コップの中の嵐か?

国連のCOP15は 日程的にもほぼ中日で、取りまとめに苦労しているようだ。
 朝日新聞は 普天間や天皇特例会見・国債44兆円以内などで占められ、地球温暖化の世界会議の動きはは一切伝えなかった。あたかも、「コップの中の嵐」と見ているようだ。
 物事には重要さの順番がある。
 地球の安全が脅かされているのだから本来なら、国連の安全保障会議の重要な任務だろうし、常任理事国を目指している日本はそれなりの覚悟が必要だろう。
仮にメディアが日本の世論を代弁しているとするなら私達の世論はトンチンカンでないか。
 地球の危機はコップ、戦争は安全保障理事会、経済は G8
 それさえ(コップの中の嵐)と見るのだったら、世界がバラツキ争っても仕方ない。
 我々世論の問題か?それとも伝える情報の問題か?
 大局と部分を取り違えている。
 囲碁なら、ボロボロにされる。
 
  
 
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スタートが出来ない

地球を壊し子どもの夢を奪い、おまけに借金まで残して、まだ<成長戦略)の声ばかりが聞こえる。 まずは 経済≪産業≫の在り方そのものが問われているのに、相変わらず如何に成長を図るかに話が飛ぶ。
 経済では 政府も国民世論も共に 所定の位置についていない。
 
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借金しながら「子どもは宝」

私達は 子どもが「1番」と思っているが私達のの社会は膨大な借金を子供達に残し大人は 立ち去る。
  飛ぶ鳥後を濁さずというが、濁すどころでなくどデカイ クソをたれっ放しにして逃げていくようなもの。
  借金こさえて(子ども手当て)借金こさえて(青少年健全育成)借金こさえて(子どもは社会が育てる)
  神経はまともなのか? 社会進歩の目印なのか?
 
 
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壊しながら、「愛しているよ」

私達は この星をこんなに壊し続けていて
 子供達に お前達を愛してるよっ て言えのだろうか
 子供達は それを信用するだろうか
 
 私達は 競争に明け暮れていて
   子供達に 仲良くしなさい て言えるだろうか
   子供達は その言葉を信用するだろうか
 私達は  こんなにいっぱい物を捨てていて
   子供達に 物を大切にしなさいと言えるだろうか
   子供達は 3秒に一人飢えて死ぬ赤ちゃんに想いをはせられるだろうか
 私達は この星をこんなに壊し続け子供達の夢を奪いながら
   お前達を愛しているよ て言っていないだろうか
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破壊の全体を見たほうが早い

COP15は地球の温暖化を問題にしているが、温暖化は人間の経済活動によって(人類を含めた)地球の自然を壊しているものの一つに過ぎない。
 どうせだから破壊の全体を見て考えた方が対処は早い。 
 これは全体を視野に入れず部分的な話で終始する全体的な傾向であり、
 子どもに躾から、安全保障や国家の予算編成論議の全てに見られる。
 部分的な責任を負わされているからなのか?
 
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いいぞ 写真家

午前中の3つの政治討論会の話を、(視座)と言う観点で聞いていた。
 どなたも日本を中心に見た世界の国々を視座にして語っていた。
 例えば炭酸ガスの排出量や削減目標は局がその資料を作り提示して国家間の比較をしている。
 地球上の人類としてみていれば国の面積や人口も異なるのだから、国家間の比較などしても意味がないのに誰もそれは問わない。
 要するに地球温暖化の対策を論じる時も地球を視座にはしておらず、日本を中心にした世界と言う視座で見て物を言っている。
 増して安全保障の問題や経済対策は、殆ど世界の認識すらも危ういものがあった。
 世界のリーダー オバマさんですら同様だから仕方ないのかもしれない。
 唯一人、サンデーモーニングのレギュラーの写真家≪名前は分らない≫は
 噛み合わない温暖化対策を≪人類の文明の問題≫としていた。
 自国を中心にした世界を超えた視座で物を言っていたのは唯一人その人だけだった。
 寺島実朗氏の話は 自国中心を越えた世界全体を視座にた認識を感じるが、人類の文明と言う視座までは感じない。(文明の言葉は人類だけでなく自然を包含している)
 メディアに登場する人の中でその写真家が(私には)最も視座を広く感じさせる。
 政治家やそれに類した専門家・言論人?の視座は殆どが寺島氏に遠く及ばない感じだが、長く続くはずは無く、今後の視座の変化がどこからどう変わるか楽しみである。
 
 
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あれは あれ、それは それ  か?

