世の中の見える世界から見えない世界まで思いっきり。特に、子供、教育、不登校、自閉症等 情緒に関心あり
天まで届け
知らぬ間に変わるものだ。
学生時代以来、50年近く間隔が開いたが、違いを2つ感じた。 一つは,坐っていて、周囲から聞こえる音が、以前より、背中を中心に体に響く所が広がっている感じがする。
もう一つは、坐っている時いろいろなことが心か頭か分らないが浮かんでくる。以前は何も考えないように努めた気がするが、今は何が浮かんでも、そのまま浮かんだものを追っている。
今のほうが、楽だし良い感じだ。
授業時間を増やす。
教育的に細かく論ずる気になれない。批評の枠組みになるかもしれない2つのことを述べたい。
1、現在の学校教育が、子供達にとってどうなっているか、今の 現実を見ることだ。
ここ10年、義務教育の学校へ行けない子供達が全国に12 万人を数え、発達障 害と呼ばれる子供達が、ほぼ同数おり、少子化傾向の中で、両者とも年々増加 している 現実。このことと、これまでの教育行政の関係はどうなっているか。
2、授業時間を増やすと言うが、
、「勉強時間を長くすればするほど、勉強が出来るようになる。」なんて、本気で考えているのではないだろうか?とさえ思う。 子供達が、家事や遊びほろけて勉強する時間が不足している時代ではなく、現状はその逆である。
我々がどんなに願おうとも、自然界の≪ヒト≫と言う生き物の法則に逆らっては発達しない。
食べさせればば食べさせるほど大きくなるわけでもないし、寝ないで赤ちゃんにあれこ れ教えて賢くなるものでもない。
学力を上げるために勉強時間を増やすと言うけど、子供の体力低下の問題はどうしたのだろう?
学校嫌いや勉強嫌い、引きこもったり、生きる意欲 を失う若者の問題など、誰もが心配している統計に出ない問題も多い。
私の教師経験で付き合った子供達の中に、ただ一人として≪勉強時間を増やせばよくなる≫と考える子供は思いつかない。
やっぱり思う
総合的に見た安全保障の優先順位
1、新型インフルエンザ
2、温暖化と異常気象
3、医療・健康・介護
4、事故・犯罪
5、天災
6、変死・孤独死・自殺
7、食・薬品・健康疎外物質(建築材など)
自衛隊
思いついた物を列挙してみた。自衛隊はどこ入れたら良いだろう?
安全保障守るのはまずは国民の命だろう。侵略され命を失うことは避けなければならないが命はほかの原因によって、また大義名分も無い不慮の死はもっと避けなければならない。安全保障は、広きに渡っているだろうが、緊急で、頻度や規模の大きいものから対策を立てるより他は無い。外国からの侵入から国ををまもることも安全保障重要だが、過去50年以上その危険はアメリカも日本もなかったし、世界を見たとき同じようにその危険にさらされた国は多くは無い。過去50年、先進国の立場から言えば他国へ出かけることはあっても、自衛の戦いを余儀なくされた例は記憶に無い。
それより、戦争以外の理由で、国民の命や安全が脅かされ、財産をうしなっている。統計資料を持っていないが、日本はかなりの増加傾向に見える。命や暮らしが脅かされ、少子かも先行き不安の結果が原因ではないかとさえ思う。
とにかく、安全保障は現実的に対応しなければ、役割を果たしてるとはいえない。安全保障は時代や状況によって、安全の中身や軽重はかわる。日本の安全保障は心もとなく危機対策もほとんど講じられていない。今は予算編成の時期、議論の優先順から言えば第1のはず。 道路を作らない危険と、新型インフルエンザの危険の出現の可能性やリスクの大きさをどう考えているのか?(考えているわけが無いからあんな論議にうつつを抜かしてる) ボケボケだ 。
アメリカの大統領選挙
羨ましいと思うことが2つ
①党首をこんなに時間をかけてオープンに選ぶこと。
