積極的な対応を

今日の午後、不登校の事で講師として招かれた心理士のお話を聞いてきた。本を出されるなど著名な人らしい。
 流石長い経験をお持ちのようで、子供の心の内や、学校のことなど本当に詳しくお話され内容も殆ど私の経験と一致していた。子供や親御さんにとっても心強い相談相手になるだろうと好感をもって話が聞けた。
 不登校と発達障害の関連もご承知のようだった。
 経過や背景などもお詳しいようだったので、(文化・教育が産業や社会の転換を促す。)と言う積極的な立場に立った話も聞いても見たかったが、場違いな感じがしないでもないので敢えて質問しなかった。
 これまで、これらの問題に対して社会的に消極的とも取れる動きを感じてきた。
 居場所作りや子供への対応は良いとして、背景や原因をもう一歩突み、それに対する対応も視野の奥に入れていた方がいいのではないか?
 プラス面としてその方が子供には力強い。
 マイナス面と言うか難しい問題もある。
 とかく政治的な批判として受け取られ、場合によっては仕事など、自分の立場を損ないかねない。
 表現方法や行動の仕方が難しいいが、全体を俯瞰し、その壁を乗り越えないと、本当の意味では解決しないと思う。今のように対象児が増加する一方になる。
当事者や、その相談相手にそれを求めるのは難しいだろうが、社会的には何時かはその一線を越えなければならないと考えてきたが糸口も見出せないでいる。
 積極的といっても、文科省の対応は、発想が逆で、数字に表れているように増加させるだけだが、行政批判が難しいようだから、己も含めた文化批判が一つの方法だと思う。

 
 
 
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ちょっと思った事

朝、目を醒ましてちょっと思った。
 尊敬する先輩2人が亡くなって10年にもなるが、あの二人はガンと診断され亡くなるまでのほんの数ヵ月、他人の目を避けているように思った。
 自分も避けられているように感じた。
 あんな立派な人がどうして、最後は一人になりたかったのだろう。
 お二人とも突然の診断で、心の準備ができなかったかのかもしれない。
  忙しいと、俯瞰図に自分を入れる余裕がもてないからなー。
 
 
 
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言葉も変わった

あの星の現在とその頃(2009年)の違いは、輝きが違うだけでなく人の仕事や暮らし方が変わったが、よく見ると言葉も変わった。
 例えばその頃使っていた、「開発・発達・成長」等の言葉の意味も全然今とは違っていた。
 その頃は、地球を掘り返して富を得るやり方や進み具合をそう言っていたが、
 それも行き詰まり、大きな犠牲を払って、やっと今のように自分たちのことは自分達でやって、皆が希望の持てるような言葉になった。イヤイヤ、この言葉だけではない使われる全ての言葉が変わった。古語辞典を見ないとよく分らない。
 同じ言葉でも、仲間内の暗号のような言葉から、地球上の人だけでなく全てのものに通ずる言葉にやっと変わった。
 
 まだまだその頃のツケや残骸は残っているようだけど、そんな歴史のお陰で今があるのだから、
 感謝しながら、希望を持って今を楽しまなくちゃ、ご先祖に悪いよ。

 

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