現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

(33) 番外編 情けは人の為ならず

2008-08-22 23:53:17 | H20./8月 四国の旅
鈴花はミーハーだ。出立の朝、6時起きして
娘の奈々と 名古屋駅まで見送りにきてくれた。
女性2人に 見送られての出立に ルンルン。

後で聞いたところ、実は 名古屋駅まで来た
目的は 別にあったのだ。

この日、『羞恥心』の上地が、大阪から名古屋に
来ることになっていた。500名限定の握手会が
あるとのこと。予約整理券は、ネットオークション
で 13万円 もの高値がついていた。それを手に
入れるのは無理。しからば 名古屋駅に着くはず、
と推理した。そのルートの下調べ だったのだ。

そして この日、上地が到着する時間を見計らって
娘の奈々と2人で 新幹線グリーン車の8番出口で
待つこと1時間。降りてきた上地に、1m の至近
距離で 会えたのだった。

それだけではない。今度は 「東京に帰るのに
また新幹線に乗るはず」と、三たび名古屋駅まで、
娘と自転車を走らせた。
そして、新幹線ホームのはずれの 専用エレベー
ター前で待つこと30分。ドアが開いて出てきた
上地と顔を鉢合わせ。奈々も興奮、大はしゃぎ。

「ほらみなさい、虚無僧にいいことすると、こうして
いいことがあるんだから。“情けは人の為ならず”、
人が喜ぶことをしてあげれば、自分にうれしいことが
返ってくるのよ」との 教訓を 娘に教えたそうな。
「尺八と一休語りの虚無僧一路」のホームページも見てください。

一休と虚無僧」で別にブログを開いています。

日記@BlogRanking


(32) 番外編 出立の日 

2008-08-22 23:14:28 | H20./8月 四国の旅
虚無僧の私は、自由気ままな生活のように
思われているが、実は超多忙だ。8/10から
17まで 8日間も スケジュールを開けられ
たのは 初めて。しかし、8日開けるために
は、その前日まで、原稿書きやら、9月以降
の仕事の準備で、寝る間もなかった。

「暇など無い」と言っていては、なかなか
虚無僧の旅には 出られない。時間と金を
握られている “まあねぇ(マネージャー)”こと
鈴花に、尻を叩かれての出立となった。
“〇〇の陰に女 有り”だ。

「18日には仕事が入っているので 17日まで
には帰ってくること。余計なお金は渡しません。
昨日入った2万円で 青春18切符を買って、
残り8,500円。これで行って帰ってくるように」
と きつい命令。無事帰れるか 不安の旅立ち
となった。

「尺八と一休語りの虚無僧一路」のホームページも見てください。

一休と虚無僧」で別にブログを開いています。

日記@BlogRanking

(31) 内子

2008-08-22 22:50:47 | H20./8月 四国の旅
城下町が多い中で 内子は 明治 大正期に
ロウソクや和紙の産業で栄えた町だ。
町並み保存地域として 往時の建物のままに
各家々が 維持保存されている。

メインの観光名所は 内子座だ。大正時代に
裕福な商人たちによって、歌舞伎や文楽を
上演する娯楽の場として建てられた。それが
町の人たちによって、今日まで維持されている
のだ。

桜さんに案内していただいた。虚無僧が似合う
町だ。勝手に尺八を吹きながら歩いていると、
桜さんが「後ろで 呼んでますよ」と 教えてくれた。
振り返ると、一軒の旧家の戸口で、お歳を召した
方が佇んでいる。「はて?」と半信半疑で 近寄り
尺八を吹く。丁寧に紙に包んで 篤志を差し出された。

町並みだけでなく 心も 昔日のままに 伝え残されて
いる町だった。

「尺八と一休語りの虚無僧一路」のホームページも見てください。

一休と虚無僧」で別にブログを開いています。

日記@BlogRanking

(29) 松山城

2008-08-22 17:32:24 | H20./8月 四国の旅
現存する江戸時代以前の天守閣 12 の内、
松山、丸亀、宇和島、高知と、4つが
四国にある。

その一つ 松山城は、標高160m。町の中央に
どーんとそびえる山の上に在る。登るのに
ケーブルがあるほど、四国一の平山城だ。

松山駅から 市の中心部に行くのに、工事で
中を通り抜けできず、この城山をぐるっと
半周しなければならなかった。それだけで
疲れた。

この城は、賎が嶽七本槍の一人 加藤嘉明が建てた。
嘉明は完成を見ずに、会津に転封となった。そして
その子 明成の代で改易となる。その後、会津の
領主となったのが保科正之。将軍家光の弟である。
城明け渡しの際、見事な取り計らいを評されて、
そのまま会津藩家老に取り立てられたのが萱野家。
会津と松山とは、そんな縁がある。一度訪ねたい町
であった。

「尺八と一休語りの虚無僧一路」のホームページも見てください。

一休と虚無僧」で別にブログを開いています。

日記@BlogRanking

(30) 宇和島城、高知城

2008-08-22 17:32:24 | H20./8月 四国の旅
宇和島城も、町の中心に在る標高80mの平山城。
こちらは、思ったより簡単に登れた。
藤堂高虎の築城だが、その後 伊達秀宗が移り
住んだ。秀宗は 伊達正宗の長子だが、側室の
子であったため、仙台の伊達家とは 別家を立て
ることとなったのだ。

