世の中の見える世界から見えない世界まで思いっきり。特に、子供、教育、不登校、自閉症等 情緒に関心あり
天まで届け
拉致問題
「北朝鮮がよその国から人さらいをする。」全くもって許されないことだ。
そして解決は行き詰まってかなり時間も経つ。どうしたらいいか?今までの方法(圧力と対話路線)ではなかなか埒が明かないのだから新しく方法を考えないといけないだろう。
さらに制裁の圧力を加えるのも一つの方法ではある。行き着くところは武力。日本の核保有も議論しなければなら無いかもしれない。ただその現実性は、思いはともかく現実的には日本の現在の立場や現状を考えると難しい選択肢だろう。
それ以外でどんな方法があるかを考えて見た。私は難しい問題を身近に引き寄せ考える癖がある。どんな人間関係でも責任が片方だけということは無い。あくまで(関係)であり、相互の関係だからだ。
経済力で見ると日本と北朝鮮は大人と子どもぐらい力は違う。私は小学校の教師を長くやってきた。どんなクラスにも、勉強の出来ない子や、宿題をやってこない子、周りとしょっちゅう喧嘩している子、それどころか決まりを破り非行などの悪さを繰り返す子、昔流に言えばどのクラスにも(問題児)はいた。この問題児にどれだけお説教し罰を加えてもいいが、それらの子どもと信頼関係も作れず話し合いも出来ない教師は、理由の如何を問わず失格だと思う。教師は教え子と教育関係(信頼関係)を結び教育的な手法で育て、直すことで給料をもらっている。どれだけこどもの非や親の至らなさを指摘しても教師は責任から逃れられない。そう考えると、日本のやり方はもっと工夫の余地がありそうだ。
要するに今までのやり方は外交が単純すぎないかと思う。このやり方をエスカレートさせ解決の見通しが立つのであればそれもいい。今回の6者協議を見ても、北朝鮮が避けているではないか。北朝鮮の態度に問題があるのは当たり前だが、問題は解決に向かうかどうかにある。
拉致された身内はとにかく安全に返してほしいはずだ。
これだけ難しい問題の解決には拉致問題を中心に、歴史の経過や現状の分析などこの背景をしっかり把握しなければならないだろう。もう一つ大事なことは、日本は国内国際的にも多くの問題を抱えているが(どの国も同じだが)その多くの問題との関係やバランスを丁寧に把握し、丁寧に対処することだろう。
報道を見ている限り、言葉遣いをはじめ、対処の仕方が粗雑に見える。教師の感覚から言えば、北朝鮮の「ならず者」振りをどれだけあげつらっても、反感をかうばかりで、距離は遠のく。まず北朝鮮の(身勝手な話でもいいから)話を十分聞いて見たらどうか。解釈や対応はは十分聞いた後で一つ一つ(制裁も含め)丁寧にしたほうがいい。
外交的にこの部分が粗い感じがする。十分話を聞いて、北朝鮮が本音のところでの願いを知ることだろう。テレビの解説などを聞いていると、体制維持や経済支援が朝鮮の要求のようだが、確かにそうだろうが、解説する人の言葉にリアリティが薄い。十分接触した時は同じ内容であっても、言葉や表現が違ってくるものだ。
スタートあたりのことだがまずはその辺から手がかりは得られないだろうか。
次は、一致点の拡大である。民間レベルでも文化交流でもいい、、墓参でもいい。交流できるところがあるだろう。私が言いたいのは制裁にしろ圧力にしろ、全く一致点の無いところでは全てのことは意味が無くなり、効果を期待するのは難しい。
これは個人の関係でも国際関係も結局は同じだと思う。その点も外交に入るだろう。麻生外相の核発言は気持ちは分るが外交のトップとしてもっとしたたかさがほしい。
身近な人間関係にもいえるが、立場や考えが違うほど、礼儀正しく言葉使いも丁寧に、人間関係の原理原則に立って関わるべきだ。
心置けない友達は少々粗雑な言い方も相手に伝わるが、そういう関係ばかりではない。素人目にも外交が単純すぎるし粗すぎる。
補足するが、拉致被害者の家族も「圧力を加えて云々」言ってるが本音だろうか?返してほしさで言っているのは分るが、安全に返してほしいのではないだろうか。むしろ親族は理屈に合わなくても、この冬の寒さは大丈夫だろうか?とか、食うに困ってはいないか?と心配になるのでははないだろうか。
外交的にもむしろそのような本音が正面に出す方が、形式的な議論に終始するよりましだと思う。国際世論上も説得力を持つ。
