世の中の見える世界から見えない世界まで思いっきり。特に、子供、教育、不登校、自閉症等 情緒に関心あり
天まで届け
不登校の仕組み
本来人の感覚は一体として統合されているものが 。使用する感覚が偏ると 統合する感覚を弱めトレスがする発生するのではないか。
主体的に五感を使い動いてきた幼児が 入学し学校生活によって 動き方が一変する。
生活環境や行動様式が一変する。個体にとってその差はストレスはになる。
人は ストレスが無く喜びで生命力を高める行動は拒否しない。逆であればその行動を拒否する。これは生体の本能と言っても良い。
不登校は子供の学校へのストレス過剰に因るのは論理的帰結である。
学校生活や学校の仕組みは 子供の本能的な身体感覚と探索行動を抑える。
偏った感覚器官の使用を強いられ統合する余裕は保障されず 動物的な探索行動は抑えられる。
これれらのストレス過剰に因って生じたのが不登校だろうと思われる。
不登校はすでにストレス回避の行動様式に至っているが 本来の身体感覚と探索行動を積み重ねることによって耐性をを増し、行動範囲を拡げる。
学校生活に戻るか別ルートで社会と繋がるかは多様だが 繋がる方へ向かい変化していくのは自然の理 だろう。
感覚を取り戻し行動の変化を細かく見定めるのが重要で 支援があるとより確認し易くなる。
急いでやることは
パンデミックや異常気象の危機の根はの 人が環境や人から自然を奪う現代の経済社会が原因している と考えられる。
したがって社会的な動きを止めることによって 伝染病は収まり 都市の空気はきれいになったが、動き出すと再開する。
こんなことを繰り返し 経済社会のあり様を改めようとしない。 何時まで続けるやら‥
まして 軍拡どころか経済競争 覇権争いや 内輪もめ なんかやってる場合ではなく、力を合わせて自然を再生して成り立たつ経済社会を作ること 急いで作ることだろう。
追記
1、 パンデミックは病んだ社会に比べると一時的で危機としては小さい。
2、 社会が病んでいる場合 エリートは既成社会(病んだ社会)の後継者だから 新たに社会を作りかえるのは一般人より難しいかもしれない。
既に絵の描かれた紙より 真っ白い紙に絵を描く方が描きやすいのに似ている。現代社会に見られるように 権威が邪魔し勘違されやすく、実際勘違いされているようだ。その道のエリートであればあるほど 権威があればあるほど 「発想の転換」は難しい。
国際関係の変化
コロナの世界感染で、戦後のアメリカを中心とした国際関係は トランスナショナリズムの流れを加速しているようだ。
人類史的には歓迎すべきことだとは思うが はっきりしない。
庶民の水先案内は何処に?
新聞社や放送局に権力への監視 社会の水先案内を求めるのは所詮無理なのかもしれない。
経営が読者や視聴者より スポンサーや監督官庁の権力の比重の大きさを考えると仕方ないかもしれない。庶民はどう情報を獲得し共有したら良いんだろう?
国家の借金は何を意味するか?
借金は地球資源や他者からの収奪に限界が来ている事を意味していないか。
もともと有限な地球における経済活動が限界に達するのは必然的な事である。
収奪を続けながら消費を抑えなければ残る資源や獲得した富が減じるのは止むを得ない。こういう状況で 消費を増やすためにお金を増やす これが借金ではないか。
増々泥沼にはまり 共食いが拡がる中で 大規模なコロナの感染症に出くわし消費が減ずる。またも借金する。
ここで 来た道を戻るのか 改めて 新たな自然再生の経済を展開するのかが問われてる。
出会えて良かった
「収奪止め。自然の再生産を」小見出し ポストコロナの環境問題 中島岳志 東京工業大教授 東京新聞5月27日朝刊
大いに勇気と元気をもらった。頂上を確認出来たようで 本当に良かった。
戻りそう
無限な空間においては 利己的な収奪であっても終わりが無いが 有限な空間においては 共倒れする。それが現代の経済社会か。
利己・共倒れ 対 共存・共生
コロナ後 元に戻るのか新しい扉を開くのか 以前の社会に戻るのか新しい社会を築くのか
今 日本や世界は どっちの道を選ぶのか。感覚的には 現在 90対10 か。日本政府は第2次補正予算の規模を空前絶後と 目的を「事業と雇用を守る」と諸団体からの要請を受け 堂々と守りを強調している。
政治感覚が時代遅れ
日本のコロナ感染症対策の第1義は「医療体制を守る」だった。今も変わっていないようだ。
医療行為としての第1義は感染症の検査に因る実態把握で、それを基に体制を組むのが 通常の医療行為ではないか。
ボタンのかけ違いを 既定方針に拘り変えない。政治の無謬主義は時代遅れだろう。
日本が見え難い
昔から 日本は 世界的に特別な国家で 「神国日本」「神風」「選民思想」を大事にするようだ。
マスコミではコロナ感染者数や死者が国際比較で少ない事を取り上げ「奇跡」や「ミラクル」の言葉も使われる。
逆に少子高齢化や借金世界1には「奇跡」や「ミラクルは」は使われないから、ついその気になって良いことづくめで 世界を公平に見ることが出来ない。
マスコミの情報やそれによって作られる空気を考えると 国や自分の立ち位置を世界的に客観視するのは難しい。
難しくても 日本の現状を地球的(世界的)視野で客観的で公平に確認したい。
小手先ばっか
9月入学は コロナの休校が議論のきっかけで、小手先過ぎる。
教育をコロナ禍との関係で論ずるなら、休校によって勉強が遅れたり格差が生じた子供を問題にする前に 感染症の備えが出来なかった大人の問題を 日本の教育の基本的な問題として取り上げるべきではないか。
今日の行き詰まった現状を考えると 入学時期に矮小化している場合ではない。
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