世の中の見える世界から見えない世界まで思いっきり。特に、子供、教育、不登校、自閉症等 情緒に関心あり
天まで届け
地域の(産業)の自立
地球は産業の構造転換が求められているが、人の住む全ての地域は産業の自立が求められているのではないか?と、今朝思いついた。
地球全体の産業の在り方と60数億の人とを繋ぎ、空間を埋めるイメージである。
人が人格的に自立する前提として、まずは人間の営む産業が地球依存から脱せなければならない。同時に60数億の人間が住み生活する空間(地域)は食べていくため空間として産業の自立が必要ではないだろうか?グローバル経済としては日本は1地域だろうし、国内的には人の住むどの町も空間も変わらない。
昔ながらの自給自足や画一的な町を想像しているのではない。
住む環境は異なるし、行き詰まったとは言えこれまでの文明的な到達点も、ある意味で財産として持っている。
環境の違いから多様な産業形態は当然だが、基本的に他に依存するものであっては安心して仕事をして暮らすことは出来ない。
日本経済の外国依存が進むほど日本は自立を困難にしている。
ドジが住んでいる町も、畑を潰して、マンションや高層住宅が作られる一方シャッター街や取り残されたような老人の多い住宅地が拡がる。廃校と学校建設が同時に進む。
大きな駐車場を持った大型店舗が突如去った後に寂れた商店が残される。
この町は何かに依存して来なかったか?
それは広い意味で地域産業の自立と関係ないだろうか?
住宅や、商店、学校が即産業とは言わないが少なくても産業を構成し支えた土台であってどこかの産業のシッポではなかったはず。
その面から言うとかつての革新市政も、現在の保守市政も失敗と言わざるを得ないし、今も続いてる。
都市計画、街づくり政策には広い意味での産業の自立が必要だと思う。
地方自治体の選挙もあろうが、地域空間の広い意味での産業(経済社会と言ってもいい)の自立は人々が求めている政策上の大事な柱だと思う?
産業や企業の規模の大きさで云々する前に自立の論議が急務ではないか?
世界第2の経済大国日本の、今日の経済不況や派遣切りは、産業の自立していない結果であり単に外需・内需の問題ではない。今やっている景気対策が経済対策として成功するとは考えられない。
選挙などで目にする政党の政策やメディアに登場する論調に違いはあっても、(doziが期待してる)経済対策はあまり見られない。
地球全体の産業の在り方と60数億の人とを繋ぎ、空間を埋めるイメージである。
人が人格的に自立する前提として、まずは人間の営む産業が地球依存から脱せなければならない。同時に60数億の人間が住み生活する空間(地域)は食べていくため空間として産業の自立が必要ではないだろうか?グローバル経済としては日本は1地域だろうし、国内的には人の住むどの町も空間も変わらない。
昔ながらの自給自足や画一的な町を想像しているのではない。
住む環境は異なるし、行き詰まったとは言えこれまでの文明的な到達点も、ある意味で財産として持っている。
環境の違いから多様な産業形態は当然だが、基本的に他に依存するものであっては安心して仕事をして暮らすことは出来ない。
日本経済の外国依存が進むほど日本は自立を困難にしている。
ドジが住んでいる町も、畑を潰して、マンションや高層住宅が作られる一方シャッター街や取り残されたような老人の多い住宅地が拡がる。廃校と学校建設が同時に進む。
大きな駐車場を持った大型店舗が突如去った後に寂れた商店が残される。
この町は何かに依存して来なかったか?
それは広い意味で地域産業の自立と関係ないだろうか?
住宅や、商店、学校が即産業とは言わないが少なくても産業を構成し支えた土台であってどこかの産業のシッポではなかったはず。
その面から言うとかつての革新市政も、現在の保守市政も失敗と言わざるを得ないし、今も続いてる。
都市計画、街づくり政策には広い意味での産業の自立が必要だと思う。
地方自治体の選挙もあろうが、地域空間の広い意味での産業(経済社会と言ってもいい)の自立は人々が求めている政策上の大事な柱だと思う?
産業や企業の規模の大きさで云々する前に自立の論議が急務ではないか?
世界第2の経済大国日本の、今日の経済不況や派遣切りは、産業の自立していない結果であり単に外需・内需の問題ではない。今やっている景気対策が経済対策として成功するとは考えられない。
選挙などで目にする政党の政策やメディアに登場する論調に違いはあっても、(doziが期待してる)経済対策はあまり見られない。
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