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筒城宮跡の謎

2011-09-04 01:52:40 | 観光ボランティアガイド
今年は、第26代継体天皇が京田辺に都を移してから、1500年。(遷都1500年)

その宮跡地には、約7か所の候補地がある。

市教育委員会や遺跡発掘関係者は、たった一つ有益とみなされる物的証拠がある、「薪の堂の後」を有力視している。

しかし、7つの地域をみてまわったが、どう見ても、我が多々羅~観音寺の丘陵地が本命と思って止まない。

理由は、①丘陵地で全体を見渡せる 
    ②以前は、船着き場や普賢寺川には水量が多く水上交通が発達していた
    ③古文書や古図にも都の位置の記述がある(平安通史、山城名勝志、大日本地名辞書 等)
    ④都谷、一の門、御所の内、王字谷等の地名が残る
    

堂の後派に対して、このことを言ってきたが、うなずく方は少なかった。

釈然としない気持ちが半年、次の新たな事が発見されたとのことで、この件について、また話題が高まっているようだ。

福井県の石橋重吉さんが自費出版した『継体天皇と越前』の中で、天保2年(1831)に筒城宮跡を訪ねた記録があり、「綴喜の岡は木津川から見て西、200軒ほどの村がある。この村の北に広さ三町(330m)四方、高さが3丈程(9m)の平らな山。これが継体天皇の宮跡とのこと。毎年神事が行われており」とある。

このことは、多々羅~観音寺がかなりあてはまるのではないかと、楽しみになってきている。

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