~こころ豊かな愉快な生き方を求めて~

サスティナブルな世の中で幸せの笑顔が満ち溢れますように
内容:地域活性化、歴史探訪、パソコン、野球

松阪路~その②墓参りと松坂城

2017-06-25 05:43:45 | 松阪市
帰松すると、街の様子を必ず観てまわります。まずは、祖父母と両親の眠るお墓に参ります。松阪は、お寺が多く町中に集中してあるので、大変便利です。本日は、行かなかったのですが、本居宣長、角屋七郎次郎(伊賀越えで伊勢湾を渡った時の船頭)などの墓にも、よく行き手を合わせます。実家の墓のお寺は400年前に建てられたという古く色々な歴史があるのですが、あまり知りません。今日は、少し時間をかけ、お寺の庭、屋根にある紋、瓦、木々(そてつ、・・・)を写真におさめました。
その後、松坂城跡に上ります。整った算木積みの石垣の曲線美をじっくりと眺めました。野面積みもありましたが、刻印や矢穴はなかったです。いつも思うのは、街中もそうですが、説明案内板が多く、その説明文が城内の地図、写真、挿絵とともに実に的確に書かれている点です。食い違い虎口、本丸、二の丸、天守、櫓、陣屋、堀に加えて、お城の設計図面、幕末の頃の写真があり、その当時がよみがえります。まさに、郷土の文化財を大切に守っていこうとの強い思いが顕著に表れています。行政・保存会・市民が一体となっていることを感じるものです。松阪を離れていても、このような風景を見ると、ますます松坂城を誇りに思えます。松ヶ島城からこの四五百(よいほ)の森に城を移した蒲生氏郷、城主となった古田重勝、重治、らと近江日野から連れてきた職人さんたちがこの城下町を創り、現在でも職人町通りや殿町(旧同心町)、魚町などの名前が残っています。

久しぶりの松阪で郷愁の思いを強く持つぶらり松阪路その①電車で出会ったイタリア人

2017-06-24 03:01:48 | 松阪市
久しぶりの松阪で郷愁の思いを強く持つぶらり松阪路
その①電車で出会ったイタリア人
実家がある松阪に行ってきました。近鉄の電車で隣に座った旅行者とみられる若者の外人さんに話しかけました。下手な英語で話すと、イタリアベネチアで日本語を勉強し、高知県立大学で三か月間学び終え、伊勢に旅行し帰国するのだとのことでした。ここから、得意のインタビューが始まります。日本の食事がおいしい、お酒は土佐鶴、日本人は親切で優しい人と日本を大変褒めていただきました。身長が190cmぐらいの大柄だが、物静かにゆっくりと日本語で答えてくれて、途中からは、すっかり日本語での会話になってしまいました。そこで、たぶんあまり知られていない日本のことをお伝えしようと思い、和の精神、きめ細やかさ、昔と今の日本人の違い、日本の歴史、などをお話ししました。特に、戦国時代の織田信長や家康については、よく知っていて、本能寺の変や伊賀越えについて話しかけると興味があるとのことで、人物像や面白みを伝えましたが、よくわかったかどうかはわかりません。話に夢中で、気づけば、下車する松阪が近づいてきたので、お互いのメールアドレスを交換しました。そして、「話しかけてくださってありがとう。」の言葉をいただき、びっくりしましたが、握手をしてお別れしました。

NHKTV「鶴瓶の家族に乾杯」で実家近くが放映、いとこも登場でびっくり

2016-11-15 06:52:32 | 松阪市
昨夜のNHK総合TV「鶴瓶の家族に乾杯」でふるさと松阪がぶっつけ本番で放映され、いとこも登場しびっくりでした。10~20歳の多感な時に松阪に住んだ小津安二郎に憧れるゲストの佐野史郎が実家近くの『小津安二郎青春館』を訪れましたが、当日は閉館でした。開館されていれば、小津の少年期の面白い話が聞けたのではないかと思います。八百清さんや村上糀屋さんが登場。最もビックリは、いとこ夫婦が出てきたことでした。撮影直後にお会いしたがそんな話は全くなかったので驚愕でした。それにしても、松阪の中心街のお年寄りは皆さん元気があるなと感じました。小津が1年だけ代用教員をしていた飯高の宮前小学校周辺も一度訪れたく思いました。小津映画において、度々松阪のことが出てくることを知り、これほどまでに故郷松阪に影響を受けていたとは思いませんでした。わが伯父は小学校の時に接触があったようですが、時代が大正ですから、当方としては、小津のことをほとんど知らず、数年前に青春館に行って、館長さんにいろいろなエピソードを聞き興味を持った次第です。小津監督のこともあり、芸能人が多いのもわかります。田端義男、沢本忠雄、あべ静江、西野カナ・・・。松坂城、松阪商人の屋敷、松阪木綿、祭りイベントや学ぶ会の多さ、これらが町を活気づかせていて、羨ましい限りです。


ふるさと松阪に関する話題~故郷はええなぁ~

2016-11-07 07:44:10 | 松阪市
ふるさと松阪に関するちょっとした話題です。
1.NHKの鶴瓶の家族に乾杯で故郷松阪市がぶっつけ本番旅として登場する。ゲストは、俳優の佐野史郎で、尊敬する小津安二郎青春館を訪ねる。そこは、実家のすぐそばなので、知り合いが登場するかもしれない。館長さんもよく知っており、同じ佐野さんという。放送は、11月14日(月)。
2.シェアされたfacebook情報で、松阪の昭和初期の映像を見てみると、伯父さんの写真館の看板が電柱にある。その前をそれらしき親子が映っているがもしかしたらと何回も再生して確認をしている。

