へそ(中心)を欠いた見解

 

  日曜討論(NHK)を聞いていて

   今の経済が環境である自然から収奪すうrことによって成り立っている事実を誰が否定できよう。 
   これだけ事実や現実から目を逸らし どうして現状や将来を語られようか? これが率直な感想である。

   何方からも自然の論理を聞くことが出来なかった。

   自然と人や社会との関係を見ずしてどうして現状や今後が語られよう。(服の上から掻いてるに似ている)

   関係を認識せずしていくら接近しても認識や理解には限界がある。抽象的だがそれを感じ虚しいものがあった。


 

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10年早まる歴史

世界や日本のバタバタぶりを見ていると パンデミックも日本の感染終息も長引き来年の東京オリンピックの開催が気にかかる。

それどころか 経済の落ち込みは大きく 加えて新たな難題が降りかかりそうな気配すら感じる。

 世界も日本も 政府やマスコミがこの現状をしっかり認識していないように感じるからかもしれない。

その分犠牲を多く払うようだが 逆に歴史はパンデミックによって 10年早く前へと進むような気がしている。

イザコザは増え 行ったり来たりしながら 世界は(自然を含め)全体的に一つになって行くだろう。

      舞台中央で演ずる米中関係が面白い。  ここまで見られるとは 10年長生きしたような気になる。

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不登校の仕組み

本来人の感覚は一体として統合されているものが 。使用する感覚が偏ると 統合する感覚を弱めトレスがする発生するのではないか。

 主体的に五感を使い動いてきた幼児が 入学し学校生活によって 動き方が一変する。

生活環境や行動様式が一変する。個体にとってその差はストレスはになる。

人は ストレスが無く喜びで生命力を高める行動は拒否しない。逆であればその行動を拒否する。これは生体の本能と言っても良い。

不登校は子供の学校へのストレス過剰に因るのは論理的帰結である。

 学校生活や学校の仕組みは 子供の本能的な身体感覚と探索行動を抑える。 

  偏った感覚器官の使用を強いられ統合する余裕は保障されず 動物的な探索行動は抑えられる。

 これれらのストレス過剰に因って生じたのが不登校だろうと思われる。

不登校はすでにストレス回避の行動様式に至っているが 本来の身体感覚と探索行動を積み重ねることによって耐性をを増し、行動範囲を拡げる。

学校生活に戻るか別ルートで社会と繋がるかは多様だが 繋がる方へ向かい変化していくのは自然の理 だろう。

 感覚を取り戻し行動の変化を細かく見定めるのが重要で 支援があるとより確認し易くなる。

  

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