政治感覚が時代遅れ

日本のコロナ感染症対策の第1義は「医療体制を守る」だった。今も変わっていないようだ。

  医療行為としての第1義は感染症の検査に因る実態把握で、それを基に体制を組むのが 通常の医療行為ではないか。

ボタンのかけ違いを 既定方針に拘り変えない。政治の無謬主義は時代遅れだろう。

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日本が見え難い

昔から 日本は 世界的に特別な国家で 「神国日本」「神風」「選民思想」を大事にするようだ。

 マスコミではコロナ感染者数や死者が国際比較で少ない事を取り上げ「奇跡」や「ミラクル」の言葉も使われる。

 逆に少子高齢化や借金世界1には「奇跡」や「ミラクルは」は使われないから、ついその気になって良いことづくめで 世界を公平に見ることが出来ない。

 マスコミの情報やそれによって作られる空気を考えると 国や自分の立ち位置を世界的に客観視するのは難しい。
     難しくても 日本の現状を地球的(世界的)視野で客観的で公平に確認したい。

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小手先ばっか

9月入学は コロナの休校が議論のきっかけで、小手先過ぎる。

教育をコロナ禍との関係で論ずるなら、休校によって勉強が遅れたり格差が生じた子供を問題にする前に 感染症の備えが出来なかった大人の問題を 日本の教育の基本的な問題として取り上げるべきではないか。

 今日の行き詰まった現状を考えると 入学時期に矮小化している場合ではない。

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やりっ放し

歴史を見ると 国家的に(正しい)とされていたものが ある日突然 (間違い)とされるものは少なくない。

 ドイツのナチス 日本の大東亜戦争は世界的にも代表的だが 仔細を問えばどの国家もきりがなくある。 

政府が遂行する政策の実行は 国家的な仮説実験で有り 成功する場合も失敗する場合もある。

現在 日本が進めている政策の功罪は 今後明らかになるが、 日本はあまり検証しない。

 日本の国債の多さは世界1だが この是非は検証されてるだろうか。

歴史的には 間違いを検証せず気づかずやり過ごしてきたものは珍しくなく 国家的に検査や確認は苦手なようだ。

最近ではコロナ 検察長の人事など事例が多過ぎる。事実より主観 非科学的センス 権威・権力志向が強いのは国民性か?この辺の癖を自覚して掛からないと

泥沼から這い上がるのは難しい。

 

 

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