故郷を離れて、益々、ふるさとの良さが身に染みる年代になってきている。


松阪を歩く~宣長、角屋、古田重勝、先祖の墓、昔のままの通り

2016-10-26 07:39:02 | 松阪市
松坂城の堀(右側・・・武士の町(殿町)、左側・・・町人の町(魚町))
本居宣長・春庭の墓(樹敬寺、国学者父子、春庭は失明しながら、現在の動詞活用形を生み出した)
角屋七郎兵衛の墓(来迎寺、伊賀越えで白子から船を出し、家康一行を救った)
古田重勝の墓(伊勢松坂藩初代藩主)
私の先祖の墓(常教寺、養泉寺、父母の墓近くにあべ静江さんの阿部家の墓があった)
牛の銅像は、小さい頃殆どの子供がまたがって遊んだ(愛宕天神)
明治時代からある実家周辺の通り(挽木町)


松阪を歩く~旧長谷川邸(江戸店を持つ伊勢豪商)の屋敷文化財を観て~

2016-10-25 07:33:13 | 松阪市
郷里松阪を離れて住んでいると、まちづくりや観光イベントに意欲的なふるさとに、より興味関心を待ち、帰松した時には、できるだけ多くのところを訪れています。23日の10時には、旧長谷川邸(江戸店を持つ伊勢豪商)に行きました。今回で、三回目ですが、本日は、そこでガイドをされている高校の後輩に会うこととガイドさんの案内ぶりの勉強でした。いや~、非常に丁寧な説明と気配りが大変勉強になりました。1時間半の説明は中味が濃く、江戸時代の豪商から今日まで事業を続けるマルサン長谷川(株)の屋敷文化遺産の理解を深めました。現在の当方のガイド方法にも少し刺激をいただき大変有意義な時を過ごしました。



長谷川邸の前は、本居宣長の生家跡

慶長大判が発見された土蔵


リオオリンピックレスリングで優勝した土性沙羅さんは、松阪高町の出身、帰松されていました

ひさい梨と金メダルの土性沙羅さん

2016-08-18 12:12:43 | 松阪市
松阪の実家からいつもいただく『ひさい梨』が届きました。とても大きく美味しいそうです。今朝のリオオリンピック女子レスリング69キロ級のゴールドメダリストは、その実家からも近い女子大生と分かり、大拍手を送っています。有名な吉田道場で小さいときからの猛トレーニングに耐え、初のオリンピック、日本人の弱い重量級で、しかも、終了間際の大逆転でチャンピオンになりました。凄いの一言です。



松阪市議会だより『みてんか』~努力していることが伝わる~

2016-03-26 04:44:49 | 松阪市

帰郷した時は、出来るだけ市役所に出向き、各部署を観て回り、その活気度や雰囲気をつかむとともに、知り合いの職員、議員、そして可能であるならば、市長ともお話しようとしてきている。今回は兄から見せてもらった松阪市議会だよりの『みてんか』の表紙に刺激を受けた。中々読まれない、見てもらえない議会報告誌に関心を高めてもらおうと、みてんかとちょっと方言がかった愛称に変え、しかも、若者が好むアニメ風のデザインの表紙にしたのが、好印象を受けた。時あたかも、選挙権が18歳となる年。工業高校のデザイン科の生徒が表紙のアイディアを出している。議会と市民の接点や接触度を少しでも高めようと努力している議会だよりに拍手である。A4で20ページ、大きな字で適度なスペースで読みやすい。内容はともかく、まずは、見てみようかなという気持ちにさせることに役立つのではないかと思う。


松坂城跡  あ~あ、ふるさとは、いいなあ

2016-03-25 06:30:03 | 松阪市
4時間、じっくりと松坂城跡を観て回ってきました。
搦手門、本丸、天守台の石棺、堀、切岸風の石垣・・・今まで、あまり関心がなかったことが嘘のように、お城が見えてきました。蒲生氏郷、本居宣長、梶井基次郎、小津安二郎もどのような気持ちでこのお城を観ていたのでしょうかと、思いめぐらしながら、お城の周囲を歩きました。市民プール、市営球場、市民病院、色々な思い出がよみがえってきました。最後は、facebook友達の市役所職員さんと再会し、少しだけお話をさせていただきました。
あ~あ、やっぱり故郷はいいなあ。




松阪市長辞職に一言、ふたこと

2015-10-02 15:47:30 | 松阪市
松阪山中市長が、本当に辞職。9月30日の市民とのお別れの場面は、想像を絶するシーンとなったであろう。郷里から120km離れた京田辺では、メディアから伝えられる情報は少なく、facebookから伝わるメッセージ、写真から判断すると、かつてない成果を出した首長と慕う市民との悲しく盛り上がった別れは、地方行政で考えられない程のリーダー手腕の存在が残る。この6年間で、100億の財政良化、住民協議会を発足、自ら参加して言動が一致、権威・権力・既得権者と直接対話で改革をしていった勇気は、現在のこの国には存在しないであろう。それだけに、資金と声が大きかった市民にとっては、またそれらを基盤とする議会議員にとっては、厄介な人物となり、市議案の否決が20回を超え、これではやっていけないとあっさりと辞職。首長と議会をそれぞれ選ぶ地方行政の大きな課題を露出した。議会の議員を選ぶにも市民であり、今回の矛盾を市民はきっちりと理解行動しなければならない。市長を支援する議員・有識有力者・市民・そして、市長にも考えなければならない課題が残るお別れであったのではなかろうか。
民主主義、資本主義、この国が出来上がったからくり・・・これで良いのであろうかといろいろなことが複雑に頭をよぎるこの二日である。

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