱いている田舎イメージとはうらはらに、既に幻想になっている可能性もある。というのも田舎の多くは、限界集落を越えてすでに廃村となり存在していない場合もあるだろう。少なくともコミュニティがあり定住人口が維持されている田舎の数は相当数減ってきていることは確かだろう。

 映画「天然コケッコ」のロケ地が島根県浜田市三隅町となっていた。おおっ!、ここにはまだ田舎暮らしがあったのか。田舎にあんなカワユイ中学生がいるとも思えないが、それにしても島根県や鳥取県は大変興味深いところである。あらゆる国の統計をとっても先ず上位にいることがない、これらの県は、ある種逆手の方法でローカルな環境を次世代に残してくれる可能性を一番持っている県ではなかろうか。逆手の方法とは、「いじるな!」、「壊すな!」という方法である。

 「WOOD Job」は三重県一志郡美杉村(現在津市)であり、杉木材のブランド産地である。この辺りは林業の盛んなところで、このエリアの中で私は、近隣の三重県波瀬村(現在の飯高町)にフィールド調査で訪れたのが高校時代だった。

 ちなみに「遠雷」は宇都宮市近郊の農家であり、いかにも栃木県という空気が漂う。新幹線があるので東京人が棲めそうな田舎である。

 こうした田舎志向の映画と対照的なのが、大森立嗣監督「セトウツミ」2016年であり、堺市が舞台になっている。

 これらのことから考えると、田舎-都市軸というものがあり、程度の差こそあれ、その線上に私達の意識が点在しており、そりときの気分によって左右に動くのだろう。実際に田舎に住もうという人は、なんらかの生業が成り立つ見通しがあって移住するのだろう。

 人間の本質論から考えれば、農耕民族だったというDNAがあるなら、潜在的には皆カントリー・ライフ志向。田舎とはゆかなくても、地方都市に住む人は結構多いはずである。それは先験的な目利きともいえる。これからの社会では、そんな本人にとって住み心地のよい地方都市をみつける幸運があってもよいのではないか。

 そういう私も、縁あって東京新宿から京都市に移住した。京都から名古屋の大学に新幹線通勤するという幸せにも恵まれた。おかげて素晴らしい沿線の景色を十分堪能できたし、それは東京の地下鉄や住宅街ばかりの通勤電車では絶対にできない体験。そして名古屋の街の魅力も経験できるという副産物もできた。

 そんな二都市で暮らしていると、東京は記憶の外に消えてゆく。

 東京ねぇー、過密すぎるから大震災が起きたらどうするんだろうか。街がつぶれると3.11の時のような余裕はない。しかも2060年には東京都の人口が増え、その他は全て低減するという統計予測が出た。それは地方都市にとっては大変結構な話ではないかとするとらえ方もできる。人口減少であれば不動産価格も下がり家も余ってくるだろう。さらに棲みやすい条件が地方都市に揃ってくるではないか。地方都市にとっては、大変素晴らしい統計予測と解釈できる。

 もちろん統計予測通りにならないのが私達の生活世界だから、そんなものは全くあてになりませんが・・・。2060年後には東京都が全て30階建てのビル群になるぐらいでないと、増加人口は吸収できないかもしれない。あるいは今の1ルームマンションよりさらに狭い居室でも新たに開発するのだろうか。それでも東京に住むのだろうか。

 都市には適正な人口規模がある。当然そんな統計通りにはならないことがすぐわかる。だから今もローカリズムという考え方は、全くぶれていないわけだ。

 田舎でもよいけど、地方都市に棲め!、ついに役人もそんなパラドックスに気がついた。観光庁が京都市にやってくる。いずれ中央官庁も地方都市に分散することもできそうだ。分散していてもネットで一つにつながる時代だ。

 

2018年4月2日京都市鴨川五条

α6000,Carl Zeiss,Vario-Tessar E 4/16-70mmZA OSS

ISO3200,70mm,露出補正0,f/11,1/125

 

 

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ZEISSの空気9. ハンナ・アーレント

2018年04月06日 | Kyoto city

 足指骨折で出歩けないから新しいブログ画像がない。古い画像なら沢山あるが、春先の新年度に使う気分ではない。使い回そう。

 さて映画「ハンナ・アーレント」が面白かった。ユダヤ人哲学者であり、マルチン・ハイデッガーの教え子であるハンナ・アーレントの物語である。その論説が、そそっかしい凡人には、ナチス賛美に聞こえるが実はそうではない。