高知城には、山内一豊が静岡の掛川から転封して
きた。

今、藤堂高虎を“築城の名手”として 世に喧伝
しようという動きが出てきている。中日新聞の
夕刊にも連載されていて、興味深く読んでいる。

秀吉から家康への政権交代時、戦国武将の移封、
改易は実にめまぐるしい。伊達、山内、加藤、
藤堂とその家臣団は どんな気持で、上から命ぜ
られるままに転居していったのかと、思いを 
往時に馳せ 感慨にふける。
「尺八と一休語りの虚無僧一路」のホームページも見てください。

一休と虚無僧」で別にブログを開いています。

日記@BlogRanking


(28) 篤志をいただいた方々 4

2008-08-22 11:26:36 | H20./8月 四国の旅
最近の商店は、ガラス戸などが閉まっていて、
客が来ると、チャイムが鳴って、奥から店主が
出てくるようになっている所が多い。

無人の店内に向かって、尺八を吹くのもせつない。
だが しばらく吹いていると、奥から出てきてくだ
さることがある。「あんまり上手なので、ラジオ
かと思った」と。家の中まで聞こえていたのだ。

曇りガラスなどで店内が見えない店。すし屋、そば
屋、飲み屋など 料理店。戸口でしばらく吹いていると
突然戸が開いて、小銭を握り締めて 店内の人が出て
来てくださる。

虚無僧が来たことなど見えないのにだ。尺八の音で、
「虚無僧が来た」と察知し、小銭を用意して 出て
きてくださるのだ。

不思議だ。虚無僧が 時折 来るなら わかるが、
「虚無僧なんて昔見ただけ」 とか「初めて」 と
いうのに、“尺八→虚無僧→即布施を”という心が
地方では まだ残っていることが うれしい。


(27) 篤志をいただいた方々 3

2008-08-22 06:55:40 | H20./8月 四国の旅
昔ながらの古いお店は、たいてい布施してくださる。
そうした店の前に立つのは、ねだりがましく心苦しい。

冷房もない、戸も開け放たれ、お年寄りが店番を
しているような店。足の悪いお年寄りが、よっこら
しょと土間に降りて、ふらつく足で出てきてくださる。

「ありがとうね、ご苦労様」と言ってくださる。
そうした時、心が痛み、ありがたい感謝の念があふれ、
一層 心が浄化される。門付けは 心を浄められる修行
なのだ。

高知の賑やかなアーケード街では、全く無視。反応0。
誰も見向きもしてくれなかった。

温泉街や観光地の土産物店。数軒に一軒は布施を
下さるが、なんとなく迷惑顔。「金やるから さっ
さと行ってくれ」というような態度の人も。
あからさまに手を横に振って「あっちへ行け」と
いう人も。

明と暗、何もかも受容するのも修行。


(26) 篤志をいただいた方々 2

2008-08-21 21:56:12 | H20./8月 四国の旅
8/13 松山駅近くのビジネスホテル入口で
尺八を吹く。2階の部屋の窓が開いて、
老人が、にこにこ顔でこちらに合図している。
小銭を2階から投げようとしているのだ。

投げ銭されて「乞食じゃない!」と怒る話を
何かで読んだが、それは相手の姿勢次第だ。
見下したように 銭を投げられて、地面を
這いつくばって拾わされることに腹を立てた
のだろう。

2階のおじいさんは、本当にうれしそうに
「いいかい 投げるよ 取ってね」と。
私は天蓋をはずして、逆さにして、窓の下に
掲げた。ひょいと投げてくれた100円玉が、
見事天蓋の中に。ナイスキャッチ。

おじいさんの喜ぶ顔が うれしい、“和顔施”だ。
お礼に 民謡調の明るい曲を吹いて 立ち去る。

(25) 篤志をいただいた方々 1

2008-08-21 20:50:17 | H20./8月 四国の旅
8/10 夕刻 徳島に着いて即、駅近辺を一周してみた。
ビル街の一画に小さな八百屋さんを見つけ、店の前で
尺八を吹く。中から買い物を済ませた老齢のご婦人が
出てこられ、100円入れてくださった。
黒のレースのワンピースを着こなした品のよいご婦人
だが、腰も曲がり、足も悪そう。

「父が尺八吹いてたの。その音色を思い出すわ。
満州で・・・、お国のために犠牲になって・・・、でも
みんなを助けたのだから・・・、いいと思うことにしてるの」

尺八は、時に その人の過去の記憶を呼び覚ます。
亡くなった夫、父親、祖父の魂を呼び起こすのかも
しれない。涙を誘われる。
 

8/16 最後の日。滋賀県の長浜でも、バス停で、
90歳のおばあさんが「少ないけれど」と100円。
「夫が 30年前 亡くなってね。2人で看板屋を
開いて・・・」と、いろいろ身の上話を語られた。
バスがくるまで 一生懸命耳を傾けてあげる。
これも私からの“布施”なのだ。




(24) 天気 運気

2008-08-21 14:00:13 | H20./8月 四国の旅
私は 晴れ男だ。会社勤めの時、社内報ビデオの
製作をしていた。晴れて欲しい時は 必ず晴れる。
曇っていても、ここで光が欲しいと願うと、雲の
切れ目から陽光が差す。雨のシーンが欲しいと
思うと雨が、雪も降らしたことがある。

今回の旅でも、桜さんに内子まで案内していただ
いた時、途中で雨が降り出した。桜さんは、車を
降り、コンビニでビニール傘を買ってくださった。

しかし、内子に着いた時には、空は完全に晴れ上が
っていた。桜さんに散財おかけして申し訳なかった。
私のパワーがもっと完全であれば、自信をもって
「大丈夫」と云えたのに。

高知の橋の上で野宿した時も、怪しい黒雲が空を
覆い、ポツリ ポツリときたが、それで終わった。