道具としての「専門家」

何かにつけ専門家が登場する。素人(一般市民)からすると専門家は格違いで対等は憚れる。

コロナだけでなく如何なる専門も社会的には「部分」に過ぎず、より全体知が必要な時代に部分知では片付かない。

政治やマスコミは「専門家」を何に利用しているか? 市民はどう利用されてるか?

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自然と神仏

私たちに求めているのは 神でも仏でも 安倍さんでも小池さんでもない。

 敢えて言うなら自然界からの求めか。

 コロナ騒ぎで 無力な神仏を散見させられる。

 

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テストは嫌いだが

異常気象もコロナも経済も 私たちに どんな社会を作るのかと 問い続けるが、私たちは さっぱり 答を出そうとしない。

 大自然に勝てるわけないから 答えを出さない限り催促される。

今はコロナ 間もなく熱中症と台風 経済は50年前から問われてる。

 答えを書けずにいるのは トランプさんだけじゃない。

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せっかちで狭い

感染の減少を見て規制や自粛を解除しようとしているが 違うのではないか。

どう動くかの構想を基に新しい動きを促すのが 順序ではないか。

各界のリーダー  専門家 コメンテーター からは その声が聞こえない。感染だけが問題なのではなく 感染者の減少は収束とは意味が違う。解除の意味は速さではない 必要なのは全体知 リーダーの考えてることが せっかちで狭い。 

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