常識外れの無謬主義が常識

 

  政府は間違いを犯かさず全て正しくしっかりやっている。

   権力の無謬主義は世界に共通しているかもしれないが 個人であれ どんな組織であれ そんなことは有り得ない。

    こんな有り得ないことが絶対視されて権力が行使されてる現実は何故なのか?

     自然と人の関係をとり違えてるのと 通じてる。

     権力者だけでなく 私たち庶民も 事実でないことを常識としているものが 結構多いかもしれない。

     「常識を疑う」」を常識にしたら良い。

  

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白ける国会

国会のテレビ放映は ウイルス対策の質疑応答が為されてる。

  リアルな討論だが 同時に「先手」は言葉だけで後手後手のやり取り感が強い。

  与党も野党もマスコミも こんな事態を予測してやることをやって来ただろうか? そのことを棚に上げて正論を戦わせても 白けるだけ。

    ウイルス対策は与野党が不明に気付く良いチャンスだが 双方そうなっていない。権力の無謬主義がなせる業か。

   

   

   

   

   

 

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ICT教育

科学技術を活用した教育は いかなる時代であっても重要である。

 今政府が進めようとしているICT教育の推進は 上記の文脈に合致するだろうか?

 今 視界は人類が自然と どう向き合うかが課題であり 教育を構成する自然と人為のバランスが問われている。

 単なるICT教育は人為の強化であり カリキュラムは 児童の全活動 中でも自然活動とのバランスでい位置づけられなければならない。

  国会の論議を見ていても全くその気配はない。 これでは今後さらに 不登校や発達障害の増加するだろう と考えている。 

  経済ばっかりで ほとんど子供と関わっていない権力を持った大人たちが 子どものカリキュラムや指導内容に土足で立ち入ってるようで

   恐ろしさを感じる。ここでも 子どもや市井の人たちの生の声 それを解釈できる人の声が必要だろう。

    元々ICT教育の推進は 経済政策再生対策から生まれた経緯もある。 

   

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昔話のようだ

安全保障と軍備が 同義語であるかのように使われることが多いが こんどの新型コロナウイルスの世界的騒動は 従来の「安全保障」の概念を変えざるを得なくしていないか。

 軍備は安全保障の一部であって矮小化して使われていることを ウイルスや温暖化や世界経済の縮小と合わせて 世界は見せてくれているのではないか。そんなん事を他所に政治は 「桜だ 憲法だ」「ウクライナだ 弾劾だ」と 安全保障を協議する席にも就けない国がある。

 

  

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市井の人の出番

    

       気付かぬ災害の数々

    災害に弱い弱者はまだしも 強者の気付きは 特に悪いようだ。

    為政者やリーダーが手を打てないのは 当然かもしれない。

      私たち 市井の人の出番。

 

  

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否が応でも気づかせる

    座布団の 色模様が汚れ荒れながら縦横にグルグル回わる。

      長い習慣でなかなか手が付けられないが
      資源の余力を減少させ 自然災害と疫病に見舞われてるこの球体に気が付き始めてはいる。

    相変わらず争いごとに明け暮れて 難民を生み放っている。

    70数年前 私たちも難民だったのが嘘のように高みの見物。

   現実は 否が応でも気づかせる 子どもの声は 何処行った?

      

 

    

    

 

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「右翼」と「左翼」

 

  人を組織を 右翼か左翼で区別するのは世界共通かもしれない。

   意味があるんだろうか?

     区別にする基準はあるのか。

   このことがどれだけ人々の協力を邪魔し社会を分断している事か。

    要するに ある狭い範囲の中で ある目印を設け区別し右翼と左翼の 看板を立ててはいないだろうか 。

   大雑把な言動で自他の立場を決めるのは 客観性や科学性を欠いた がさつな表現だろう。

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千載一遇のチャンス

 

   生まれてこの方 世界中が 今回の新型コロナウイルスの騒ぎ程ほどのことがあったろうか?私は思い出せない。

  ベトナム戦争や各地の紛争 難民 バブル崩壊 幾多の自然災害 等と比べ最大の騒ぎではないだろうか。

  厄介なことではあるが 世界が一つの課題に注目し 解決への努力や協力は、過去最高の経験を人類が共有していることになる。

  今後 

世界は 幾多の困難に遭遇するだろうが 今回のこの経験が必ずや生かされるだろう と思う。

    その意味で 行政やマスコミなどの報道機関は 特に この仕事を丁寧に進めてほしいと思う。

 

  

  

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誰でもが無条件に喜べる希望を口に出来るかが 問われてる

人生は 超短距離走のようなものなのか。

 それにしては一人一人が描かれていない。

  自然破壊も コロナウイルスの拡がりも 経済の浮き詰まりも 皆数字

   どうせ数字で表すなら 希望に繋がる 運命を共にする人の増え方を伝えたら良いのに

   何を間違えているのか 不仲を伝えるニュースばっかり‥

  誰でもが文句なく喜べるニュース は 探がすもの それが問題

    

    

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11月目指そうか

このところ スマホとパソコンで不登校やストレス測定の情報を集めてる。

個人的な関心事の視界が広がったようで この11月を目指して學校の仕組みに起因していることを確かめをして見ようかと思い始めている。

 ニュースはコロナウイルスの話でいっぱいだが 世界が静かにさえ感じるこの頃。

 

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