帰松すると、街の様子を必ず観てまわります。まずは、祖父母と両親の眠るお墓に参ります。松阪は、お寺が多く町中に集中してあるので、大変便利です。本日は、行かなかったのですが、本居宣長、角屋七郎次郎(伊賀越えで伊勢湾を渡った時の船頭)などの墓にも、よく行き手を合わせます。実家の墓のお寺は400年前に建てられたという古く色々な歴史があるのですが、あまり知りません。今日は、少し時間をかけ、お寺の庭、屋根にある紋、瓦、木々(そてつ、・・・)を写真におさめました。
その後、松坂城跡に上ります。整った算木積みの石垣の曲線美をじっくりと眺めました。野面積みもありましたが、刻印や矢穴はなかったです。いつも思うのは、街中もそうですが、説明案内板が多く、その説明文が城内の地図、写真、挿絵とともに実に的確に書かれている点です。食い違い虎口、本丸、二の丸、天守、櫓、陣屋、堀に加えて、お城の設計図面、幕末の頃の写真があり、その当時がよみがえります。まさに、郷土の文化財を大切に守っていこうとの強い思いが顕著に表れています。行政・保存会・市民が一体となっていることを感じるものです。松阪を離れていても、このような風景を見ると、ますます松坂城を誇りに思えます。松ヶ島城からこの四五百(よいほ)の森に城を移した蒲生氏郷、城主となった古田重勝、重治、らと近江日野から連れてきた職人さんたちがこの城下町を創り、現在でも職人町通りや殿町(旧同心町)、魚町などの名前が残っています。
その後、松坂城跡に上ります。整った算木積みの石垣の曲線美をじっくりと眺めました。野面積みもありましたが、刻印や矢穴はなかったです。いつも思うのは、街中もそうですが、説明案内板が多く、その説明文が城内の地図、写真、挿絵とともに実に的確に書かれている点です。食い違い虎口、本丸、二の丸、天守、櫓、陣屋、堀に加えて、お城の設計図面、幕末の頃の写真があり、その当時がよみがえります。まさに、郷土の文化財を大切に守っていこうとの強い思いが顕著に表れています。行政・保存会・市民が一体となっていることを感じるものです。松阪を離れていても、このような風景を見ると、ますます松坂城を誇りに思えます。松ヶ島城からこの四五百(よいほ)の森に城を移した蒲生氏郷、城主となった古田重勝、重治、らと近江日野から連れてきた職人さんたちがこの城下町を創り、現在でも職人町通りや殿町(旧同心町)、魚町などの名前が残っています。