オバマ大統領は、国内の雇用対策で4兆円の財政出動の弁を述べ、ノーベル賞授与式に飛んで平和のための戦争の正当性を述べ、すぐにデンマークに飛び地球温暖化対策を述べる。
 何れも世界・平和・地球環境の世界的なリーダー的なメッセージを発する事になる。
 オバマ氏の頭の中で上記の3つの事柄はどうつながっているのだろうか?
 どの場でも、3つを机上に置き関連させて話しているのを聞かない。
 彼の演説ばかりではなく、どこへ行っても3つ並べて論議しているのを見たことがない。
 3つの出来事は地続きであって、バラバラに起きることはない。少なくても議論は3つの出来事を関連付けた上で場に応じて焦点化すべきである。
 全体を見通した上で、個々の対策が論じられる日が楽しめである。
 
 
 
 
 
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自然の一員

 間違いなく自然の一員なのに、それに気が付くのは 
どうしてこんなに大変なんだー
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オバマ氏の受賞演説

オバマ氏の受賞は素直に喜んでいるし、理想的な論調の演説もいいが、世界のトップリーダーとして黙過出来ない内容も含んでいた。
 彼は「世界には悪が存在する」とし、ヒトラーや国際テロ組織アルカイダといった存在に対しは武力行使が必要だと訴え、3万人の増派を正当化した。
 この論法を用いると、悪は際限ない。何故なら己を中心とした認識と論法に立っているからである。
 ヒトラーであれアルカイダであれ、本来的(生来と言っても良い)な存在として悪と言えるだろうか?
 少なくても社会的な善悪は自他を越えた社会全体の関係の中で決められるべきものだろう。
歴史的な評価が社会的背景によって正反対に変更されるは常であり、その事が社会的な進歩を生み出すとも言える。
 彼のこの認識や論法は 前大統領が(ならず者国家)と呼び捨てたのと本質的な違いはない。
3万人増派には アメリカの歴史的・社会的背景があるかもしれないと想像していたが、この演説は個人としての問題をより強めた。
 これが世界のトップリーダーであり、ノーベル平和賞に輝く所にこの星の現在の
 限界と到達点を見る。
 
 
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いい事が 続く

 長年疑問だった(小さい秋)の謎が解けて興奮していたら、続いてもうひとつ嬉しい便りがあった。
 このまちにある社会教育センターから、(森の幼稚園)の企画・構想を細かく書かれた資料が送られてきた。
 内容を見ると、自分が教育で追っかけてきた到達点をさらに発展させたものだった。
 自分の実践はドジで思ったようにいかない事も沢山あった。それでも≪密かに≫引き継いでほしいいとの思いも無くは無かったが、(世も世なので)ほとんど諦めていた。
 社会教育センターの館長さんや若い職員そして大学の心理学の教授も企画に携わっている。どなたも私より若い。
 (自然な心が発達や教育を最大にする)と考え、教室を中心に実践してきたつもりでいた。そしてそれなりの確信を持っていた。
 (森の幼稚園)の企画は子どもを丸ごと森の自然の中においての実践である。
 子供や関わる大人たちの心を自然に戻すのにこれほどいい条件はない。
 このプロジェクトは1センターの企画に留まらず、広く社会的で公共的な意味を持つだろうと思う。
 半ば諦めていた願いだったので、跡継ぎが出来たような喜びがこみあげてきた。
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