小さい秋見つけた

30年近く前に子どもたちに≪小さい秋≫を教えた。 
 3番ぐらいに(お部屋は北向き 曇りのガラス うつろな目の色 とかしたミルク)とある。どうしてもその意味が分らなかった。
 結局曖昧なまま教え歌った。ずーっとその意味は分らないまま来た。
 先日、新聞で佐藤ハチロウの特集がのっていた。
 なんとあの当時、あれを歌ったボニージャックスもあの部分が分らず、佐藤ハチロウさんに聞いたそうだ。すると当の佐藤ハチロウさんは「私も分らん」と答えたと言う。
 生きていると いいもんだ。 昨日は佐藤ハチロウを描いた(おかあさん)の芝居を見てきた。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

COP15

つい、色んな出来事を否定的に書いてしまう事が多くなりがちだが、実際はそうばかりでもない。
 良い事も悪い事もそのままではない。
 矛盾が大きくなれば否が応でも向き合わざるを得ないし向き合うものだ。
 COP15へのオバマ大統領の出席がその事を物語る。
 削減目標などで足並みが揃わないようだがテーブルに着いた意味合いは 環境問題に留まらないだろうと、期待している。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

競や争いの陥りやすい所

(赤ちゃんが競争をしないように)人類は、もともとは競争する文化は持たず、共生・協力する文化を持っていたと言われている。どの時点からか競争を覚え文明文化を急速に発展させ、今日の競争社会になり行き詰まっている。
本来、競争は目的ではなく手段のはずだが、競争はヒトを麻薬のようにエスカレートさせ、理性的判断を奪い、コントロールできずに目的と手段の本末転倒まで起こす。 
オリンピックのメダル競争から,環境を壊し借金してまでする経済競争、学力の競争で勉強嫌いや学校嫌いの大量生産‥等々
 
 
戦争でしている自爆テロも手段と目的の転倒か?
 もしそうなら、自爆の目的が無い筈はなく、本当の目的(願い)を知りたい。
 どうしても願いの共有が出来ないなら、軍隊を増派しても解決する筈はない。
 オバマさんの判断かアメリカの歴史的な背景かは分らないが、増派の決定にも手段と目的を転倒を感じる。(民生支援の論拠も今一はっきりしない。)
どれだけ手を尽くしたのか(増派のオバマさんの演説はアフガンやパキスタンに窓口があるにも関わらず手を尽くしていないことを裏打ちしていなかったか。)実際、前大統領が≪ならず者≫と言った以外、自爆テロする人たちの願いをはっきり聞いたことがない。普通、ならず者は 命乞いしても自らの命を断つような事はしない。昔から、ならず者は 命根性が汚いとされている。
こんな事では子どもの喧嘩も諌められない。 
オバマさんには悪いが支持率の低下がせめてもの救い。
 
 
 
 
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

何故、教育も経済も

昨日、(発達障害)の講演を聞きに行ってきた。
 講師は専門的な立場のお医者さんだった。講演はお人柄を表すような穏やかで楽しく世界的視野で全体的な状況を分りやすく話してくれ勉強にはなった。
 しかしここでも最後まで(自然)の観点からの話は聞けなかった。
 子どもが大変だと言うのに、何故自然との関係が語られないのか?
 今は教育関係の会合はどこへ行ってもその話≪視点≫は(私は)聞けない。
   午前中の政治討論会の経済の議論もも同様である。
 子どもの教育や経済と自然との関係はないのだろうか。
 誰が考えても子どもは生き物であり、経済の基本は自然を対象にした人間活動である事は分りきっているのに 何故?
 人間自身が自然であり、周囲の自然の中で存在し活動しているのに、なぜ
 それを抜きに教育や経済が語られ、対処するのか分らない。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

想像力②

 社会状況によって 個人の想像力は低下するが、同時に個人を束ねた社会の想像力をも低下させ、想像力低下の循環が起きても不思議ではない。
 実際に、そうなっていないだろうか。
 午前中、例によって3っつの局で政治討論会が行われた。中でもテレビ朝日のサンプロは、番組が【徹底討論】と幾度と気張るが、司会者も参加者全員の話が 漂流しているようだった。
 普天間と経済対策を話題にしていたが、守りの政府も責めの野党も、専門家も
 誰一人地球全体を脳裏において話している人は見当たらない。
 基地の問題なら世界の経済と切り離した当面の対米関係、経済なら成長戦略をと言いながら、財投や金融緩和など借金を前提にした需要拡大の話ばかりだった。
 とりわけ現政権を追求する前政権の大臣だった石原氏は需給のアンバランスが30兆円に及ぶ事を論拠にして需要拡大を迫り、挙句の果ては、大企業の供給を更に高めるべく要求する。
政府の代表は、デフレの認識による対応や、エコポイントや環境関連産業を振興(ビジネス化)でと応じる。
 地球環境や資源の枯渇など、ここでは全く念頭にない。
 世界は一昔前とは違い富国強兵はおろか、経済を抜きに軍事を語たり、資源や環境を抜きに経済を語っても意味のない状況に既になっていないか。
 資源の消費的な生産を前提にした話や、まして借金して消費を増やすなど経済の話をしているとは考えられない。
 出口に向かっての話しでなく、壁に向かってどうつき進むかの話ばかりしている。
「 徹底討論」と言う度に、氷山に向かって進む客船タイタニックの客室を連想してしまった。
    
