見える世界と見えない世界

この日記を書着始めた3年前、「見える世界」と「見えない世界」は全く別の世界だと思っていた。
 近頃、この2つの世界は(はっきりではしていないが)地続きになってきているような感じがすることがある。
 子供の心も動き方とお金の動き方が全く別物には感じなくなっている。それぞれは、取り巻く条件の全体的関係で必然的に動くような気がするからかもしれない。

子供の心とお金の動きが1枚の絵に収まりそうな、もう少しのようなそんな感じになっている

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出来る事と、出来ない事

「覆水 盆に返らず」では無いが、コップの牛乳は飲めてもこぼしたら元には戻せない。  
 北極の氷山が溶け出したり、異常気象を止める事は、人間には出来ない。
 人は個人も社会も、【今】人間には出来る事と出来ない事がある。
 そう考えると、やり直しが出来ないようなことは出来るだけしない方が良いがそうも行かない。

  世界や日本は経済の行き詰まりを前にして、皆、お手上のようだ。最も解決したいのに解決できない事態の一つではないだろうか。
 株安や、成長率の低下はいつまでも続くことはなく、やがて回復?する。ある意味で自然の動きである。
 しかし、それは経済の行き詰まりを解決したとは必ずしもいえない。
  戦後、何度か~以来の好景気を循環し今日に至っている。
    今回、      サブプライムや、赤字のバブル崩壊とだけ言って今までと同様に対症療法的な対策を講じていていいのだろうか?
 今回の不景気の原因を探ると、原油に代表されるように地球資源の限界の壁に若干なりとも影響していたのではないか。
 地球資源の奪い合いから発生している問題は、中東やアフリカの戦争状態をはじめ、世界の隅々に至るまで利害の対立は顕著になってきている。地球資源は次第に経済活動の中心的な条件になるに違いない。
 ところが、限界ある地球資源を前提にした経済成長の話を聞いたことが無いが、出来ない事ではない。

 
  
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新型インフルエンザ対策

今朝、NHKで,(新型インフルエンザ  △感染爆発の危機 △身を守る方法は)       を 30分放映していた。4~5日前民放でもやっていたから2回目。現にインドネシアでは100人以上が死んだ.これが新型鳥インフルエンザだったりすると、この日本はほとんど対策が立てられていないから、またたく間に何千何万人に死の危険が発生するらしい。登場した科学者の話ではいつ発病し感染してもおかしくない、ほとんど時間の問題というニューアンスだった。多分、万が一のことを考えた用心深い警告だとは思うが、ほとんど備えが無いと言うのはどういうことか。国会の借金感覚のない先生方は、災害の危機意識も無いようだ。番組を担当した人たちや放映した2局は本当ににありがたい。被害は台風のどころではないはずだから、全局が警鐘安打し、眠ってる先生方や、我々を起こしたほうがいい。現実は、その前に、放送局や新聞社などの報道機関の人たちが目を覚ますかだろう。それにしてもあの番組を放映した2局や担当者は天晴れ(アッパレ)だ。
眠ってる偉い人たちが、目を覚ましたアッパレを支配する現実。

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達磨(真実)とお金

達磨は真実のことで、自然の摂理や法のことらしい。

ところで、
個人も社会も、何よりお金を求めているように見えることがよくある。
 社会の仕組みや人の行動も「幸福」と言いながら、その幸福を棚上げして、場合によっては犠牲にして、財やお金を求めているのではないかと、(自分自身の心を含め)そう思うことがよくある。

 大学1年とき、聖書の中の神という言葉を全部(お金)と置き換えて読んだことがある。それなりに、全部意味は通ずる。
確かにお金は凄い力を持っている。特に今のような世界の風潮(拝金主義)の中では、逆転した動きや出来事は、普通にさえ見えてくる。
 (自分自身も心配になる。)
 
  お正月にお寺や神社へお参りに行く。お賽銭を出してお参り(お祈り)する。キリスト教会の場合だと献金して祈る。
この逆に、祈ってお金を貰うことはない。
 達磨市の場合も、お金を出して、達磨(真理と言う祈願の対象)を買う。
 だから、一人ひとりも国や集団や組織も、根っから価値観が変わったのではなく、どこかで取り違えを起こしているのだろう。