 ナチス戦犯アドルフ・アイヒマン裁判を観察・考察した結果、アイヒマンの性格として当事者意識の欠落、問題回避・責任転嫁、目の前の行為が起こす結果への判断力の麻痺、想像力の欠落、といった特性が浮かび上がった。これらを凡庸な人間の特性と呼んでいる。凡庸だからこそ大虐殺もできたのだろうとするハンナ・アーレントの論理は興味深い。

  さてハンナ・アーレントが指摘した凡庸な人間の特性は、実は現代の私達の身の回りに結構数多くいる。換言すれば私達の身の回りでアドルフ・アイヒマンのような凡庸な特性を持った人間達の存在を否定できないのである。だからこれからもアイヒマンのような凡庸な特性の人間達による残虐な事件が起きても不思議ではない。
 すると何故私達の日常、あるいは社会は 、凡庸な特性を持った人間達を繰り返し、繰り返し、生成してゆくのかという事へ関心や研究対象が移ってゆく。
 だからアンナ・ハーレントは、「凡庸であるな!、考えて、考えて、考え抜け!!、考えることで人間は強くなる」と結論ずけたのである。
 凡庸であってはならない、私達の回りの環境について、考えて、考えて、考え抜くことこそが私達の世界の基本なのだということ。そんな多くの知見を与えてくれた映画でもある。
 

京都市

α6000,Carl Zeiss,Vario-Tessar E 4/16-70mmZA OSS

ISO640,31mm,露出補正+0.3,f/4,1/60

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ZEISSの空気8. ブランド

2018年04月05日 | Kyoto city

  さて頂き物の花の続きでツァイスの空気を試みる。この画像は、ツァイスでなくても撮れそうだが。本来なら光学測定をして、これがツァイスなのだというべきだが・・・。

 それにフイルム時代のコンタックス・ツァイスレンズを知らない世代が増えたこともある。だからツァイスの色なんて最初から知るよしもない。私から見れば、この画像はあきらかにSONYの色、あるいはSONYに事業併合されたミノルタの色だ。当時のミノルタマクロレンズの色に似ている。もちろんそれは当初から大変綺麗な色だからさしたる不満はないけど。

 このブログでは、2009年12月14日〜16日のブログでツァイスレンズで高台寺を撮っていた。こちらの方がやはりツァイスの色だが、まあ機材のボディが違うので確証はない。

 本来ブランドというのは、コンシューマー一人一人が目利きでなければならない。そのためには、同じ製品を何年も使用するぐらいの経験量が必要になる。そんな経験を飛ばして、いきなりツァイスですといわれ、ツァイスという名前は知っている、だからブランドだなぁーと一気に納得する意識構造なのか。よく考えれば、個人が知っていることとブランド性とは全く関係がない。

 先日「15時17分、パリ着」という映画をみた。実写と映画で制作した部分を組み合わせたのは異色だが、フランソワ・オランド大統領のスピーチがよい。「自由をつらぬくためには、我々は戦う」。調度シリア紛争などが背後にあったわけだが、こうした共感できる意味を的確に表現するところに文化系の力がある。オランド流にいえば法学。不倫疑惑は工学系には関係ないですけど。

 さてこのブログも10日先まで書きためてしまった。あとは予約投稿にまかせておけば自動的に毎日朝8時にアップしてくれる。だがFBなどのリンクは手動設定。これが毎日しなければならないWin系のブログサイトの面倒な操作だ。書きためると多少の推敲ができるから、冗長な表現や言い回しは少なくなるが・・・。

 

京都市

α6000,Carl Zeiss,Vario-Tessar E 4/16-70mmZA OSS

ISO1250,58mm,露出補正+0.3,f/4,1/100

 

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ZEISSの空気7. ウィットゲンシュタイン

2018年04月04日 | Kyoto city

 やはり少し歩くと骨折した足の指が痛い。まだまだ養生が必要なようだ。全くやれやれの話ではある。さて出歩けないならば、いただきもののお花を被写体に。オッ、なかなかセンスいいじゃん、ゼンマイが春の空気を感じさせる。でっ、ツァイスの空気はどうした・・・ツァイスの好きそうな色だけど。撮した結果はよくわからんな。他のレンズでもこれぐらいは撮れるからさ。

