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親鸞激動編~五木寛之~

2011-09-02 23:30:06 | 読書
新聞連載されている「親鸞」の激動編。

前編完了後、書かないと言っていた五木さんが読者の強い要望で、また書く元気と勇気を持ち、今、地方新聞に掲載されている。

これまでのストーリーは、期待はずれで、ほとんど進展のない盛り上がりのないものであったが、今週ぐらいから急にドキドキするような場面で、毎日の掲載分が待ち遠しい。

親鸞の法話の中で、民衆が念仏に効用を求めようとするが、「念仏すれど、痛い足は直らない、貧乏の苦しさは変わらない。」と明確に言う。

まだまだ、これから話が続くので不確かだが、これから先の記述分は、私の予想と見解です。

この世を生きていくには、心の持ち方が大切であるということを親鸞は、五木さんは言いたいのではないかと思う。

足が痛くても、痛みに耐えられる。
苦しくても、人によって、苦しみの差があり、いかほどの苦しさも辛抱できる人は沢山いる。また耐えかねて、自殺する人もいる。
要は、その違いを生み出す「人の心の持ち方」であり、正しく生きようとする姿勢考え方である。

闇の中でも一筋の光を見い出し、ドン底から這い上がる精神力の強さ、これこそ、人間が勝ち得なければならないものではないかと思う。

それが得られたら、次の新たなものをものにし、そこから少しづつ喜びや幸せにつながるものが得られるのではないか。

それにしても、現代は、あまりにも、衣食住をはじめとした生活が裕福となってしまい、そうでなければ、不満が先に立ち、努力することを忘れてしまっているケースが多い。すなわち、心がさみしくなってきている。

少し、足りないくらいの生活が人間を鍛え成長させるのである。特に、小さい時は、満ち足りてはいけないようである。


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