②加熱して個人攻撃しても、そのあと、お互いに明るく冗句が言える。
日本では攻撃一方。大人と子供の違いとまでは言わないけれど‥‥
心配なこと1つ
①とりまく政治課題に対し(日本より)酷く内向き、課題と候補者の課題意識の間に熱い壁を感じた。見ていても政策上の具体的な違いが殆ど見えてこない、パワーゲームとお祭り騒ぎと、お金集めが優先されている感じ。
ゲームを見ているようで楽しいが、考えると、世界のリーダーを選んでいる。
日本同様、大丈夫?と思う。
「呆れてものも言えない」ことが増えている
日本の景気刺激策
私の予想
日本は個人の預貯金が≒1500兆円ある。
このお金を投資信託や株などに誘導すれば投融資と同じ結果が得られる。
今後物価は上がるし、定期の金利は低い。預貯金は目減りするばかり。
環境的に誘導しやすいし、
預貯金は目減りを我慢するか、金融商品でリスクを支払うかの選択になりそう。
G7の共同声明を読んで浮かんだ遠い夢
景気そのものは、やがて循環的に回復するが、崩れや不適応は別。
人為ではどうにもならない資源の枯渇や自然災害などに遭遇し、社会の維持が困難になった時、ヒトはその力を借りて、適応力が働いてくるのではないだろうか?
そこで人間と自然の基本的な関係(ヒト在っての自然ではなく、自然在ってのヒト)を取り戻す。
そこで、はじめて、子供達に誇れる文化を手にすることが出来る。
それは、(今を考えると)夢のように穏やかな極、普通の社会ではないだろうか。
「人の言葉に間違いはない。」
だれのどんな言葉や話も、その人の言いたい事を、言ってるのだから間違いではなく、単に一般的な言葉遣いでないだけ、と言う。
そんな理屈はその時初めて聞いたから驚いたが、暫くして納得し、感動したもんだ。その後、時々その言葉を思い出し、他人の話をそう受け止められたら良いなと思うが、実際の場面では、そうはいかない。
やっぱり自分の価値観や是と思う言葉遣いが優先され、それに合わないと良い顔をしなかったり、否定してしまう。殆ど癖になっている。
物事を俯瞰して見るといいとか、現憲法の憲法力はは他者の立場で考えられる力の事と、せっかく思いついても、実際に実行するのは、本当に難しいものだ。多分、一生をかけた修行のようなものになるのだろう。
明日、教育懇談会がある。言葉の上では自分の意向に反した話も沢山出てくる。その時こそ、お互いの学びのチャンスに違いない。異なるときは、さらに言いたいところを尋ねることにしよう。
言葉は、ある意味で、白米ともみの関係かもしれない。上っ面は異なるが中身は同じ、またどちらがふさわしいかは使い道によって違う。どっちがどっちの立場かは、お互いに殻を剥がす作業を一緒にやらないと分らない。
きっとそういうものなんだ。
自分が日本の顔だったら。
世界が教室で、200余の国々が子供で、その中に日本と言う名前の自分がいるとしたら。
1、クラスの皆に嫌われないように、身の丈にあった行動をし、 良い振りこきはしない。
2、1番強いA君の言うことを聞くような振りをするが、家来には ならない。
3、学校では、そこそこ勉強をするが、全体として 自分の やりたい遊びは、どんなことをしても貫く。
4、いつも 好きなKさんを意識して、その子に好かれるように動く。
この動き方は、自分の小学校5年生の頃を思い出して書いた。
国に顔があるとしたら、今の日本の顔より、子供のころの日本君の顔の方が今でも好きだ。
何故なら、思い出した日本君の顔は、今の日本の顔とは反対でカッコウいい。今の日本に尋ねたい。「何故そんな顔をするの?‥‥ 」 と。
(今の日本君の顔は昔の学級では、表向きはよくても、陰口をたたかれ、最も嫌われ、友達が出来ないタイプの顔だ。)
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