産業と文化②

昨日は産業の転換が文化の転換を促すかのように書いたが、逆かもしれない。
 基本的に文化的価値観が今日の産業構造を作ったのだから、そこに矛盾が出てきたら先に文化や価値観の変容を迫られ、娯楽や退廃、暴力、癒しに矮小化された消極的な文化そのものが立ち行かなくなり、新しく理性・知性・感性を持った力強く積極的な文化が産業の転換を促す方が自然かも知れない。
どっちにしても地球がイニシァチブを握っている。
 
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裏・表の限界

地球と人間という構図の中で、人間は自然(地球)を支配していると考えてきたようだが、イニシャチブが地球に移ったことは可也明らかではないか。
 人間は地下を掘り返し富を溜め込む。そのためか、昔から富を見えないところに隠す本能のような癖がある。
 お金の動きに表と裏があるように、権力にも表と裏がある。勿論、裏(バック)が表を動かす。人々に社会を知らせるメディアはその中で動くのだから、お金や権力と同様、表と裏がある。表はコーティングされた情報、裏は見せない。
 コーティング如何で、【世論】はどうにでもなる。戦前もそうだったと言う。
 そう言う中で、【小沢代表辞任】が駆け巡る。昨日まで騒いでいたインフルエンザはどこへ行ったか?全与野党こぞって、全メディアが【説明責任】を合唱するオールジャパンのような翼賛ぶり。
 金権の小沢氏云々以上に、ことの経緯に裏表がつきまとい鉱脈のような地下の動きを感じる。
 小沢氏の説明責任同様検察始め自民党や、メディア自身に説明が求められないか?
 事柄は、小沢氏の政治資金にとどまらず、本当に問題だと言うなら全容が解明されるべきで、
 その逆はない。
 
 イスラエルの核の所有は自明として放置する。間違った情報でイラクへ踏み込んだと後悔するアメリカに追随して未だ説明しない政府とメディア。アメリカ発の世界の経済危機と喧伝するがそのアメリカを支えた政府やメディアには説明責任はないか?
 過去、時効を過ぎて明らかにされた事例の大きさを見ると、当然今回も事の範囲内。
 今回も、人々をコーティングされた【世論】として道具に使う。
この件は、(小沢辞任)で狙いが達せられたら後は
政治資金は一切不問にされ、避けるかのように急速に幕を閉じろだろうと思う。

 しかし、基本的なイニシャチブが地球に移っているから、お金、権力、メディアの裏・表の使い分けは
 そんなに簡単ではないだろう。
裏も表も、地下・地上のどこに隠そうとどこが動かそうと所詮地球上のこと。
ひょっとして、人間は既に対人間の関係を超えている状況に気が付いていないのではないか?
  よく言うだろう、【頭かくして尻隠さず】    アホか?
 
 

 
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