世のリーダーや、組織、権威者、メディアが勘違いして動き出すと、個人は大変だ。   そして今、大変だ。

付け足

  書き終わってから、面白いことを思い出した。

   ある元代議士が、派閥の領袖から祈るように手を合わせ
   札束2つを受け取る仕草を、ワイドショウで悪びれず見      

    せていた。お賽銭を上げて祈ると書いたが、現実に

    その逆があるんだ。そういえば 「政治献金」と言う言        

    葉も、出す方の立場でも変だが、今の日本は、もらう立場の人が平気で使っている。

     偉い勘違いがまかり通っている。

      

     

 

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ひょとすると。パート2

今朝から、すずめが全く姿を見せない。
昨日から変な感じがしていたが、やっぱりと思う。
去年も、突然3ヶ月ほど、来なくなったことがあった。
(その猫には悪いが)近所の猫に襲われたのだろうと疑っている。今回、2度目?
自分のやってることが良いのか悪いのか?と、今迷っている。

  さっきから、遠くで大勢のすずめの声だけは聞こえる。
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国の安全保障


安全保障と言えば
日本では、外国が攻めてきたときの備え、いわゆる防衛の軍備を意味する。
 アメリカでは、加えて、新インフルエンザ対策などの防疫やエネルギー対策なども安全保障に加えていると言う話も聞いた。
 
 敷衍して考えると、自然災害や地球環境の異変、防災、食、水、廃棄物など、浮上してくる。脅威の科学的根拠や、必然性、度合い、被害の規模などを考えると、人の安全は相対的なことが分る。
 こう考えると、日本の安全保障の考え方や対策は憲法9条の如何を問わず狭く、不十分すぎると思う。
 要するに総合的な安全保障や危機管理の対策が考えられていない。
 
 軍拡競争が示すように、世界の安全保障の考え方も、総合的とはいえない。
 時節柄、予算配分でで考えると、人や国の安全保障のメニューーを並べ、お金をどう配分するかを考えなければならない。鳥インフルエンザ流行の可能性や被害の規模が戦争より小さいとは簡単には言えない。メニューの中身は現実的で具体的な分析し優先順位と脅威の規模で配分する。状況は変化し固定しない。

 今日の安全保障の人為的脅威と、自然的脅威を比較すると、後者の割合が次第に大きくなってきているように見える。理屈的にも人為は人の意思で何とかなるが、自然はそれが効かない。

 日本の9条をめぐる改憲や護憲の主張は総合的な安全保障を考えると見ているところが狭く現実的ではない。以前から、この辺の事で何か言いたかったが、言葉にならなかった。

 これを書きながら、妻に聞いてもらったら、「皆が抜け落ちていたところだね」とまんざらお世辞でもないように言った。(こんな当たり前のことを、今までどうして誰も気が付かなかったのだろう?)と私は調子に乗って「これは、ノーベル平和賞だ。」と言ったら、「もらえるかもしれないね」と、顔色一つ変えず、パソコンを打ち続けている。老眼鏡の夫婦は何となくそんな関係だ。
 
   すずめに何かあったのか、朝から餌に寄って来ない。

 

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なぜ国の借金に無頓着か?

予算審議を見ていると、自己破産するような国の借金を抱えた為政者は、お金の使い方ばかり話し合い、借金を返す素振りさえ見せない。 考えて見ると、国債を発行し、国の借金を決めたのは為政者だが、総理大臣始め、為政者は次々代わるのだから、返す責任者ではない。だからと言って国民が借金返済の責任者の自覚があるようにも思えない。あんな膨大な借金をこしらえ、だれも返済の責任者の自覚が無い。「借りたものは返す。」は子供以外守られていない。 ※国の借金は国民が借りたことになるから、いずれ、税やほかの方法で国民の資産  を返済に充てるほかない。さもなくば、不渡り手形というか、戦後やったような形でチャラにするほか無い。 どちらにしても大人は、無責任なことをしている。
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うちに来るすずめはグルメか?

