草取りで感じたこと

昔の同僚3人で町外れの里山で借りている畑の草取りをした。
 矢車草が群生していたり、2週間前ジャガイモが芽を出したばかりなのに、畑を間違えたかと思うほど大きくなり花が咲いていた。空気はいいし鶯は鳴くし気分は最高だった。
 ところが、3人して草取りや、小屋の片づけ等の作業を始めると、3人3様の
 違いが出てくる。自分のやり方に拘る自分がいた。
 農作業は協力して作業をしなくてはならないことはよく分っていたつもりでいたし、子供の頃は毎日目にしていた。
 ところが、自分でも(アレ?)と思うほど抵抗を感じている。
 長い都会生活のせいなのか、教員の経験がもたらしたのか、子供の頃手伝った時とは感じが違う。いつの間にか悪い癖がついていたようだ。
 やりながら考えた。本来子供達は比較競争する前に周囲の人にたっぷり愛され、
 他人と協力する経験が必要だと考えてきた。少なくても小学校を卒業するぐらいまでは、人格形成の基盤としてたっぷり経験させたい。
 今そんな暢気?な事を言っている人は居ない。人格形成上、子供がこんなに酷い扱いを受けたことはかつて(自分の知っている67年間)なかったと思う。これでは不登校や発達障害が出るのは当然で自然。そこまで行かなくても、子供達はこの悪い癖?で将来(場合によっては一生)大変苦労をするだろうと思う。勿論経済社会を支える人材育成・労働資源の観点からも重大な問題になるはずで、すでに可也以前から指摘する向きもあるが流れは更にエスカレートしている。
 今日最も印象に残り考えさせられたのは畑仕事の最中だった。
 
 
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さすが!

あなたがいること
 
  わたしがいること
 
 そこに憲法が息づいていること
 
   これは(LIVE!憲法ミュージカル2009 ムツゴロー・ラプソディ)のチラシに書かれた、監督の 田中 暢さんの言葉である。ただ、凄い!としか言いようがない。
 この言葉は昨日寝る前に見つけ、感動した。朝起きて、1行目と2行目は思い出すが、3行目の(息づいている)がどうしても出てこない。
 
 あんなに感動したのに一晩で思い出せないのは、(紡ぎ、生み出す)力が弱いからに他ならない。

  それはそれで良いんだけれど? 来月からこれの追っかけが始まる。
 オーディションから本番まで、表も裏も出来るだけ追っかけよう。
 俯瞰図の追っかけと同じことだから。(一日一枚)がどうなるか楽しみだ。
 忘れないように書き留めておきたいのは、
 あの3行は素晴らしい言葉と言うより、最も現実に近い俯瞰図として表現されている。
 これまで、幾人もの立派な憲法学者の話も聞いてきたし、1昨日は素晴らしい憲法の歌声も聴いてきた。しかし、上記の3行は感覚的にも最も現実に近くにいないと出てこない。感覚も含め体がそこにいたから、憲法を生き物のように(息づいている)とずばり表現できたのではないか。
 言葉は、3行でも1行でも一言でもいい。体が現実をどれだけ感じ取り、明日を予見できるか。
 今日は畑の草取り、囲碁、夜は芝居、 全部俯瞰の訓練?だ。
 こうして、1日が始まるのでした。
 
 
  
 
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