もし、私が総理大臣だったら【幸福構造改革】を提起する

もし、私が総理大臣だったら政権公約でとりあえず【幸福構造改革】を提起する。
中身は2つ
1、経済のマイナス成長路線
2、子どもにサンマ(時間・空間・仲間の3間)をしっかり食べさせる。   
 両方、構造改革しなければならないので、多くの法律を作らなければならない。かなり時間がかかるが、とりあえずこの2点を提起し、法制化しそれを目標に行政と民間一体となり実現化したい。メディアの論評は自由だが内閣は協力を求める努力をするのはは当然である。
 1はどれだけマイナスにするかではなく、どのようにマイナスに持っていくかが政策の要になる。とりあえず2パーセント減(現在の逆)を目指す。
2は子どもの権利として子どもが裁量できる最低基準の時間を3時間以上を提起する。土日は倍の6時間 原則宿題はなし。塾は、これも許可制とする。 教育基本法では誰もが、家庭生活を営め、自己決定できる 時間を平日12時間以上と明記する。   書いていて面白いので、また「幸福構造改革」を書こう。
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私も鍋ガエル

いつも偉そうに世の中のボケ振りを、鍋蛙とかゆでダコとえっらそうに揶揄する自分のボケ振りを書きたい。
 ここ何回か日本とアメリカのワーキングプアの報道をテレビで見た。ひどい暮らしぶりを見ていてもなんとブラウン管の中の出来事としてしか映らない。私はまさにガラス越しで見ている感じだった。枯れていて反応せず、想像の広がらない自分がそこにいた。女房に尋ねると私の問いにはうなずきながらも、一つ一つのシーンや解説に、大きくため息をつきながら見ている。
 若いときから貧乏と寂しさを感じれるのが自分の取り柄と思ってきたので、実際は(アレ!)と(やっぱり)の複雑な感じだった。
 と言うのは、
まだ20歳代の頃、ベトナム戦争のニュースや写真を見ると、背中がぞーとして見られなく、新聞を遠ざけたことがあった。近頃では淡路の大地震の災害や、アメリカの9・11、イラクの爆撃や自爆特に子どもの様子は詳しくは見ていられない。教師としての仕事でも、子どものことで自分が思ってもどうしようもなことに、何度かぶつかった。
 そんな時、「人にはできることと出来ないことがある」と自分に言い聞かせ目をつぶらなくてはならない。言い訳かもしれないがそうしないとやっていけない。
 そんなことを直接的に間接的にいくつもやってきたので、ある程度自分の感覚マヒは予測はしていた。

もともと、自分の分らないことは沢山あるだろうし、目にしても感じなく意味の分らないことも多いはず。
その上、感覚マヒしているのを
実際に感じると、やはり穏やかではない 。 そういうものだ。
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