親戚のいとこに電話で年始の挨拶をした。年賀状をやめてからは、代わりに肉声で近況報告を行っている。中学の音楽教師だった面白いおっちゃんは、定年後、幼稚園の先生を20年していると、初めて聞いた。明るく元気で子供たちが喜ぶ術を多々持っているだけに、子供だけではなく、保護者にも受けている姿が目に浮かぶ。折り紙、手品、そして、楽器演奏、合唱コーラス指導、・・・何より、漫才師のような語りが他人への信頼信用につながっていくと思う。
子たち孫たちと新たな年を迎えた。高齢者夫婦だけでは味わえないお正月の朝だった。何か新鮮なものを感じる。日頃一緒に生活をしていない人が寝食をともにすると、生まれ育った環境の違いか、また互いの異なる性格や遠慮がそうさせるのか面白いものだ。
ここ二日間で、孫たちと大変親しくなってしまった。
よちよち歩きの女の子は、外に出たくてたまらなく、親から解放されると、ドンドン前向いて歩き、近くの川のほとりまで散歩した。そうこうするうちに、もう一家族がやってきた。保育園児の女の子は、非常に活発で、準備した手つくりのゲームやかくれんぼで遊びながら、かけっこ競争をしたが、追いつくのが精一杯。運動神経がよいみたい。料理の手伝いもし、弟の面倒やいとことも距離感を保ちながら遊んでいた。
子供の世界は、不思議なものである。自分の小さいころを知るヒントになるかもしれないと興味がわき、色々観察をした。時代が変わり、物が豊富になり、欲しいものを手にすることが容易になった現環境において、どう影響するのか、気づくことは、コミュニケーション力は昔とは雲泥の差である。
平和であることの大切さを感じとり、感謝しなければならないお正月であった。
ここ二日間で、孫たちと大変親しくなってしまった。
よちよち歩きの女の子は、外に出たくてたまらなく、親から解放されると、ドンドン前向いて歩き、近くの川のほとりまで散歩した。そうこうするうちに、もう一家族がやってきた。保育園児の女の子は、非常に活発で、準備した手つくりのゲームやかくれんぼで遊びながら、かけっこ競争をしたが、追いつくのが精一杯。運動神経がよいみたい。料理の手伝いもし、弟の面倒やいとことも距離感を保ちながら遊んでいた。
子供の世界は、不思議なものである。自分の小さいころを知るヒントになるかもしれないと興味がわき、色々観察をした。時代が変わり、物が豊富になり、欲しいものを手にすることが容易になった現環境において、どう影響するのか、気づくことは、コミュニケーション力は昔とは雲泥の差である。
平和であることの大切さを感じとり、感謝しなければならないお正月であった。
新しい年が無事迎えられたことに感謝し、東の空の太陽に手を合わせた。さあ、一年が始まる元日、いつものように、今年の抱負を書き上げた。年を重ねるごとに、単純明快になっている。いろいろ目標を立てても、ほとんどが未達成で相変わらずのものぐさものであることは、自分自身がよくわかっている。今年は、家族が徐々に増えているせいか、子や孫に望むものがプラスアルファ―された。いずれにしても、健康で、家族が明るく元気に過ごせることが大切である。