すずめが来るようになって、うちのお米の減る量が目立つ。3人家族が6人家族になったようだ。家族が少ないのでコシヒカリやササニシキの新米など一応銘柄米を食べていた。ところがすずめも参加したので、やっぱりちょっと女房の顔も気になる。しかたないから、昨日鳥のえさを買ってきてあげた。するとすずめの行動様式?が昨日から違う。昨日はえさが夜まで残っている。今朝はさっぱりやって来ない。来てもすぐどこかへ行ってしまう。

ひょっとして、お前も流行のグルメ嗜好か?俺のようにメタポリックになるな!
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竹中氏の発言から考えたこと

今日の、サンデープロジェクトで、竹中平蔵(前大臣)と木村(証券会社のエコノミスト)両氏は、最近の大臣の言動を踏まえ、「日本の政府や日銀は、政治や経済の基本もわきまえていない。」と、酷評していた。
 両氏の言わんとすることが正しいとは全く思わないが、別の意味で、【基本をわきまえていない】と思われることがある。

 政策以前の全体的な状況の理解が、門外漢の私などから見ても、竹中氏ではないが【酷い】と思うことがよくある。
 
 これだと、経済だけでなく【日本全体の国際的な地位の低下】は思いのほか早いのではないか?
 経済成長を国の最高目標とし、「世界第2の経済大国」を自負してきた日本が揃いも揃って経済担当大臣の二人が≪日本経済は2流≫と記者会見で述べた。世界に宣言したようなものだ。竹中氏は「無責任」と言うが、国民の目線で言うと「正直」とも言える。
 竹中氏は経済の無理解や無策、政治家としての態度を批判していたが私は環境や教育でも国民生活でも、全体的に無理解、無策、政治家としての基本的な知見と態度の欠如を感じる。

政府や与党を云々の問題も有るが、国民の上下左右に関わりなく、日本の政治全体、国民の全体的な力(民度)の結果だろうと考えている。

 スポーツ、学力、ここへ来て看板の経済‥そのほかにも、少子高齢化の速度、財政赤字、自殺、子供の問題、等から犯罪や偽装事件まで社会の随所にのモラル低下や病理現象が随所に現れている。
 大袈裟かもしれないが人心の荒廃ぶりは既に政治が機能せず壊れてるかの印象すら抱かせる。

 ここに至っては国内、国際を問わず、見栄を張ったり、焦っても仕方ない。地球環境や子供の問題を正面に据えて、【政治元年】のつもりで、基本からやり直す以外に無いのではないだろうか?
 今日のサンプロやNHK討論会でも、800兆からの借金を抱えながら、どの党派の政治家もお金の分捕り合戦ばかり話し合ってる。(道路だ、値下げだ、どころではないだろうに、3時間ばかりテレビを見ていたが、赤字財政を前提に物言う政治家は勿論、司会者を始め学者、メディア関係者にも誰一人いない。基本を押さえない1例を目の前でやって見せてくれる。)以前にも書いたが、家庭や会社では起こりえない話。
 景気刺激策(内需刺激)を言う人もあるが、これまで景気刺激策や国際競争力の大義名分で経済2流になったのではないか。基本に戻って考え直した方が良い。
 金を使い過ぎで財政赤字になったはずなのに、政治の思考や行動様式を変えられないでいる。

ひょっとすると、日本だけでなく世界全体が、既に時代や状況が読めずに呻吟する佐幕派や、戦争末期のの抜き差しなら無い挙国総動員体制と似た状況に陥っているのかもしれない。

 

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ひょっとすると、

  世界、とりわけ日本に対してこれまで感じて来たイメージは(ひょっとすると)実際とは大きく違ってるかもしれないと思う。

  アジアの端っこに浮かぶ小さな島国が、あの敗戦から今日の(世界第2位の経済大国、世界1の長寿国)へと、繁栄してきたイメージを根底に描いていたことは否定できない。ところが、定年も過ぎ、ゆっくり周りを見ていると、長い間、事実として考えてきたことが、(間違っていた。)と思われるものが少なくない。

   敗戦後の日本人は誰もが経済的な繁栄を願った。そして現在ある意味でそれは実現したと言える。
 
  果たして、現在の繁栄は虚構でないといえるだろうか?
  ひょっとすると、長い間勘違いしてきたのではないかとの思いに、より現実感を感じるようになった
    
   例えば、今日の世界の(なかんずく日本の)景気の後退で我々は、経済的な回復を願い、これから生ずる困難を思い、出口を探す。ところが今回は、その後に地球を俯瞰し、人間が地球を掘り起こし、焼き尽くす手を休める人間に、地球が一時の安らぎを得、喜んでいるようにも見える。
 
 地球とヒトを俯瞰すると、ヒトの繁栄の出口を探すだけでは、 ≪ひょっとすると≫田分けへの出口探しを繰り返すことになるかもしれない。

 田分け→田分け者→目先の利益を得るために自分の田畑を    

               売るヒトのこと。

 

 

 

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