    我々は目先の自分達の利益(快楽)を追って堂々と子供達につけを残す。
    我々の想像力の低下はそこまで至っていないか。

      小さい星にいるボケ老人は そう思い込んでいるようだ。
 
      「いやいや、変なことが見えやすくなってよかった」と胸をなでおろ       しながら  相変わらず戯言を繰り返している‥


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

想像力

今の時代、 我々の想像力がどうなっているかを見直すのは大事な事かもしれない。とりあえず書いてみる。
 田舎にいた時は否が応でも田畑や空や季節を意識せずに暮らすことは出来なかった。
 東京へ来て、街や交通を意識せずに暮らすのは難しいが、田畑や空や季節を 意識して過ごすのは比べ物にならないほど減った。当たり前である。
 我々は周囲の環境によって想像するものが違ってくる。
 社会がシステム化し忙しい中では、我々は物を考え想像して処理するのは難しくなり、次々求められる課題は決められたルールや行動様式で手早く処理しなければならない。一々自問自答し考えてはてはいられない。
 目まぐるしく変化する社会にあって多くのヒトがそういう中で暮らしていたら、
 想像力の減退はむしろ自然かもしれない。
 ただ、人間の想像力と関係なく環境や現実はある。
   ギャップは 避け難い。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

経済は消費か?

(素人考えだが)
産業の元は生産と消費で、
 それがつり合って経済が成り立っているのではないか?
 もしそうだとすると、「コンクリートから人へ」と方向付ける政府の経済政策は一方の消費について対策を語っている事になる。
 しかも、生産も地球的な意味でも生産と言えるもの(例えば第1次産業)と地球的には元に戻せない消費に当たるもがある。
 今の経済はすべてをひっくるめて生産としているが、持続可能な生産とは言えない。
 我々が考えている経済は、無限な発展に向かってではなく有限な中にあって限界に向かって経済を発展させようとしている。それを経済成長と名づけ競っている。
 当てのないことをしているように思うが、違っているだろうか? (違っていればいいのだけど、経済対策で金融緩和や財投を競うように派手にやっている日本や同じような動き方をしている世界を見ていると、専門的‥な勉強をしていない自分 は 不思議で仕方ない‥)
 補足 経済の生産と消費の関係で、今回政府がやったのは消費と浪費の区別だったのではないか? 大事な事だが、生産からは程遠い所での作業だった。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

呆れながらも興味津々

遠くの小さな小さな星に、株価を追って世界中を駆け巡っているおじいさんがいた

 おじいさんは自分がヒトであることを忘れたかのように「人類は真面目な顔で変なことをするなー」と呆れながらも興味津々でチャートを追っていた
 「チャートもドラマ‥」 なんて、うそぶいていると
 向こうの小さな星から「あの怪しげに光る小さな小さな星は丸ごと賭博場だ!」と声がした
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

世界や国がまとまらないわけ、フッ

世界を一つの学級に例えて、担任経験から考えると、今のリーダーのやり方では世界も国もまとまらなず、何時もガタガタ スッタモンダするのは当たり前だ。
 少なくても学級担任は目に見えないこどもの心がどうなっているか何時も気を配ばるのは最低限の仕事。
 その上で、学級集団の中で最も矛盾を抱え困難な子どもを全体の中に位置づけない限り学級のまとまりはありえない。
 教師が口を開けば問題を持った子供の話しになるのは、職業病のようでさえある。
 世界や世界の国々のリーダーはそうなっているだろうか?
 話が大きすぎるからニュースに絞ってみてもいい。
 ニュースなどの情報は日のあたるリーダーの話が常で、矛盾を抱えた人は犯罪や問題でも起こさないと表に出ず存在を共有できない。
 リーダーの資格試験が必要かもしれないが、試験のできる人はハダカの王様のように子ども以外にいないようだ。
大人はそんな仕組みを作ると格好悪いから、絶対作らない フッフッフッ
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

人類の総動員体制

今やろうとしている経済対策に対し(翼賛的な総動員体制)と書いたが、案の定連合の会長が直接総理に要請したと伝えられた。どの党派も異を唱えるのを聞かない。
 世界も似たり寄ったりだしその経済システムを変えるのは簡単でないのは当然、それでも、仮にセイフティネット対策なら止むを得ないとも思うが、景気・経済対策としてやってきた‥ 現実が示すように長い目で見ると、経済は弱体化するのは当然‥ 子孫に何を残すのか?
 人類は総動員体制で何をしようとしているのか?
 
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« 前ページ 次ページ »