 遠出ができないので、こんなものしか撮れない。足指骨折でかかっている医者にいつスポーツができるかを尋ねたら、二ヶ月後、子供なら一ヶ月だって。こりゃ運動不足もいいとこだ。さてどうすりゃいいべさぁー。そうだ本でも買ってこよう。WEBをみていて気がついた"ウィットゲンシュタイン"、これがあった。大学時代阿部公正先生の美学概論にも登場した哲学者だ。

 というわけで今週は、ウィットゲンシュタイン:論理哲学論考、法政大学出版局、2004年版を読みつつ、散ってゆく桜をみつつ、なにもできない日が続く。そんなときに、書くような話題なんかあるわけない。

 ようやく4月も4日過ぎ、町会長の仕事はなくなったはずだ。それにしてもマスメディアは、いまだに京都を美化して虚飾像をつくりあげ情報を流している。そうやって旅に誘おうとするわけだが、あまりにも古くさい手だ。例えば京都=静かな和の佇まいなどというのは、どこにそんなもんがあったか、京料理の和食のお店!?、アホか!?、あれみんな東京の百貨店やカフェなどを手がけているディスプレイ業者の手による張りぼてだよ。第一昔の建築材料なんて手に入らないの。だから壁はマンションの仕切り壁でも使っている石膏ボードに塗りかクロス(壁紙)だもんね。そんなのは和的にみえても和ではないですね。先日も書いたが、お地蔵さんにお花が生けてある、京都人の心遣いなどと雑誌には書いてあったが、よくもそんな嘘をしらじらと。たんに町内会の当番に運悪くあたっただけ。

 最近の日本人観光客の傾向として、インチキに感動して帰ってゆく場合が多い。あれなんだろうか。よっぽど文化的に無知なんだろうね。少しは勉強してから旅に出ろ!、と私はいいたくなる。地場の京都人なら、あえて物言わず心の中で・・・・・・・。

 

京都市

α6000,Carl Zeiss,Vario-Tessar E 4/16-70mmZA OSS

ISO1250,58mm,露出補正+0.3,f/4,1/100

 
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ZEISSの空気6. 足指骨折

2018年04月03日 | Kyoto city

 試写の続き。画材屋に行く道筋で撮った雨の京都の街。

 被写体も撮影モードも違うのだから昨日の画像と比較はできないのだけど、肝心な点は、私はどういう画像が欲しいのかという1点につきる。こちらのライツの画像の方が、私は京都の落ち着いた空気を伝えてくれるのではないかと思っている。

 もう一つある。インクジェットプリンターの着物と本物の着物との違いである。この落ち着いた空気は本物だからこそのものではなかろうか。さらにいえば、女はこうありたいとか・・・。そのあたりは、多くを語らず。

 ライツレンズは、単焦点レンズだからもともと歪曲収差はないですし、解像度は高いですから、まあα6000では使わない機能が多くなるし、一々撮影モードを変えるなどという面倒なこともないからライツレンズの使いやすさが光るかな。

 SONYα6000にライツ古レンズ!、これ結構いけるのではなかろうか。

 さて足指骨折で、遠出できないのでツァイスの試写もままならない。それでいて時間はタップリあるからこのブログも1週間先まで予約投稿で書きため、加筆しながらアップさせている。そうすると、今時こんな古い画像をアップさせているのかと思ったりする。まあ原稿は、書いてしまえば、そこからは執筆者の記憶からなくなるので過去の話という意識があるのだろう。

 それにしても外科はなんの薬もくれない。つまりいらないというべきか。だから毎日サプリメントと牛乳で足指骨折の回復を図っている。

 こんな時にEOS1Dsをかついで街の徘徊はちときついだろう。だからα6000は軽い機材で助かったわけだが、軽い機材を調達してから足指骨折をしたので、なんか先を見据えているような機材の調達であった。いまはこれしか持てないので、否応なしにSONYプログラムにつきあわされている。

 

京都市万寿寺通

α6000,Leitz Tele Elmarit90mm/F2.8

 ISO160,露出補正0,f/4.0,1/60
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ZEISSの空気5. まあ、なんともスゲー発色だこと・・・

