地球の安全と人類の幸福

 神も仏も、どんな哲学も科学や芸術も、その主張の違いは【地球の安全と自らも含めた人類の幸福】と言うテーマの前では、書かれた本の違いより、1冊の本のページの表・裏の違いの程度ではないか?

 生まれたての赤ちゃんは言葉にして物は言えないが、世界中一人の例外もなく、この普遍的なテーマに全身が満ちている。しかしどこでどうなるのか分らないが、気が付いてみると、あちこち顔を向け、このテーマに似つかわしくない姿になっている。

 いつしか自分もその中でさまよい、神の御名により神を冒涜し、正義の名により法を犯し、ページの表裏が分らなくなる。


 しかし、誰しも根っ子は同じ。願いも同じはず。そんな目で周囲の自然を、人を見れるといい。

 最近近くで、赤とんぼを見なくなったが、間違って引き抜いた庭のアスパラは芽を出した。近くに人を恐れ外へ出たがらない子もいるが、裏の家からは溌剌としたあかちゃんの泣き声も聞こえる。

 私の住んでいるここは地球であり、その子も人間。

 ぐちゃぐちゃ言い、ドジドジやりながら、元いた道に戻らなくては!  と思う。

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