そして解決は行き詰まってかなり時間も経つ。どうしたらいいか?今までの方法(圧力と対話路線)ではなかなか埒が明かないのだから新しく方法を考えないといけないだろう。
さらに制裁の圧力を加えるのも一つの方法ではある。行き着くところは武力。日本の核保有も議論しなければなら無いかもしれない。ただその現実性は、思いはともかく現実的には日本の現在の立場や現状を考えると難しい選択肢だろう。
それ以外でどんな方法があるかを考えて見た。私は難しい問題を身近に引き寄せ考える癖がある。どんな人間関係でも責任が片方だけということは無い。あくまで(関係)であり、相互の関係だからだ。
経済力で見ると日本と北朝鮮は大人と子どもぐらい力は違う。私は小学校の教師を長くやってきた。どんなクラスにも、勉強の出来ない子や、宿題をやってこない子、周りとしょっちゅう喧嘩している子、それどころか決まりを破り非行などの悪さを繰り返す子、昔流に言えばどのクラスにも(問題児)はいた。この問題児にどれだけお説教し罰を加えてもいいが、それらの子どもと信頼関係も作れず話し合いも出来ない教師は、理由の如何を問わず失格だと思う。教師は教え子と教育関係(信頼関係)を結び教育的な手法で育て、直すことで給料をもらっている。どれだけこどもの非や親の至らなさを指摘しても教師は責任から逃れられない。そう考えると、日本のやり方はもっと工夫の余地がありそうだ。
要するに今までのやり方は外交が単純すぎないかと思う。このやり方をエスカレートさせ解決の見通しが立つのであればそれもいい。今回の6者協議を見ても、北朝鮮が避けているではないか。北朝鮮の態度に問題があるのは当たり前だが、問題は解決に向かうかどうかにある。
拉致された身内はとにかく安全に返してほしいはずだ。
これだけ難しい問題の解決には拉致問題を中心に、歴史の経過や現状の分析などこの背景をしっかり把握しなければならないだろう。もう一つ大事なことは、日本は国内国際的にも多くの問題を抱えているが(どの国も同じだが)その多くの問題との関係やバランスを丁寧に把握し、丁寧に対処することだろう。
報道を見ている限り、言葉遣いをはじめ、対処の仕方が粗雑に見える。教師の感覚から言えば、北朝鮮の「ならず者」振りをどれだけあげつらっても、反感をかうばかりで、距離は遠のく。まず北朝鮮の(身勝手な話でもいいから)話を十分聞いて見たらどうか。解釈や対応はは十分聞いた後で一つ一つ(制裁も含め)丁寧にしたほうがいい。
外交的にこの部分が粗い感じがする。十分話を聞いて、北朝鮮が本音のところでの願いを知ることだろう。テレビの解説などを聞いていると、体制維持や経済支援が朝鮮の要求のようだが、確かにそうだろうが、解説する人の言葉にリアリティが薄い。十分接触した時は同じ内容であっても、言葉や表現が違ってくるものだ。
スタートあたりのことだがまずはその辺から手がかりは得られないだろうか。
次は、一致点の拡大である。民間レベルでも文化交流でもいい、、墓参でもいい。交流できるところがあるだろう。私が言いたいのは制裁にしろ圧力にしろ、全く一致点の無いところでは全てのことは意味が無くなり、効果を期待するのは難しい。
これは個人の関係でも国際関係も結局は同じだと思う。その点も外交に入るだろう。麻生外相の核発言は気持ちは分るが外交のトップとしてもっとしたたかさがほしい。
身近な人間関係にもいえるが、立場や考えが違うほど、礼儀正しく言葉使いも丁寧に、人間関係の原理原則に立って関わるべきだ。
心置けない友達は少々粗雑な言い方も相手に伝わるが、そういう関係ばかりではない。素人目にも外交が単純すぎるし粗すぎる。
補足するが、拉致被害者の家族も「圧力を加えて云々」言ってるが本音だろうか?返してほしさで言っているのは分るが、安全に返してほしいのではないだろうか。むしろ親族は理屈に合わなくても、この冬の寒さは大丈夫だろうか?とか、食うに困ってはいないか?と心配になるのでははないだろうか。
外交的にもむしろそのような本音が正面に出す方が、形式的な議論に終始するよりましだと思う。国際世論上も説得力を持つ。
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