2018年04月02日 | Kyoto city

 さて試写の続きだ。SONYのブログラムやこのレンズはどなんだろうと研究するのは面白いし、その結果私好みが定まってくるようでもある。

 今日の画像は、ツァイスレンズだ。風景モードだから彩度は高い。なんか派手すぎないか、いや着物が派手なんだ・・・、と解釈は様々できるが、SONYとこの着物の色とは相性がよい。というのも最近のレンタル着物は、ほとんどがインクジェットプリンターで印刷されています。なんでも新潟県あたりの地場産業らしいけど。だからデジタルカメラととデジタルプリントとで相性がよいのでしょう。

 おかげて京都の伝統産業である友禅染めは青息吐息になりつつある。もちろん友禅の大変上品な色は、インクジェットプリンターでは無理でしょう。舞妓さん達が着ている着物が、西陣織だったり友禅染めなんですね。それらはとても優雅な色味なんです。

 でっ、SONYツァイスは、こうしたデジタルの色に過敏に反応し、まあ、なんともスゲー発色だこと・・・、モニターもビックらこいてるさ。さらに顔認識機能が素早く働き、振り向いたお姉ちゃんの顔にピントがドンピシャ。そのあたりはクレイジーな機材だこと。生まれたときからデジタルしかなかったという人が製品開発したんだろうかな。

 大体街を風景モードで撮っていたら、突然着物姿のお姉ちゃん集団がきた、そんな咄嗟の時にモードをポートレートに切り替えている時間は無いでしょう。全くモードとは面倒な機能ですね。どうせ後でPhotoshopで修正するんだから、もうそんなモードはなくてもよいのに。こういうときは、常にクリアーモードにしておいた方がよいのかなと思われる。

 じゃあ、どう撮りたいのさ?、といのは明日!。

 

京都市四条界隈

α6000,Carl Zeiss,Vario-Tessar E 4/16-70mmZA OSS

ISO6400,70mm,露出補正-0.3,f/11,1/125

 
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ZEISSの空気4. どこがツァィスなのか!?

2018年04月01日 | Kyoto city

 さてSONYのCarl Zeiss,Vario-Tessar E 4/16-70mmZA OSSのレンズを少し試写してみた。画像をPhotoshopで補正しても変わらないのはさすが。EOS1Dsに次ぐ露出の正確さ。

 当時フィルム機材のCONTAX+PLANARレンズを用いて、本をつくるときに多用した経験からプラナー固有の色は記憶に残っており、素晴らしいボケ方と特有の色なんだな。それにVario-Tessarという名前は、昔京セラコンタックスの小さなデジタルカメラにも使われていた記憶がある。ズームレンズにつける名称のようだ。そしてこのレンズが回る薄型デジカメも、やはりツァイスの固有の色だった。

 今のSONYのツァイスはどうだろうか。

 結果は大変シャープな画像だけど、それは今のレンズならどれでもそうなのであり、肝心のどこがツァィスなの!?・・・、という疑問が濃厚だ。今日はエイプリルフールだし・・・明日はツァイスになるのか・・・。

 さらに露出補正を+側、-側にしてもツァイスの色ではない。背後のボケ方をみても現代のレンズだ。もちろんレンズ自体は大変優れているが。そうなると、なんだぁー、つまんねぇーの・・・、ということになる。

 といってSONYからPlanar T* FE 50mm F1.4 ZAというフルサイズレンズがあるが多分ツァイスの色ではないだろうと推測。だから興味はわかないですね。それに19万円とは高すぎるよ。ブラナーは京セラCONTAXでも5万円ぐらいだったから、もう暴利のSONYブランド戦略ですね。

 たしかにライツのレンズを用いたときも、レンズの癖を払拭して見違えるような画像にしてくれたことを思えば、すべてSONYのブログラムで補正してしまうのだろう。それでいいじゃんとSONYは考えているのだろうけど、じゃなんでライツのレンズをつけたんだろうとこちらは思うけどな。

 コンパクトデジカメ並みの39,000円でゲットしたα6000は、小さくやたらと高性能でコストパフォーマンスが高い優等生機材です。歪曲収差も補正してくれるのはありがたい。ただしビデオ機材でも振り回しているようでつまんない。機材に納得されて渋々使うのかな。やはりRolleiflexの露出計の変わりにしよ!!。SONYの露出計だ。いやミノルタの露出計というべきか。どこかにしまってあったな、ミノルタの露出計が・・・。

 

京都市長楽館

α6000,Carl Zeiss,Vario-Tessar E 4/16-70mmZA OSS

ISO100,16mm,露出補正0,f/5.6,1/100

 

 

 

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