社説「狂気が国を滅ぼした」を読んで

 これは12月9日朝日新聞の社説の題名。
 65年前の昨日、真珠湾を奇襲しし太平洋戦争へ突入し、内外におきな犠牲を強い、敗戦と言う形で破局した。
 当時アメリカの大統領のルーズベルト政権内部では【狂気の沙汰】と言ったそうだ。
 朝日は「あんなことが、絶対2度と起きないとは言い切れまい。どうすれば踏みとどまれるのか、狂気に包まれる前に、現実に目を見開き、自問することは意味がある。今もあの狂気が世界から無くなったわけではない。」と警告の社説だった。「あの戦争で朝日新聞始めメディアも戦争を煽り、国民も「やったやった。」と熱狂した。日本中が「狂気」が覆っていたと言えよう。」と論じている。
 朝日新聞が日本中が「狂気」と表現しているので、私が同じように表現してもいいのかなと思った。私は現在既に、日本中が(朝日が言っている意味で)「狂気」に覆われていると思っている。朝日やメディアや国民もあのパターンにもう既にはまってしまっていると感じている。
 朝日が他人事のようにお説教しているのがその表れではないかと言いたい。歴史や社会は単純には繰り返さない。パターンは同じでも、様相は変わる。ここで一つ一つ取り上げてもしょうがない。私は今までこのブログで、社会に起きた困った出来事の反応の仕方を見て日本中が「鍋がえるやゆでダコ」のようだといってきた。一応気を使った表現だった。遠まわしでなく率直に言えば「狂気」の方がずばりの感じがする。地球が壊れかけ、子どもがいじめ・自殺を繰り返し、国民も、しかるべきところも責任を回避しその解決の糸口すら探ろうともしない。言い訳だけで、原因をさらに拡大している。この状態は、65年前、彼我の関係を見ることなく戦争に走ったのと同じではないか。(飛躍するが)愛国心を(ため)に用いるのではなく、本当の意味で、日本を初め、世界の人類や自然や歴史を守り、大事にする愛国心が満ち溢れてほしいと願っている。本来のものなら立場は関係ない。右翼でも左翼でもいい、必ず繋がり智恵の一つも出てくるものだ。何故なら与えられた天地は同じなのだから。多く見られる、上っ面で誤魔化しているのは、どちらも嫌いだ。どこまで行っても繋がることはないし智恵も出ない。

(朝日の今日の社説に見られる報道へのスタンス(態度)は嫌だ。あんな誤魔化しで人は繋がらない。

補足 
 昨日書いた日記がどうもしっくりしない。

朝日の社説の鈍感さへの反発した自分自身が,それににのっかたようだ。

感覚的に「ゆでだこ」と「狂気」の間にはかなり距離がある。

私が鈍感さを感じたのは、65年前、アメリカを相手に戦争を仕掛けてたことと、温暖化やいじめ・自殺を基本的に放置しているのと、その意味において同じではないかといいたいのだ。

国が戦争で壊れ滅びたとするなら、国が滅びるのは他国との戦争だけではない。もっと怖いのは自らの意思で終止符の打てない自壊自滅共倒作用れではないだろうか。歴史を見ても国の壊れ方や滅び方は時代や国によって異なっている。

温暖化は、国を超えて地球自身が人為によって壊わされていることを意味しているし、いじめや・自殺はただならぬ人心の荒廃を意味しているはず。これらが地球や日本の存立そのものと本質的に関わり、戦争どころでないこともありうる。島が海中に沈んだり、広大な土地の砂漠化、子どもの壊れの広がりと深化は行きつ戻りつではなく、一方的に進行するばかりではないか。このことが何を意味し、その結果の想像は難しくは無い。誰もが目をそらしたり、誤魔化してはならない。前向きの姿勢だけでも持ち続けたいものだ。(様子を良く見て人の話しをよく聞くこと。)を自ら忘れないようにしたい。

 

自壊現象が面前で展開し希望の持てない、不安社会・閉塞社会といいながら、社説の目は65年前を見てものを言っている。

これを「狂気」といっていいかどうかは分らないが、朝日自身が「狂気」と言う言葉を使い、今の現実を回避している。(言葉による誤魔化し)

自ら命を絶つ子供に、60年前の話が通じるかを考えたらいい。

「狂気」といわずとも「ボケ」ているとしかいわざるをえないし、朝日自身が「反省」と言いながら、65年前と同じ間違いを今もやっていることに気が付いていない。

自殺せざるをえなかった子どもの心と、日々変わり行く周囲の環境の異変をそばによってしっかり見てほしい。そして伝えてほしい。

65年前、日本は国民が一体になって(今考えると狂気ともいえるような判断で)滅んだ、という朝日の指摘は勉強になった。そして、今一人ひとりが自分なりの感覚を働かせ、自分の頭で判断することの大切さを、朝日を反面教師として学んだ。

追   また翌日考えた。朝日の「狂気」と言う表現が不適切なのだと考えた。表現がオーバーでどぎつい。それに私も情緒的に反応してしまったが、あれは誤魔化す時の1つのやり方だと思う。強烈な言葉で反応させ事実から目をそらさせる。

私は(後から知った言葉だが)「愚考」「愚行」ぐらいが無理なくいいのかなと思う。私もその傾向はあるが、オーバーな表現には気をつけたい。

 

 

 

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