今まで、頻繁に帰っていた松阪だけど、新たな活動を始めてから、時間があるのに、うまく時間が使えなくて、本日ひさしぶりに、心の余裕を持って帰ってきました。
朝、8時過ぎに車で、24号線、163号線、165号線、のいつもの道を順調に向かい、まずは、実家のお墓がある養泉寺さんにお参り。
今回は、特に、祖母の前つれあいの墓石に注目。やはり、祖母が19歳の時に亡くなったのということを確認。
その後、実家の兄夫婦の家で、お姉さんが手作りで作っていただいたお寿司やコロッケ、海老フライを、新鮮な野菜とともにいただきました。
おなかが空いていたので、一気に、食べるとシャリの大きさで、直ぐにおなかが一杯に。
隣では、家人とお姉さんが、とめどもなく喋っています。
私と兄は、相変わらず、松阪の昔の話、そして祖母や両親の話、そして、親戚や子ども、孫の話で、久しぶりに盛り上がりました。
その時思ったのは、昔は、お盆や正月、親戚中がみんな集まり、こんな話をしては、自分たちの祖父母、両親が苦労しながら、育ててくれたのだという事を、みんなに披露し、伝えていったのだということ。
このことが、家族や親せきやあるいは、松阪で生まれ、育った郷土愛につながっていったのだということを痛切に感じ取りました。
自分が知らない両親の話や祖父母の話、近所でお世話になった人々の話も知りながら、みんなが本当に楽しく、幸せで仲良くしていける社会をつくる事に少しでもお役に立ちたいと思っています。
まずは、もっともっと、自分たちの子供や親せきの子たちに、現在、今、自分があるのは、両親や祖父母や、曾祖父母が大変な苦労して家族・子供を守り、養い、生計を立ててきたということを、本当にわかるように、伝えたいと思っています。明治、大正、昭和の時代には、みんなが苦労しました。今ではほとん衣食住に困らない生活をしていますが、こういうことを少しでも分かり、ご先祖や両親を尊敬の念を抱く大人に成長していただきたいと思っています。そうすれば、この国は、社会は、必ず、再生できます。難しいことを言うのではなく、まずは、家族愛から出発しませんか・・・。機会を作り、今まで、まとめてきた祖先、祖父母、両親、家系図等を子たちに伝えていきたいと思っています。そのチャンスをいただきたく思っています。
朝、8時過ぎに車で、24号線、163号線、165号線、のいつもの道を順調に向かい、まずは、実家のお墓がある養泉寺さんにお参り。
今回は、特に、祖母の前つれあいの墓石に注目。やはり、祖母が19歳の時に亡くなったのということを確認。
その後、実家の兄夫婦の家で、お姉さんが手作りで作っていただいたお寿司やコロッケ、海老フライを、新鮮な野菜とともにいただきました。
おなかが空いていたので、一気に、食べるとシャリの大きさで、直ぐにおなかが一杯に。
隣では、家人とお姉さんが、とめどもなく喋っています。
私と兄は、相変わらず、松阪の昔の話、そして祖母や両親の話、そして、親戚や子ども、孫の話で、久しぶりに盛り上がりました。
その時思ったのは、昔は、お盆や正月、親戚中がみんな集まり、こんな話をしては、自分たちの祖父母、両親が苦労しながら、育ててくれたのだという事を、みんなに披露し、伝えていったのだということ。
このことが、家族や親せきやあるいは、松阪で生まれ、育った郷土愛につながっていったのだということを痛切に感じ取りました。
自分が知らない両親の話や祖父母の話、近所でお世話になった人々の話も知りながら、みんなが本当に楽しく、幸せで仲良くしていける社会をつくる事に少しでもお役に立ちたいと思っています。
まずは、もっともっと、自分たちの子供や親せきの子たちに、現在、今、自分があるのは、両親や祖父母や、曾祖父母が大変な苦労して家族・子供を守り、養い、生計を立ててきたということを、本当にわかるように、伝えたいと思っています。明治、大正、昭和の時代には、みんなが苦労しました。今ではほとん衣食住に困らない生活をしていますが、こういうことを少しでも分かり、ご先祖や両親を尊敬の念を抱く大人に成長していただきたいと思っています。そうすれば、この国は、社会は、必ず、再生できます。難しいことを言うのではなく、まずは、家族愛から出発しませんか・・・。機会を作り、今まで、まとめてきた祖先、祖父母、両親、家系図等を子たちに伝えていきたいと思っています。そのチャンスをいただきたく思っています。